うつりぎの術③

 月の無い漆黒の闇夜だった。

 女は臥所から身を起こすと、床に脱ぎ捨ててあった着物に袖を通した。

 身支度を終えると、女はすやすやと寝息を立てている男を見下ろして、にやりと残酷な微笑みを浮かべた。

「誰か~! 誰かある――⁉ 狼藉物じゃ~! 出会え、出会え~‼」女が声を上げた。

「御台様が一大事じゃ――!」

 廊下を駆けて来る武者たちの足音が聞こえた。寝ずの番で、屋敷を警護している武者たちだ。

「御台様! 御免‼」からりと襖を開けると、どかどかと武者たちが部屋になだれ込んで来た。手に槍や刀をひっさげている。「御台様!」、「ご無事でしたか!」と口々に叫ぶ。

 臥所で寝ていた男は、武者の乱入に驚いて、半身を起こすと、「きゃあ――!」と女のような悲鳴を上げた。そして、自分が半裸だと気がつくと、慌てて胸元を押さえた。

「不届者じゃ、この者を取り押さえよ!」

 御台と呼ばれた女が臥所で茫然としている男を指さす。

 武者たちが、わっと男に群がった。

「わらわの寝所に夜這いをかけてきた不届きものじゃ。即刻、腹を切らせよ。押さえつけででも、腹を切らせるのじゃ!」

 御台が叫ぶ。狼藉者は取り押さえられた。

「な、何をするのじゃ~! わしじゃ。御台じゃ。おぬしら、分からないのか~⁉」男が叫ぶ。

 男の声をかき消すかのように、御台が叫び続けた。「何を愚図愚図しておる。早く、この者を連れ出せ。庭に連れ出して、首を撥ねよ!」

「おぬしら、こんなことをして、ただで済むと思うな! わしを誰じゃと思っているのか~‼ 鎌倉殿に弓を引くつもりか~!」

 武者たちに引きずられて、男が部屋から連れ出された。

 正治二年、時は鎌倉時代。源頼朝の長子、二代将軍、頼家の治世が始まっていた。

 世良田兼清は尼将軍と呼ばれた北条政子の寝所に夜這いをかけた不届きものとして、その夜の内に首を斬られた。

 世良田は政子のお気に入りであったので、この事件に驚いたものが少なくなかった。夫、頼朝が亡くなって一年、髪を降ろした政子であったが、世良田との仲を疑うものが多かったことから、生贄にされたのではないかと噂された。情事が露顕したことを知った政子が世良田に罪を着せて口を封じた――そう人々は陰で噂した。

 世良田は頼朝の不興を買い、遠ざけられていた新田家の家人だ。首を撥ねようが、政子に文句を言うものなどいなかった。

(ふふ。先ずは政子を始末してやった)

 鎌倉幕府のある大蔵御所の奥深く、御台所として鎮座する北条政子は満足気な微笑みを浮かべた。

 そう、北条政子は斎藤平九郎が成り代わった姿だった。

 政子に辿り着くまでに、平九郎は何人もの男女にうつりぎの術を使った。男から女へ、そして女から男へと成り代わりながら、北条政子へ近づいて行ったのだ。そして、世良田へ成り変わり、政子と臥所を共にすることに成功した。

 斎藤平九郎は奥州清川の斎藤氏の家人だった。いや、正確には下男に過ぎなかった。斎藤家で下男として働いていた時は、平吉と呼ばれていた。

 源頼朝が平氏打倒の旗を上げると、奥州藤原氏に庇護されていた源義経は兄のもとに馳せ参じた。伊豆で挙兵した頼朝のもとへ急ぐ義経は、途中、清川の斎藤家に立ち寄った。その際、岩のような体躯をした平吉をいたく気に入った。

 義経は斎藤家の当主に掛け合って、平吉をもらい受けた。そして、平吉に向かって「下男にしておくには惜しい男よ。これからは我が家人となれ。そして、存分に武功を挙げよ。そうだ。平吉では人に侮られよう。斎藤を名乗るが良い。名は・・・そうじゃな・・・我が名、九郎を与える。平吉と合わせ平九郎と名乗るが良い。斎藤平九郎、それが今日からそちの名じゃ!」と言った。

「あ、ありがたき幸せ――!」

 平吉は斎藤平九郎となった。

 義経の郎党となった平九郎は、天にも昇る気持ちだった。そして武芸に励んだ。平九郎はめきめき腕を上げた。

 以来、平九郎は義経の側近く仕え続けた。義経自身、常に先陣を切って戦うような男だった。当然、平九郎も最前線で戦い続けた。京の都の覇権を巡る木曽義仲との戦い、平家との一の谷の合戦、壇之浦の合戦、平九郎はその勇壮たる体躯で戦場を駆け回り、弓を射て、槍を振るった。

 平九郎が弓を得れば百発百中、槍を一閃すれば、数人の武者がなぎ倒され、吹き飛ばされた。義経は平九郎の武勇をこよなく愛した。

 頼もしい仲間たちにも恵まれた。

 平九郎にいにしえの漢の宰相の故事を教えてくれたのは、武蔵坊弁慶という僧兵だった。学識は勿論、武勇の点でも、平九郎は一目置いていた。

 山賊上がりの伊勢三郎義盛という気の良い男もいた。

 この頃が平九郎にとって、人生の絶頂期であったと言っても過言ではない。

 だが、義経はあまりに鮮やかに勝ち過ぎた。武勇に劣る兄、頼朝にその才を疎まれた。やがて兄と対立、追討を受け、都落ちし、奥州の藤原氏を頼って落ち延びた。そして奥州で滅んだ。

 衣川館で藤原泰衡の襲撃に遭い、義経は自らその生涯を閉じたが、自害する直前、平九郎を側に呼び寄せた。

「そちならば、この囲いを脱することができよう。兄者に一言、恨み言を言いたかった。館より落ち延び、我が恨みを晴らせ。良いか。そちは生き延びるのじゃ」と申しつけた。

「殿、義経の殿、ご無体な。あんまりでございます。どうか平九郎も死出のお供に加えてくだされ」平九郎は泣いて頼んだが、義経は「せんなきこと」と供をすることを許さなかった。

 平九郎が生粋の武士でなかったからかもしれない。

 平九郎は泣く泣く衣川館を抜け出した。そして、炎に包まれた衣川館を目に焼き付け、頼朝への復讐を誓った。

 あれから十年、頼朝の命をつけねらったが、平九郎の身分では側に近づくことさえできなかった。空しく時を過ごす内に、頼朝が急死してしまった。「九郎の殿、殿の恨みを晴らすことができなんだ」と言って、奥州の空を見上げながら激しく泣いた。

 その直後、平九郎は老爺より“うつりぎの術”を伝授された。

 平九郎は義経の復讐を諦めた訳ではなかった。将軍の座は頼家に譲られた。頼家を亡き者にして、義経の無念を晴らすことを考えた。平九郎は“うつりぎの術”を駆使し、鎌倉殿の側近に成り代わることで頼家に近づこうとした。

 そして、ついに頼家と最も近い人物、母、政子へと成り代わることに成功した。

(さて、ここからだ)政子に成り代わった平九郎は気を引きしめた。

 頼朝の代わりに、息子の頼家に死んでもらわなければならない。

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