第24話 役立たずの代役聖女

※ジャマガン王国(ダン王太子、マリアベル)視点


 時は遡り、セリーナをサチュナ王国に追放した直後。


「マリアベル、イグニスの具合はどうだい?」

「特段、問題はありません。なので、もう一度」


 甘えた声でおねだりするマリアベルの髪を撫でながら、ダン王太子はベッドをきしませた。


(これで聖獣も王太子妃の座もわたくしのもの。異界から娘を召喚すると言い出した時は肝を冷やしたけれど、やっと追い出すことができましたわ)


「やけにご機嫌じゃないか」

「だって、殿下とこうして繋がれているんですもの」

「そうかそうか。可愛い奴め」


 聖女が簡単に体を許すことは大罪とされている。その身に触れられるのは正式に伴侶となる者のみ。

 マリアベルの魅力的かつ魅惑的な体を欲したダン王太子は早々に婚約を決め、セリーナを追い出す手筈を整えた。



 全ては自分の欲を満たすためだけのために――



「最高だ。最高だよ、マリアベル」


 何度も何度も自分勝手に腰を打ちつける。

 ダン王太子にとって、聖女マリアベルとは自分の欲を満たすためだけの存在だ。


(セリーナのスタイルが良ければ、第二王太子妃にしてやったのに。あんな抱き心地の悪そうな体は御免だ)


 異世界の女ということで、幼い頃からセリーナのことを気にかけていたが、イグニスと契約してからというもの、どんどん痩せてしまい、興味を失ったダンは標的をマリアベルに変えた。


 こうして、婚前交渉に至れたのだから大満足だ。あとは、マリアベルが生涯に渡って今のスタイルを維持してくれればいい。

 それだけを願っていた。



◇◆◇◆◇◆



「マリアベル様! 国民が押し寄せて来て、収拾がつきません! 早く癒してやってください。もう限界です!」

「はぁ? すでに今日分の癒しは終わりましたわよ。端金はしたがねで安請け合いしないでちょうだい」


 しっしっと侍女を雑に扱うマリアベルは力のほとんどを使い果たしていた。

 聖女マリアベルはどんな怪我も病気もなかったことにできるが、大き過ぎる力がゆえに癒せるのは1日に1人が限界だった。


「まだ1人ですよ⁉︎ いつもなら、あと50人は看てくださるじゃないですか!」

「ご、ごじゅう⁉︎ 何を馬鹿なことを言っているの⁉︎ わたくしを殺すつもり⁉︎」

「それはこちらのセリフです! お金のある人は怪我と病気を治して、お金のない人はせめて痛みだけでも取り払う。要望があれば、天候さえも変化させる。そうやって国民に尽くしてきたではありませんか!」


 マリアベルは戦々恐々とした。

 1日に50人もの人間を癒すなんて聞いたことがない。それを毎日……あまりにも馬鹿げている。


 目の前にいる侍女が嘘をついている様子はない。

 マリアベルの背中を冷や汗が伝った。


「き、今日はできません。お引き取りを」

「追い返すのは構いませんが、お役目からは逃げられませんよ。だって、マリアベル様は遊びながらでも癒せることを国民は知っていますもの」


 マリアベルは膝から崩れ落ちそうになった。

 自分が遊びほうけている間に国民を癒していたのは間違いなく代役聖女セリーナだ。


 しかも、屋敷の離れに篭りながら。

 つまり一度も見ずに、触れずに国民を癒していたことになる。


「そんなことはありえない!!」


 テーブルに並べられたぬいぐるみや調度品を床にぶち撒けながら叫ぶ。


「何よ、痛みを取り払うって! 何よ、天候を変えるって! そんなこと、聖女わたくしにできるはずがないでしょ!」


 使用人たちの入室を禁じたマリアベルは、髪を振り乱し、思いの丈をぶつけ続けた。


「イグニス……そうだ、イグニスですわ! きっと、聖獣の力を使い倒していたに違いないわ!」


 そうと決めつければ、すぐにマリアベルは体内に宿しているイグニスを呼びつけた。


「イグニス、聞こえているのでしょう! わたくしにあの小娘と同じ力をよこしなさい!」


 しかし、イグニスが応えることはなく、マリアベルはただの器と化していた。


「どうして……あんな汚らしい娘が扱えていたというのにッ」


 国民から催促され続けることで観念したマリアベルはなんとか力を捻り出して1日に2人を癒すようになったが、国民は納得せず、「マリアベルを出せ!」と屋敷の前で暴動を起こすようになってしまった。


 やがて、マリアベルは外出を恐れるようになり、引きこもりがちになったことでダン王太子も弊害を受けることになった。


「わたくしは疲れていますの。こんな所に来られても困ります」

「そんなことを言うなよ、マリアベル。最近はご無沙汰だっただろ」


 商人に変装してまでマリアベルに会いに来るダン王太子。

 来訪の目的を分かっているマリアベルが行為を拒否するとダン王太子は問答無用で怒鳴り散らした。


 その怒鳴り声は屋敷の外にも聞こえてしまい、国民たちは「聖女はお役目をほったらかして王太子と逢瀬を楽しんでいる」と噂を流した。


 その噂は国民との距離が近く、清廉潔白で、差別をせず、国を守ってきた聖女マリアベルのイメージを壊すには十分だった。

 そのイメージを保つために影で努力していた人がいることを国民は知らなかったが、今のマリアベルが以前のマリアベルではないことは簡単に気づく。


 そして、遂に誰かがこんなことを言い出した。



 役立たずの聖女セリーナがマリアベルの代わりをしていたんじゃないか、と。



 ジャマガン王国を去ったセリーナの評価が上がり、マリアベルの印象がどんどん悪くなくなると、マリアベルは遂に聖女のお役目である治癒と結界構築を放棄した。


 食事も喉を通らなくなったことで痩せ細り、身だしなみにも気を遣わなくなった。あんなにも美しく、自身に満ち溢れ、魅力的に映っていたマリアベルはもういない。


 ダン王太子はマリアベルの現状に絶望し、追放したセリーナを呼び戻そうかと自分勝手なことを考えていた矢先、サチュナ王国で流行っているお菓子が手元に舞い込んできた。


 一口食べれば頬が落ち、一つ食べ切れば満腹感を得られる。

 一日に複数個食べれば多幸感に包まれ、一ヶ月食べる続ける頃には抜け出せなくなる。


 そのお菓子を食べ続けたダン王太子に過去の面影はなかった。

 丸々と太り、髪は脂ぎっている。

 座っているだけでも息は荒く、呪詛じゅそのようにサチュナ王国のお菓子を求めていた。


 自分のスタイルに自信を持ち、肉欲に溺れていたダン王太子は、今では食欲に支配され、両手に持ったお菓子を頬張っている。


 ストックがなくなれば、発狂し、サチュナ王国からお菓子を高額で買い締めるように命令していた。


 そして、最後のお菓子箱の中に同封されていた手紙には、


『その菓子の名は"聖女のギフト"といいます。王太子殿下にとって良い贈り物であったこと心よりお喜び申し上げます』


 と、したためられていた。



◇◆◇◆◇◆



 ダン王太子の金遣いの荒さによってジャマガン王国の国営が傾き始め、マリアベルが結界を張らなくなったことで魔物被害も増え始めた。


 当然、国民は王族への不満を募らせて、度々暴動を起こすようになった。

 中にはジャマガン王国を出て、大金を払ってでも他国への受け入れを要請する者も現れた。


「ええい! マリアベルは何をしている! さっさと魔物討伐に向かわせろ! ダンは牢屋にぶち込んでおけ! あのブタを野放しにしておくと金がいくらあっても足らん!」


 毎日のように、「どうしてこうなった」と嘆くジャマガン王。


「異界から呼び寄せたのに役立たずの入れ物が大金に化けるなら願ったり叶ったりだ」と、過去に語っていたことなど忘れ、かたくなに責任逃れを続けるジャマガン王は気づけば処刑台に立たされていた。


 早々に聖女を輩出したヴィンストン伯爵一家が処刑され、王族も次々と刑を執行された。


 左隣には手錠も首輪も脂肪に食い込み、醜い姿となった息子ダン


 右隣にはガリガリに痩せ細り、虚ろな瞳で一点を見つめる聖女マリアベル


 まずはダン王太子の首が宙を舞った。

 最期まで「ギフトを……ギフトをくれ」と呟きながら事切れた。


 息子の無様な姿を尻目に、国民の怒号と大歓声を聞きながらジャマガン王の時代は終わった。


 そして、最後に聖女マリアベル

 しかし、大罪人の首をねてやろうと鈍く光っているギロチンを落とす役目を与えられた処刑人を止めた人物がいた。


 観衆の中から手を挙げ、処刑台までの階段をのぼる。


「その人はまだ殺してはいけません。大切なものを返して貰わないといけないのです」


 そこには追放されたはずの代役聖女セリーナが威風堂々と立っていた。


 断頭台に固定されたマリアベルはセリーナが最後に見た姿からは想像できない格好だった。


 ガサガサの髪に、ボロボロの肌。

 あんなにも拘っていた服は布切れのようで、大切にしていたアクセサリー類は身につけていない。

 何よりも体つきがまるで違う。


 サチュナ王国に来てから健康的になったセリーナとは真逆で、痩せこけたマリアベルは不健康そのものだった。


(イグニスに食事まものを与えなかったのね。でも、それだけじゃない。もっと、こう、徹底的に搾り取られたみたい)


 前契約者であるセリーナから見ても今のマリアベルは異常だった。


「セリーナ……どうして、ここに」

「イグニスを返してもらいに来たの」

「はっ。なにを今更。イグニスは性格が悪くて、契約者を喰おうと目論んでいたんじゃなかったかしら」

「そういう風に勘違いさせられていたの。それに今のイグニスにそんな力はないみたい」


 セリーナはいつくしむようにマリアベルの胸を見つめる。

 その視線は、しぼみ垂れてしまった胸のずっと奥を見ていた。


「思い出したんだ。イグニスがずっとわたしを守ってくれていたことを――」


 その時、マリアベルは乾ききった口の端を切らしながら叫んだ。


「さっさとわたくしを殺しなさい!!」


 ついに血迷ったのか、と国民がざわめき始める。


「イグニスを渡すものか! どうせ、わたくしがいないこの国は終わりよ! イグニスも道連れにしてやるわ!」

「ダメだよ」


 セリーナが両手を広げる。そして、聖母のように微笑んだ。


「おいで、イグニス。一緒に帰ろう」

「い、いや、ダメ。止めて、置いていかないで……。わたくしを一人にしないで。死にたくない。一人は嫌!」


 セリーナの時と違って、マリアベルに痛みはなかった。


 あっけなく抜け落ちたイグニス。

 美しかった白銀の毛皮はしなびていて、さながら捨て犬のようだった。


 イグニスはセリーナと再契約する力もないほど消耗しており、子犬の姿のままでセリーナの腕に抱かれた。


「お待たせしました。用は済みましたので刑の執行をお願いします」


 無慈悲に処刑人へと告げる。


「セリーナァァァ! 人畜無害そうな顔をして人を殺すように命じる性悪女め! こいつは聖女なんかじゃない! わたくしの代役よ! ずっと国民おまえたちを騙してきた悪女なのよ!」


 マリアベルの最期の訴えに耳を傾ける者はいなかった。

 それどころか、処刑を急かす声が大きくなり、地響きとなってマリアベルの恐怖心を煽っていく。


「い、いや。やめて、そんな目でわたくしを見ないで。お父様、お母様! 助けて! わたくしは聖女なのよ! 下卑た国民共に殺されていい人間じゃないのにぃぃぃぃぃ」


「さようなら、マリアベル。あなたの真似をしなくなってからずっと心が軽いの。わたしが思っていたよりも役立たずあなた代役聖女代わりは苦痛だったみたい」


「セリーナァァァア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛――」


そこでマリアベルの絶叫は途絶えた。

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