第9話 ギルエッタ隊、嫉妬する

 兵舎から少し離れた場所にある『王都防衛兵団』専用大浴場は、訓練を終えた多くの女性たちでにぎわっていた。石造りの広々とした空間にはムッとするような熱気ある空気が充満し、びた銅管どうかんから勢いよく流れ出ている水を、彼女たちは思い思いに全身に浴びている。

 流れ落ちた汗や土埃、乾いた血などが床の溝に洗い流される。石鹸の泡や抜け落ちた体毛などが、排水溝にどんどん吸い込まれていった。


 一日の疲れを洗い落とす為のの空間。お湯の張られた広い浴槽に浸かり、知り合いと楽しそうに談笑している者の姿もある。”裸の付き合い”とはよく言ったもので、数多くのコミュニケーションが生まれるいこいの場所なのだろう。


「はやくはやくはやくはやく……!!」

「ああっ、誰かブラシ貸して!! 部屋に置いてきちゃった!」

「ねぇねぇ、汚れ落ちたかなぁ? ちょっと、よく見てってば!」


 その中にとは程遠い集団がいた。

 第三遊軍のメンバーである。彼女たちは一心不乱に身体中の汗と土汚れを落としていた。少しの洗い残しも許さない、執念じみたものまで漂っている。


「ふっ、日頃から鍛えていれば地面を転がることもない」

「うわぁ、投げ飛ばした張本人ギルエッタが何か言ってるよ」


 少し離れた場所、並んで水を浴びているのはギルエッタとネッサである。浴室でも褐色の身体は目立っていた。汚れを落とし、いつも以上に丁寧に洗った身体は既に清潔なのだが、それでもギルエッタは水を浴び続けている。

 理由は単純だ。エリオの姿を見てから彼女の身体は火照ほてり続けていたのだ。早くエリオに会いたい、言葉を交わしたいとの思いは誰よりも強いが、今のままでは訳の分からない事を口走ってしまいそうで怖い。冷静になる時間が欲しい。


「ネッサ、良い匂いがしているな。新しい石鹸を買ったのか?」

「お、バレたら仕方がないですなぁ。たいちょーにも貸してあげよう」


 偵察役のネッサはオウルとの混血である。ハーピィほどではないが、彼女の全身もフワフワとした羽根に包まれていた。そのため水に濡れると羽根が身体に張り付き、一気に貧相な姿になってしまうのだ。


「んじゃお先、たいちょーも早くしなよね」

「おい、身体がびしょびしょじゃないか。拭くの手伝うぞ?」

「今日は熱風のサービスで乾かすから良いよ。高いけど仕方ない」


 ポタポタと水滴を落としながら脱衣所に向かうネッサ。『熱風で身体を乾かす? あんなん稼いでる第一遊軍のやつらの自己満足っしょ。あー、シネシネ!』と日頃から文句を言っていたネッサからすれば、珍しい選択である。それほど今回、エリオとの対面に賭けている姿勢が垣間かいま見えてしまうのだった。


◇◇◇


 ネッサの石鹸のおかげで身体から爽やかな匂いがする。着替えも生地きじが傷んでいない、新品同様どうようのものにした。とは言え今まで、動きやすいという判断でしか服を選んで来なかった事を後悔する。ネッサは身体に似合った可愛らしい私服を持っているし、レオドリスも目を引く柄物がらものだ。今度の休みの日、エリオが喜んでくれそうな私服を買いに行こうかな。その前に好みを聞かないと。


「すまん、待たせてしまったな」


 身体は何度も洗ったし、汗臭さもないはずだ。エリオの前に立つに相応ふさわしい姿になったギルエッタは、自信満々に兵舎の扉をガチャリと開いた。


「あっ、おかえりなさい」

「ギルエッタ、早かったな」


 目の前ではエリオと副隊長のルールーが楽しそうに談笑している姿があった。そうだそうだ、全員が大浴場に行ってしまったら誰がエリオの相手をするんだろうか。その事をすっかり忘れていた。ルールーにはいつも世話になっている。感謝しかない。だからこそ、二人っきりで楽しそうに会話をしていた事は許そうじゃないか。別に私も狭量きょうりょうな性格をしているわけではない。『抜け駆け』とか『裏切者』とか言うつもりはない。それくらい、私もわきまえている。


 ギルエッタの脳裏に様々な感情が渦巻いた。

 しかし彼女は隊長である。すべてを飲み込み、笑顔を浮かべた。


「ああ、エリオ。そう言えば、」


 ギルエッタの頭が真っ白になる。

 二人が談笑しているだけならまだ良かった。しかし兵舎に足を踏み入れた事で、エリオが誰かをしている事に気付いてしまった。顔がタオルで覆われているので誰だか分からないが…………いや、雰囲気で分かる。このはモニコか!!!!

 

「………………おい、モニコ」

「ギルエッタさん、聞きましたよ。隊長として、第三遊軍を厳しく鍛えているんですね。ルールーさんもモニコさんも『隊長は厳しいけど、それは優しさの裏返し』って言っていました。ギルエッタさんの身体も引き締まってるし、自分にも他人にも妥協しない立派な人なんだって、改めて思いました」

「あ、ありがとう…………」


 モニコに対する不満をぶつけようとした瞬間、エリオから褒められた事でギルエッタの情緒じょうちょは訳の分からない事になっていた。膝枕をされているモニコとエリオに交互に視線が向かう。文句を言いたいのに、エリオの甘い言葉に逆らえない。言葉を失い、乙女のようにモジモジとしてしまうのだった。


◇◇◇


「エリオさんはまだいらっしゃいますか?!」

「わーん、遅くなって申し訳ありませんでした!!」


 恥ずかしそうに頬を染めているギルエッタ、エリオに膝枕をされ呼吸が荒くなっているモニコ。そんな二人の様子を呆れた目で見ているルールー。兵舎に広がる何とも言えない雰囲気が消え去ったのは、大浴場から戻って来た皆のおかげであった。


「モニコさん、皆さんが帰ってきましたよ」

「ふにゅう……。エリオ様が平気なら、ずっとナデナデしててくだしゃい」

「……えっ? あ、ごめん。無意識に撫でちゃってたみたい」

「エリオ様の手、暖かくて幸せいっぱいになっちゃいましたぁ」


 モニコは未だに自分の世界にひたっているらしい。顔がタオルに覆われているので表情は分からないが、人前に出せないほどにとろけているのは想像にかたくない。


「ちょっとモニコ! 不敬だよ!」

「エリオさんのお膝が汚れちゃう! ほら、早くどいて!」


 足を引かれたモニコは横たわっていたベンチから落ち、頭をゴチンと床にぶつけた。「うわぁ!」とエリオが驚く声を上げるのだが、そのままモニコは床をずるずる引きずられ、ロッカーの陰に回収されていくのであった。


「……エリオ、先ほどの膝枕は一体なんなんだ?」


 どうにか「私にもしてほしい」という言葉をギルエッタは飲み込んだ。そもそも、どうしてエリオとモニコがイチャイチャしていたのか理由が分からない。ルールーも見ていたなら止めるべきだろう。まったく、エリオは私に用があってきたはずなのだ。他の女と仲良くしている姿なんて、絶対に見たくない。


「膝枕って言うより、目の下にクマが出来るほど疲れていたみたいなので、顔のマッサージをしてあげただけですよ」


 笑顔で返事をするエリオなのだが、そもそも目の下のクマの原因はハードな訓練ではない。発情したため徹夜で身体を慰めていただけなのだ。ついでに言うと発情した理由は古代機械レガシーから聞こえたエリオの声である。夢にまで見たエリオとの交流を果たしたモニコに、思い残す事はもうないだろう。


 そして、ギルエッタは己の胸が痛むことを感じた。エリオのマッサージは自分だけに与えられる特別な行為ではないようだ。そもそも膝枕なんて、自分もしてもらえていない。いつの間にかエリオとモニコは仲良くなったのだろうか。自分の知らない場所で二人が逢引あいびきしているなんて、考えたくもない!


「エリオ、私にマッサージをしてくれる話だったが……」

「そうですね。それならイスに座ってもらえますか?」

「わかった。こ、これでいいか?」


 不安な気持ちを誤魔化すように話を本題に戻せば、エリオはテキパキと準備を始めた。今回はベッドに横たわらなくて良いらしい。その事にギルエッタは安心した。あの時みたいに優しい言葉をささやかれ、全身を優しく触られたら、部下の前で威厳いげんを保つことなんてできなくなってしまう!


「では、失礼しますね」


 イスに座るギルエッタの前に、エリオがひざまずいた。


「きゃあ、お姫様を誘う王子様みたい!」

「ずるい、隊長ばっかり羨ましいな……」

「ほら見て、隊長の嬉しそうな顔!」


  途端、歓声が湧き上がる。予想外の盛り上がりにエリオは苦笑いをしてしまう。王子様がどうとか、物語がどうとか、エリオは自分がそういうがらじゃない事を自覚している。そういう目で見られると、恥ずかしくてやりづらい!


「ふむ、興味深いな。近くで見ても良いだろうか」

「あっ、ルールーさん。どうぞどうぞ」

「先ほどモニコ君にもおこなっていたが……」


 施術が始まるのか、エリオの表情が真剣なものに変わる。ギルエッタの靴が脱がされ、厚手の靴下の上から強めに脚を揉まれる。ふくらはぎから始まり、膝回りや足の裏を丹念に揉みほぐされる。痛みなのか快楽なのか、足先から感じる快楽をどうにか表情に出すまいと、ギルエッタは歯を食いしばりながら耐えていた。


「男の人に足を揉まれてる隊長の顔、かわいい」

「必死に耐えてるみたいだけど、赤くなってるよね」

「う、うるさい、黙れ!」

「私も男の人に、あんなに荒々しく触られたいな……」

「これエリオさんに頼めばワンチャンある感じ? 声かけてみようか」


 兵舎の盛り上がりは、エリオの耳に届いていない。目の前のツボや筋肉、血流に意識を集中させているのだ。慣れた施術は早々に終わってしまうのだが、ギルエッタの「もっとれてほしいな」という欲望以外に不満はなく、満足のいく結果に終わるのだった。


「ふぅ、ギルエッタさんの身体は揉みごたえがあります」

「そ、そうか。触りたくなったらいつでも言ってくれ。あとはそうだな、エリオの都合が良ければ、これからも第三遊軍の兵舎に顔を出してもらいたい。皆のモチベーションに繋がるだろうしな」


 ここで「他の皆にもマッサージをしてあげてくれ」と言えないギルエッタなのである。本当だったらエリオが他の女性と楽し気に話している姿も見たくはないのだが、そこまで縛る権利は自分にはない。重くて面倒な女と思われ、嫌われたくもない。


「たいちょー! そろそろ私の紹介をしてくれても良いんじゃないのか!」

「えーっと、今は自由行動で良いのか? え、エリオさん。アタシの名前はレオドリスって言うんだけど……」

「あっ、抜け駆け警報! 抜け駆け警報! 衛兵を呼べ!」

「食事、食事会を開きましょうよ! 私たちにもチャンスを!」


 エリオとギルエッタの交流を黙って見ていた仲間たちだったが、それが終われば遠慮はいらないだろう。ここぞとばかりに声を掛けられるのだが、女性の圧に圧倒されたエリオは「あはは……」と愛想笑いを浮かべるだけになってしまう。


「あれぇ、エリオ様のナデナデは終わりですか???」


 ふと、ロッカーの陰からモニコが顔を出す。不思議そうな表情をしているが、エリオの姿を見るやいなや嬉しそうに駆け寄り、抱き着いてしまうのだった。


「エリオ様、もっとナデナデしてください」

「えっと、別に撫でてたわけじゃないんだけどな……」


 途端とたん、エリオも感じるほどに空気が変わってしまう。明るい雰囲気はりを潜め、嫌悪感のような禍々まがまがしい圧が兵舎の中に渦巻き始めるのだった……。


「おいモニコ、エリオから離れろ。困ってるじゃないか」

「モニコ君、勘違いはしない方が良い。エリオ殿はキミの体調を癒すために手を差し伸べてくれただけなんだ。あまり迷惑をかけるもんじゃない」

「うう、ごめんなさい……」


 隊長と副隊長に叱られ、しょんぼりするモニコ。

 しかしエリオはその姿を、突然に思い出してしまうのだった。


「あっ、シバスケ! モニコさんってシバスケに似てるんだ!!」


 エリオの記憶に蘇る思い出。

 茶色で耳の垂れたシバスケ、いつも困った顔で自分を探していた。甘えん坊で撫でられるのが大好きな飼い犬の記憶は、大事な家族との思い出である。


「なんだろう、毛の色もだけど、雰囲気が似てるんだなぁ!」

「エリオ、記憶が戻ったのか?!?!」

「え、エリオ殿? その、シバスケというのは……」

「あっ、えっと、飼ってたペットの事だけ思い出しました……。その、他の事は全然ダメなんですけど、えっと、ごめんなさい」

「エリオの飼っていたペットか。探し出せたら記憶を取り戻す助けになりそうだな。ルールー、他の部隊にも連絡を入れておいて欲しい。捜索隊を編成できるか?」

「エリオ殿の名前を出して司令部に言えば可能だろう。任せておけ」


 自分の為にやる気を見せるギルエッタとルールーの姿を頼もしく思うエリオだったが、そもそも『シバスケはこっちの世界に迷い込んでいない』だろう。いくら探しても、無駄になってしまう。それはさすがに申し訳ない。エリオは口にする。


「ごめんなさい。シバスケにはもう会えないんです……」

「むっ、そうか……。辛い事を思い出させてすまなかった」

「いえ、俺の為にありがとうございます」


 シバスケの話はこれでおしまい!

 とはならず、予想外の爆弾が落ちてくるのであった。


「じゃあエリオ様、私の事をシバスケさんだと思って可愛がってくだしゃい……。あの、私じゃ代わりにならないかもしれませんけど、エリオ様の心が癒されるなら、私なんでもしましゅから……えへへ……」

「おいモニコ! ふざけるのもいい加減にしろ!」

「ふ、ふざけてないです! シバスケさんに似てる私なら、エリオ様の心をもっと癒してあげられます! 私と隊長、エリオ様が安らげるのはシバスケさんに似ている私のはずです!」


モニコがチラリとエリオを見る。


「そ、その点については否定ができない。確かに膝枕をしてた時の感じ、シバスケを撫でてた時に似てた気がするし、なんならお日様の匂いもシバスケっぽくて安心しちゃってて……」

「え、エリオ。私よりモニコを選ぶのか…………?」


◇◇◇


 呆然自失なギルエッタが限界になっている事にルールーは気が付いた。

 本人は押し殺そうと努力しているようだが、怒りと悲しみの感情が漏れ出てしまっている。「ギリっ」と奥歯を噛みしめる音が聞こえ、視線を向ければもワナワナと震えていた。


 どうやらギルエッタは本気でブチ切れているらしい。このままだと大変なことになってしまう。そもそもエリオの目の前でモニコと揉めたら、彼がどう思うか、それを考える余裕もないらしい。仕方がないが、私が場を収めるべきだろう。


「さて、冗談は終わりだ。おいモニコ、そろそろ私たちも汗を流そうじゃないか。この後、みんなで夕食に行くのかい? それならギルエッタ、みんなと場所を決めといてくれたまえ」

「ルールーさん、私まだエリオ様と……」

「はいはい、一緒に頭を冷やしに行こうなぁ」


 モニコの背中をグイグイ押して兵舎から退室する。何かを言いたそうな顔をしていようが私には関係ない。もう知らん。ギルエッタの機嫌は他のみんなでどうにかしてくれ。彼女も子供じゃないはずだ。楽しい食事会にしたいものだねぇ。

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