第18話:清玉上人(4)

●光秀の前に立つ


本能寺の変の翌日、京都の通りには異様な空気が漂っていた。明智光秀が、この変で討ち取られた者たちの首実検を行っているという報せが届いた。許し難い裏切り者。私の血は沸騰し、愛する兄弟であり親友を奪われた憤怒が胸の奥で渦巻いていた。しかし、今ここで感情に流されることは許されない。私は行かねばならなかった。 早朝一番で、昨日炎の中に飛び込んであちこち焦げたままの袈裟を纏い、私は僧侶数名を引き連れて光秀の前に毅然と立った。


「明智日向守殿。この度の戦で命を落とされた、本能寺と二条御所のすべての戦死者を、我ら仏門の者が引き取り、弔わせていただきたい。」


私の言葉に、光秀の動きが止まった。その目に一瞬、驚きと、そして深い困惑の色が浮かぶ。 沈黙が場を支配した。平然と接するつもりだったが感情は押さえられなかった。 きっと私の視線は光秀を射抜き、内に秘めた激しい感情が、言葉にはならぬ圧力となって彼に迫っていたのかも知れない。光秀は、私をじっと見つめていたが、何かに気づいたかのように、彼の顔から血の気が引いていくのが分かった。己が血眼になって探しているものを、この私がすでに確保している──。その事実に気づいたのだろう。信長の死だけは、これで確信せざるを得ないはずだ。


光秀は、苦渋に満ちた表情で、まるで喉から絞り出すように呟いた。


「……すまぬ……わかった。」


彼は、悔しげに唇を噛み締めたが、結局は私の要求をのんだ。私は、全ての遺体を阿弥陀寺へと運び入れ、丁重に葬儀を執り行った。



●秀吉、切なる要求と苛立ち


それから間もなく、羽柴秀吉が阿弥陀寺へと現れた。山崎の戦いで光秀を討ち、信長の仇討ちを果たしたという報せは、すでに都を駆け巡っていた。彼の顔には疲労が見えるものの、その目にはぎらつく野心が隠しようもなく宿っていた。だが、私にはもう一つ、気になることがあった。なぜ、あれほど素早く、都合よく、秀吉は光秀を討てたのか。信長が倒れて間もないこの混乱期に、すべてが仕組まれたように事が運んでいるように感じられたのだ。


秀吉は私を見るなり、深々と頭を下げた。


「清玉上人、この度は、誠に大儀でございました。上様の御無念を晴らしてくださり、感謝に堪えません。」


その言葉は丁寧だった。しかし、その奥に潜む計算が、私には手に取るように分かった。信長の弔いという大義名分のもと、彼は自らの権威を確固たるものにしようとしているのだ。


「然ればこそ、上人様にお願いがございまする。来るべき大徳寺での上様の御葬儀、それに際し、何卒、御遺骨をお移し申し上げたく存じます。天下に、信長様の偉大な御功績を称え奉り、その御威光を改めて示し奉るためにも、どうしても、御遺骨が必要なのです。」


秀吉の言葉は切実さを帯びていた。普段の軽薄な調子は影を潜め、私に懇願するような、必死な響きさえ感じられた。彼は、信長の「偉大な功績」という言葉を二度繰り返した。それは、信長への敬意というよりは、その功績を自身の「後ろ盾」として利用したいという、見え透いた欲求の表れであった。


私は静かに首を横に振った。


「はて? 秀吉殿、何を仰せられますか。上様の御遺骸は、いまだ行方が知れず、天下の者が皆、心を痛めていると伺っておりますが。 この阿弥陀寺に、そのような大事なものがあるなどと、一体どなたがおっしゃったのでございましょうか?」


私のとぼけた問いに、秀吉の顔に明確な不快と焦りの色が浮かんだ。


「いや、上人様! 何を戯言を申されまする! 上様の御遺骸が、この阿弥陀寺にあることは、この秀吉が確と掴んでおりまする! なぜ、そのようなご存じないふりをなさるのです!」


彼の言葉遣いは、やや崩れてきている。私を恐怖の対象としていないことが窺える。


「上人様、いかがなされまする? これほどの混乱の中、上様の御威光を示す場を設けることは、織田家の結束にも繋がるかと。天下の誰もが、信長様の御葬儀に、その御遺骨が在ることを望んでおります。」


「秀吉殿。死者を政治の道具とするは、仏の道に背く。上様は、生前よりそのような虚飾を嫌われた方。今さら、形ばかりの葬儀で、その魂が安らぐとでもお思いか。それに、秀吉殿、実はな、上様と若様、そして本能寺と二条御所で命を落とした全ての者たちの葬儀は、すでにこの阿弥陀寺にて、滞りなく済ませておりますゆえ。 真に信長様の偉大な御功績を称えたいのであれば、今すぐ現在の混乱している状況を平定し、民を安んじることこそが、上様の御遺志に応える道ではござらぬか? それにこれまで上様と私は天皇より東大寺の再建を託され、領民と共に費用を捻出し、心血注いで集めていたのだ。今回の事では、それを途絶えさせてしまったのだ。貴殿は事の重要さをどこまで理解しているのか?」


私の言葉を聞いた秀吉の目が、一瞬、ピクッと鋭く光った。彼の口元が、わずかに笑みの形を刻んだように見えたが、それはすぐに消え去った。


「そして、貴殿は、この本能寺の変の報を、いかにしてこれほど速やかに知り得たのか。また、いかにしてかくも素早く、光秀を討てたのか。まさかとは思うが、明智の残党を捕らえ、この阿弥陀寺に上様の遺骸があることを、無理やりにでも聞き出したとでも? すべてがあまりにも、都合が良すぎるとは思いませぬか?」


私の言葉に、秀吉は目に見えて動揺した。顔色を変え、一瞬言葉を詰まらせた。彼は、私がこの出過ぎた問いかけをすることに、予想していなかったのだろう。私は、彼の動揺から、私の疑念が的を射ていることを確信した。明智光秀の裏切りは許しがたいが、その裏に秀吉の関与がなかったとは、とても思えなかった。


「上人様、それは……何を仰せられる! わしはただ、上様の仇を討つ一心で、がむしゃらに駆けつけただけじゃ! そこに、何の裏があるというのか!」


秀吉の声には、苛立ちと焦りが混じっていた。敬語も崩れ、彼の本性が露になりつつある。


「不審の念を抱くのは、秀吉殿の心が下賤なればこそ。真に信長の魂を弔うのであれば、世間の目を気にする必要などない。私はこの寺で、上様と若様、そして全ての犠牲者の魂を、静かに弔う。それこそが、仏の道であり、上様の望まれることであろう。それに、秀吉殿のこの『どうしても欲しい』という執着は、信長様への報恩のためか、それとも、ご自身の立場を天下に示したいがためか。仏の目から見れば、その二つは、お見通しでございますぞ。上様ならば、そのような見え透いた真似を、最も嫌われたはず。秀吉殿は、まるで上様の本質を理解しておられぬようだ。」


私は、清玉上人としての覚悟と、信長の数少ない理解者であり、本音で語り合える存在であった者としての矜持をもって、断固として遺骨の引き渡しを拒んだ。秀吉は、その場ではどうすることもできず、悔しげに唇を噛み締めた。その瞳の奥には、抑えきれない怒りと、私への深い恨みが渦巻いているのを、私ははっきりと感じ取った。彼の動揺は、私の疑念が、彼にとって最も触れられたくない核心に迫っていたことを示していた。


秀吉は、私を睨みつけ、吐き捨てるように言い放った。


「上人様! この羽柴秀吉が、御遺骨を引き渡すまで、何度だってこの阿弥陀寺に足を運ぶことになろう! そのつもりで覚悟召されよ!」


そう言い残し、彼は嵐のように立ち去っていった。



●回顧録:積み重なる恨み、そして遠い日の追憶


その時の秀吉の顔を、私は今でも鮮明に覚えている。あれから、どれほどの歳月が流れたであろうか。阿弥陀寺の軒端をたたく雨音を聞きながら、私は薄れゆく意識の中で、あの日の出来事を、そして信長様との日々を、まるで昨日のことのように思い出していた。


大徳寺での信長様の葬儀は、盛大に執り行われた。しかし、そこに信長様の遺骨はなかった。秀吉は自身の権威を誇示しようと躍起になっているようだったが、私にはそれが空虚なものに映った。人々は彼の振る舞いに熱狂し、新しい時代が訪れる予感に浮き足立っていたが、私にはその華やかさの裏に、底知れぬ権力欲と、それに伴う闇が見えた。


そして、やがて私は知ることとなる。信長様が天皇より東大寺再建の御志を受け、民の一文一文を心血注いで集められたあの尊い浄財が、秀吉の手によって奪い取られ、彼の京都に築かれた壮大な方広寺大仏殿の費用へと流用されたということを。奈良の東大寺の再建が大きく遅れたのは、このためであったのだと。あの折、信長様の東大寺再建の御志とそのための資金について、秀吉が初めて知ったのかもしれぬ。彼には、信長様の真意などどうでもよかったのだ。ただ、その資金が、己の天下を示すための道具としか映らなかったのだろう。実際、大徳寺での葬儀を行った後、この私に、今度は秀吉の領地から引き続き資金の取りまとめ活動を続けて欲しいと言われていたのも、考えてみればそういうからくりだったのだ。 秀吉は、信長様の遺志を継ぐどころか、その信念までも踏みにじった。私の予感は、確信へと変わった。


秀吉は、私の拒絶と、あの日の問いかけを決して忘れることはなかったのだろう。彼の瞳の奥に宿る、深い恨みは、私がこの阿弥陀寺で信長様を守り続ける限り、消えることはなかったに違い無い。そして、案の定、京都の街の再編と称して最初に阿弥陀寺は京都の北の端へと追いやられた。かつての跡地には、秀吉自身の権力の象徴である聚楽第が築かれたが、それは信長様の痕跡を消すというより、私清玉という、己の権威を傷つけた存在を、いの一番に遠ざけようとした、秀吉のねじくれた意趣返しであったに違いない。


寺領も殆ど無いくらいに削られたのも、あのときの事がいかに悔しかったかを表しているのだろう。信長様達には狭い思いをさせて申し訳ないが、あの世で土下座でもして詫びるとしよう。


しかし、皮肉なものだ。秀吉のこの行いこそが、結果として信長様と若様の御霊を、彼の政治利用から遠ざけることになったのだから。木を隠すには森の中──まさしく、その通りであった。世間の耳目から離れたこの寺町の片隅で、信長様の真の安寧は守られたのだと、私は信じて疑わない。


この世は因果応報。秀吉への天罰は、いずれ下るであろう。


それでも、私は後悔していない。信長様と信忠様、そして本能寺の変で命を落とした全ての魂のために、私ができることは、彼らの安らかな眠りを守り抜くことだった。それが、信長様の本音を理解し、その魂を守ることを誓った、私、清玉の最後の務めであったから。


未来への不安はあったが、私は静かにこの地で、信長様たちの魂を見守り続けた。信念は揺らぐことはない。私の役目は、死者の尊厳を守り抜くこと。それが、この乱世を生き抜く私なりの、ささやかな抵抗であった…


さてそろそろ…眠くなってきた…


語りたいことが…山程ありまする…


信長さま…今か……ら…


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