第18話 セリーナの背中

※ミリアーデ視点



 今日もキッチンに向かうセリーナを背後から見守る。

 その背中はいつもよりも浮かれているようで鼻歌でも歌い出しそうだったが、実際のセリーナはしかめ面で卵と向き合っていた。


「……尻尾があれば、絶対に振っています」

「なに?」

「なんでもありません。集中してください。ぐちゃってなりますよ」


 元の世界でも、異世界でも料理をしたことがなく、包丁をはじめとする調理器具を使い慣れていないセリーナの周囲では多くの使用人たちがひやひやしながら見守っている。


「セリーナ様が楽しそうに見えるのは私の目が悪くなったわけではないですね」

「執事長の目はずっと良いですよ。セリーナ様はヨハン殿下にマフィンを褒められて、喜ばれているのです」

「ちょっと、ミリアーデ!」

「しゅーちゅー」


 セリーナにとって、料理の先生でもあるミリアーデには逆らえないのだ。


「恋……ですか」


 ダンディに髭を弄りながら、しみじみと呟く執事長。


 セリーナは恋というものを知らず、必要ともしていなかった。

 好意を向けることも、向けられることにも鈍感で、恋愛とは縁遠い生活を送って来た。


 異世界召喚された時からの知り合いである、ジャマガン王国のダン王太子は優しくて、頼り甲斐のある人という認識だったが、最後は裏切られて追放を言い渡された。

 好きだったのかと問われると、「憧れてはいた」というのが答えになる。


 では、ヨハンはどうだ。


 セリーナは生地を混ぜながらずっと考えているが、明確な答えは出てこなかった。

 唯一、確かなことは手作りのマフィンを食べてもらえて、「美味かった」と言ってもらえると胸の奥がポカポカしたということだけだ。


「再び食べていただくために作っているということですね」

「分かってないですね、執事長」


 やれやれとミリアーデがジェスチャーする。


「ただ食べてもらうだけじゃダメなんですよ。もっと見た目が綺麗で、美味しい物を作りたいんですよ。ね、セリーナ様」

「……べつに。ヨハン殿下のためだけに作っているわけではないから」

「大部分は殿下のため、と。今の発言を聞けば、きっと喜ばれるでしょうね」

「もう! 気が散るからあっちに行ってて。コックさんたちが居るからミリアーデが見てなくても出来るわ」


 ミリアーデは「やです〜」と気の抜けた返事をして椅子に背を預けた。


(だいぶ、女の子らしくなられた。こうした時間がセリーナ様には必要だったのかもね)


 自己犠牲による破滅的な行動が目立っていたセリーナだが、お菓子作りをするようになってからは毎日のように部屋から出てくるようになり、使用人たちとも話すようになった。


 最初は業務の内容ばかりだったが、やがて世間話をするようになり、今では家族のような絆が見える場面も出てきた。


 セリーナが聖女という肩書きに縛られることなく屋敷で過ごせるようにする、というのが使用人一同の掲げている目標なのだが、それはセリーナには秘密となっている。


 同性で年齢の近いミリアーデはセリーナと行動を共にすることが多い。


 たとえ無礼だったとしても、嫌われたとしても、セリーナが遠慮なく、「あなたのことが嫌いです」と言える相手でありたいとミリアーデは強く想っていた。



◇◆◇◆◇◆



 ある日、セリーナ宛に王宮への招待状が届いた。

 サチュナ国王直筆のサインが入っており、王族の封蝋まで施されている。


 一番最初に郵便受けの中から、それを見つけたミリアーデは今すぐにでも破り捨てたい衝動に駆られた。


(せっかく、セリーナ様の普通の女の子としての一面が垣間見えるようになったのに――)


 しかし、今はただのメイドであるミリアーデにそんなことが出来るはずもなく、すでに起床し、身支度を整えているであろう主人セリーナの元へと向かうしかなかった。


 これまで自由にさせていたセリーナを王宮に呼びつけるということは、セリーナのやり方が王族にとって目に余るのか、それとも彼女の力が必要な事態に発展したのか。そんなことばかりを考えていた。


「セリーナ様宛てのお手紙をお持ちしました」


 いつになく落ち着いた声のトーンで入室してしまったことを後悔したが、取り繕うことはできなかった。


 ミリアーデの些細な変化に気づかないほど、セリーナが鈍感ではないことは承知の上だ。だから、下手に隠してもすぐにバレてしまう。


 静かに受け取った手紙の封蝋を迷いなく剥がしたセリーナは手紙を最後まで読み終えて、暖炉の中に放り込んだ。


「王宮に行くわ。ついてきてくれる?」

「はい。もちろんです」


 王宮内にある玉座の間へと通されたセリーナの後を追う。

 純白のローブに身を包み、背筋を伸ばしてレッドカーペットを歩く後ろ姿はいつ見ても惚れ惚れする。


「突然、呼び立ててすまんな」


 簡単に挨拶を終えたサチュナ国王はミリアーデが予想していた通りの発言をした。


「わしからの依頼を頼まれてくれんか」

「どのようなご依頼でしょう」

「魔物の掃討作戦に参加してもらいたい。場所はジャマガン王国との国境付近だ」


 セリーナの表情は険しかった。


「すでに討伐部隊を送り込んでいるが、魔物の数が多くて敵わん。どうやら、ジャマガンの方も苦戦しているようだが、他所よその心配をしている余裕はないのでな。頼めるだろうか」

「承知しました」

「結界があれば尚心強い。とにかく国民の安全を確保したいのだ。辺境伯領への魔物の侵攻を許すと国が滅びかねん」


 要件を聞き終え、明らかに張り詰めた様子のセリーナの後を追う。

 来た時と同様の背中は華奢なはずなのにやけに大きく見えた。


「ミリアーデ、いつものように護衛をお願いしてもいい?」

「最初からそのつもりです。置いて行かれても、ずーっと付きまといますからね!」

「ミリアーデが居てくれると安心できる」

「そうですか~?」


 いつものように間の抜けた声で問いかける。

 きっと、いつものように笑って返してくれると思っていたのに、今日のセリーナは違った。


「うん。だって、ミリアーデってただのメイドじゃないでしょ?」


 元ロイハルド王太子直属の特務騎士。

 現聖女付きメイド兼監視役であるミリアーデは、セリーナの瞳を見つめ返し、じっとりと汗ばむ手でスカートを握り締めた。

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