第42話 ケルシー遠景

 大シロアリのデタン・ツチュたちが巨大蟻塚アリバベルの頂上に姿を増やしています。匂いをたどろうとしているのか、触角で表面をさぐってはお互いの頭をぶつけそうになると顔を突き合わせて“挨拶あいさつ”し、動き回ります。


 空へと脱出したトキト、アスミチ、カヒ、そしてトキトの背中にしがみつくイワチョビは、デタン・ツチュたちの追跡を振り切りました。


 カヒがアスミチに聞きます。

「羽アリもいたけど……追いかけてこないよね?」

 音を出すおすアリ、エグザセルバのことを覚えていたのです。羽アリは飛行能力を持っています。

 アスミチは答えます。

「たぶん心配ないよ。雄アリなんかの有翅虫ゆうしちゅうは結婚飛行のために飛ぶだけだから。決めつけはできないけど」

 トキトも加わります。

「羽アリって飛ぶのも下手だし着地も下手だろ? 飛んでもたいしたことないはず。でもイワチョビに後ろを見ておいてもらうか」

 イワチョビが答えます。

「いいよー。今も羽アリは姿が見えないよ。追いかけてきていないよー」

 小さめに、手足のぴこぴこ動きをしています。トキトのジャマをしないためでしょう。


 カヒは安心して言います。

「よかったー。イワチョビ、よろしくね! あ、でも、まわりの景色もできればいっしょに見ていたいよ」

「それも、同時にできるよー! 景色をボクが見て、記録しておくからね」

 イワチョビの言葉に、ハートタマから反応がありました。

 ――リアルタイム中継もできるぜ! オイラがばっちりカヒの視界共有を手伝うからな。

「わ。ありがとうハートタマ! そのお礼にも、アリミツをあとで楽しんでほしいな」

 ――そいつぁ、いいやな! ハチミツと同じようなもんだろ?

 これにはトキトが答えました。

「俺、さっき指先についた蜜をなめてみたけど、ハチミツと同じだったな。ハートタマ、楽しみにしててくれよな!」

 アスミチが小言のようなことを言います。

「あっ、トキト、いつの間に! 折りたたみ空間に入れて消毒してからにしてよね」

 バノから、折りたたみ風呂敷を使うと微生物も除去じょきょできる話を聞いていました。今この場にはいないバノに代わって、アスミチは自分が言うべきだと思ったのです。年下だけれど、言うべき、と思ったのです。

 トキトは素直でした。

「あっ、そうだよな! グーグーの人たちもそうしてるって聞いたから思わずなめちゃったよ。折りたたみ風呂敷に指先を突っ込んでからにしたほうがよかったな。サンキュ、アスミチ!」

 リーダーがしっかりと受け取ってくれたので、ほかのメンバーも復習できました。カヒがくり返します。

「えっと、毒を分解することはできない。でも微生物が生きられないから、折りたたみ空間は、消毒に近いことができる。そうだったよね?」

「そうだとも、カヒ!」

 アスミチの答え方に、トキトとカヒは笑います。

「今の、完全にバノの言い方だったよなー!」

「あはは、ほんと、ねえアスミチ、わざとだよね?」

 アスミチは認めます。

「うん。半分わざとだった。たまには、いいでしょ?」

 誰かを見習おうとしているとき、しゃべり方や動きまでそっくりになることもあるのです。アスミチの“半分わざと”は、半分は自然にその言葉が頭に思い浮かんだという意味でした。


 アリバベルの高さのまま、水平に飛行しています。

 先に飛び立ったルシアの姿はもう見えません。足こぎペダル式の人力飛行機は、見た目より高性能であるのに違いありませんでした。

 青い広い空に、探検チームの体が包まれています。青色のドームの中のよう。

 眼下には、惑星の大地。ダッハ荒野の白っぽい赤茶色は、空の底をまるく切り取ったみたいに感じられます。

 山野に親しんできたトキトでさえ、未体験の光景です。

 ――今ここにいるっつーのに、まるで配信映像を見てるみたいな気持ちになる。これ、俺ちゃんと体験している景色なんだよな?

 体ひとつ、古着のグライダーだけで、空を飛んでいます。

 ドン・ベッカーに近づくため、また行き先である西の方角をよく見るために、三人は移動方向を西に変えました。


 もしデタンたちが彼らを後ろから眺めたら、三羽の鳥が翼を水平に開いたまま、体を傾けて空中を左向きにターンしたように見えたことでしょう。

 三人と、トキトの背中のイワチョビが、空を横切っていきます。


 トキトは言います。

「鳥のトンビたちって、こんな気分なのかもなー。風を受けてぷかっと浮いたまま、空にいる感じ。おもしろいな」

 カヒからは前を飛ぶトキトの姿がよく見えます。

「うん。トンビ。よーし、カヒはトンビだぞー。ピーヒョロロロー」

 鳴き声を真似しました。といってもしゃべる声の大きさです。

 カヒもトンビ(図鑑などではトビと書かれます)の鳴き声を知っていたようですね。野山を探検するのが趣味のトキト、生き物の図鑑を眺めるのが大好きなアスミチも、知っています。

 三つの影は翼のついたランドセルを背負ったような姿勢です。

 アスミチは魔法で作った翼の強度も気にしています。

「古着パッチワークの翼。金属棒は問題ないだろうけど、古着は魔法でしっかり固定しないといけないよね」

 前をゆくトキトの翼が視界に収まりまっています。今のところ風を強く受けてもしっかり安定しています。

「物体にはたらきかけるハヴ魔法。ゴーレム作りと同じ魔法だ。トキトもしっかり布同士を固定できてるね、安心した」

「おお? 俺ちゃんとできてた? でへへ、俺もゴーレム作ったりできるようになるのかもな」

「それは、もう今でもできるでしょ、たぶん」

「おおお、できるのか! じゃあゴダッチを作っていろいろできるじゃん? 一人じゃんけんとか!」

 トキトはジョークを飛ばす余裕があるようです。カヒが笑います。

「あはは、もう、トキト。じゃんけんは右手と左手でできるでしょ。じゃんけんグー、あいこでパー、またあいこでチョキ!」

「俺、それやったことある! でも絶対に同じ手になっちゃうんだよ、カヒ、知ってた? 違う手の形、つくれねーの」

「えへへ、じつは加藤カヒも、右と左のじゃんけんやったことありました、ずっとあいこでした」


 高い位置から、いくつかを見ておくことにしました。


 ひとつめに見るべきは、危険な敵の存在です。敵が近くにいないか、見ておくことは重要でした。

 デロゼ・アリハたちのハイザーン分隊が近くにいる可能性があります。高い位置から視覚強化をすれば、ハートタマの感知よりずっと広い範囲を見渡せるのです。

 三人は最優先で、ベルサームの甲冑ゴーレムの姿を探します。

 カヒが魔力にすぐれているので、視覚強化も高性能でした。

「うーん、甲冑ゴーレムは、見つからない。見える範囲にデロゼ・アリハたちはいない気がする」

「だよなー。隠しておけばあのでかい図体も、見えないだろうしな。移動中を目撃するんじゃなけりゃ、ま、無理だよな」

 トキトの言葉にアスミチも同意です。

「移動中でも角度によるよね。ワジの陰なんかだったら甲冑ゴーレムも完全に隠れてしまうしね。ぼくたちだってドン・ベッカーをそうやって見つかりにくくして移動しているんだし」

「だよなあ。上空だから有利のはずだけど……いないと考えるしかない」

 デロゼ・アリハたちは見当たりませんでした。


 高いところから観察するふたつめは、人間の集落です。

 通り過ぎてきたイェットガが東ににあるはずです。振り向くと、後方遠くに、まだかすかに見えました。

 これから進む予定の西には、いくつか目立つものがあります。

「あっ、たぶんケルシーじゃない? トキト、アスミチ、たしか岩山が三日月みたいになっているふもとにケルシーがあるんだったよね?」

 バノやネリエベートから聞いていた情報と照らし合わせてカヒが言いました。

 すぐに二人がそちらを見ます。イワチョビも、映像を記録しつづけます。

「岩山の高いところにルシアさんの家があるんだつってたよなー」

「明日には引っ越ししちゃうって言っていたね。引っ越し先はセンドオークス。ぼくたちは訪問する予定がない、大陸の西の端だね」

「わたしたち、北の海辺に出たら、逆側の東に移動する予定だよね? そっちがドワーフの国ドナグビグの方角だから」

 順調に旅が進むなら、ルシアと再会することはどうやらむずかしいようでした。

 トキトがアスミチに聞きます。

「ネリエベートさんを送り届ける先は、ケルシーか、その次になる可能性が高いんだったよな、アスミチ。なんだっけ、ダッケだっけ?」

「わざと言ってない? ダッケじゃなくてドッケ」

「あー、ドッケか! わざとじゃないんだけど、すぐドッチダッケ、ダッケドッケ、ってなっちゃうんだよなー」

 トキトはふざけているわけではないのですが、またごちゃまぜにした言い方をしています。カヒが「わー」と言って耳をおさえました。

「トキトー! カヒも混ざっちゃうから、ドッケダッケとかダッケドッチとか言わないでー!」

 トキトが返事をします。

「それ、わざと言ってない!? カヒの乗っかるジョーク? あれ、俺またわからなくなりそう。ドッケ……でいいんだよ……な、少年アスミチ」

「わあ、急にルシアさんみたいになってる。ドッケだよ。ドッケで合ってるよ」

 楽しく会話する三人に、イワチョビが言葉をはさんできます。

「ねえ、三人とも。ドッケの方角に、アレが見えるよ! こないだ落ちてきた巨大生物」

 トキトが前方のケルシーからさらに少し左を見て、イワチョビの言った生き物を確認します。

「おおお! ほんとだ。カルバ・エテラだ! デバニア・ディンプから何日か進んで近づいたから、かなりでかく見えるな」

 西の遠い大地にカルバ・エテラがいます。羽虫が群れて上昇していくような、数多くの生き物が見えていました。

 カヒが「視覚強化」とふたたびレット魔法を強めます。

「うん。形もエイの、あの姿に見える。こないだ墜落したのと同じ、カルバ・エテラだってわかるね」

 あの夜、彼らはカルバ・エテラの死を目撃しました。多くの小さな生き物の食べ物になっていく空のモンスターを。翼の長さが全幅四十メートルというとてつもないサイズの生き物。

 アスミチは、あの日に学んだことをもう一度思い出します。

「生き物は死ぬ。そしてほかの生き物に命を役立たせる。ぼくたちも生き物を食べる。それはもやもやすることだけれど、間違っているとか正しいとか、きれいに切り分けることができないことなんだったね」

 トキトとカヒは、口をつぐんで聞くことにしました。アスミチが今日はそれを言いたいだろうと思ったからです。

「ぼくたちはかわいい生き物や、自分が約立つと思う生き物を優先的に生かそうとすることがある。それは悪いことじゃない。けれど、かわいいから生かすのが『正しい』とか、かわいそうだから助けるのが『正しい』とか、うかうかと考えたり口に出したりしないように気をつけないといけないね。ぼくたちは、すぐに間違えてしまう……」

 カヒが器用な動きをします。風魔法を弱めて浮遊魔法を使って体を浮かせて、翼を垂直に立てました。そうすることで翼をぶつけずにアスミチに近づけるのです。

「うん。わたし、アスミチがそのことをいっぱい考えたの、知ってるよ」

 アスミチの手を握りました。

「カヒの手も、あったかいや。トキトの体も、あったかかった。ぼくは仲間の命も守りたいよ。みんなの役に立ちたい。それを正しいなんて誰かに保証してもらわなくても。ぼくがそうしたいって思うそれだけなんだ」

 遠くのカルバ・エテラは、入り海サリプトンに生じている上昇気流をつかまえて、螺旋らせんを描いて上昇します。あのカルバ・エテラの一匹が死を迎えた日のことを、二人は手をつないだまま、しばらく思い出して語り合いました。

 カヒがふたたび離れていき、翼を開きました。魔力を大きく使う浮遊魔法は引っこめて、風魔法で翼に力を与えます。

 トキトがドッケの風景を想像します。

「シルミラの南で見た時より、でっかく見えるよな、カルバ・エテラ。ドッケまで勧めば、目の前であの景色が見えるのかー。そりゃ、すげーな。マンタの泳ぐ水槽より何倍もすげえ迫力ってことだよな!」


 こうして、行き先の風景も、見ることができました。

 イワチョビが見た映像がドンキー・タンディリーの記録に残って、これから進む道の助けになることでしょう。

 イワチョビをともなった三人は、ドン・ベッカーのウインから合流地点の連絡を受けてそちらに向かいます。グーグー族の小さな集落にほど近いワジの底に、ドン・ベッカーを潜り込ませるように隠して停止。そこが合流地点と決まりました。

 バイ通信からウインの声が聞こえます。

「カルバ・エテラの墜落ついらくのことを考えたら、三十分以上飛んでいると、ドロモ・ゴーレムに見つかる可能性があるからね。時間をかけずに合流を目指したいんだ。できるかな?」

 カヒが合流地点を感知できたようです。トキトとアスミチに、場所がわかったと告げて、カヒが答えます。

「感知できたよ! 何分かで合流、できるじゃろー!」

 トキトとアスミチがぷっと吹き出します。

「おわっ、カヒもルシアさんの真似してるよな」

「ルシアさん、かなり個性的な人だったよね」


 古着が風にはためくバタバタという音を耳でとらえながら、三人の翼は約束の地点に向かいます。ゆるやかに方向を変えて、地上に。


 ハートタマの声がします。

「アリミツで甘いミルクってのも、いいかもな。オイラ、それを希望するぜ、キョーダイ!」

 思念ではなく、バイ通信を使ってみたようです。


 たっぷり手に入ったアリミツを、大事な仲間に届けるため、探検チームは荒野に降りてゆきます。

 トキト、アスミチ、カヒ、イワチョビの四人だけのつかの間の冒険が、終わります。


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