🌿第6話 鮎喰川サウンドセッション
夕暮れが、鮎喰川の水面を金色に染め上げていた。
山の端に陽が隠れ、川辺に広がる風景は柔らかい藍色に溶け込んでゆく。川沿いの小道に立つ陽菜は、微かな風に髪を揺らし、川のせせらぎに耳を澄ませていた。
「……ここなら、風の音も、川の声も、全部聞こえる……」
胸の奥で、小さなリズムが芽生えた。ラップのフレーズでも短歌でもない、もっと素朴な、言葉の音が心に響く。蓮の理屈を聞いたあと、陽菜は無性に、この場所で自分の声を試したくなった。川と風と、自然の音に包まれた場所でなら、自分の中にある「言葉」を、もっと自由に解き放てる気がしたのだ。
「やってみる?」
背後から、蓮の声がした。振り返ると、彼は手に小型のポータブルスピーカーを持って立っていた。
「これ、音楽流せるから。ビートだけ作って、即興で……ラップ、やってみない?」
陽菜は驚いた顔を見せ、けれど目を輝かせた。
「えっ、ええの?」
「うん。ここなら誰もいないし、思い切りできる。」
蓮がスピーカーをセットし、リズムを刻み始めた。低いベース音が鮎喰川のせせらぎと溶け合い、山の静けさに心地よく響いた。陽菜は一歩、川辺に踏み出し、深呼吸をした。
「……いくけんな。」
足でリズムを取り、自然に言葉を紡いだ。
「川の流れに 風がゆらり がいな声じゃ そいでも優しゅう 揺れる 揺れる 心の波を……」
阿波弁混じりのラップが、川辺に響いた。スピーカーのビートと川のせせらぎが重なり、風が彼女の声を乗せて運ぶ。蓮は、その声に目を見開いた。
《コダマ》のインジケーターが、一瞬、藍色の光を強く放った。川辺に置かれた端末のスピーカーから、微かなハーモニーが生まれる。低い電子音が、陽菜の声に呼応するように震えた。
「……AIが……ビートに反応してる……?」
蓮は思わず息を呑んだ。《コダマ》は、ただ命令を受け取るだけの存在ではなく、周囲の音、詠唱のリズム、感情の波を感じ取り、それを再構築しようとしていた。
陽菜は、川風に髪をなびかせ、次第に声を大きくした。
「ほなけんど、川は流れる、山は語る ここにおるんは、うちらやけん 言葉を風に、声を空に 届ける詠唱(うた)は、うちらのもんじゃ……!」
声が、川面を駆け抜けた。藍色の光が、スピーカーから発せられる音に呼応して波紋のように広がり、風が草花を優しく揺らした。蓮の目に、自然とAI、感情と技術が一つになる光景が映り込む。
「……これが、詠唱……」
蓮の声には、昨日までとは違う色があった。理屈や効率ではなく、心で感じる何か。陽菜の声と、自然の音と、AIの電子音が、ひとつのハーモニーを奏でる奇跡。それはまるで、山里が奏でる詩そのものだった。
音楽が止まり、風が二人の間を吹き抜けた。陽菜は照れくさそうに笑った。
「なんか、気持ちよかった……」
「……ああ。すごく……よかった。」
蓮は素直に答えた。二人は川辺に並び、ゆっくりと座り込んだ。陽菜の息が落ち着くのを待つ間、《コダマ》の端末から、静かに電子の揺らぎが響いた。まるで、感謝の言葉のように。
「ねえ……蓮くん。」
「……なに?」
「……うち、もっとこの町の詠唱を知りたい。もっと、みんなの言葉を聞きたい。そしたら、《コダマ》も、もっと優しい魔法を使えるようになると思うん。」
蓮は少し驚いた顔をした後、ゆっくりと頷いた。
「……そうだね。僕も、もっと知りたい。」
鮎喰川のせせらぎが、二人の言葉にそっと重なり、風に乗せて山へと運んでいった。空には宵の明星が瞬き始め、山の端に夜の気配が忍び寄っていた。AI《コダマ》は、その光と音を静かに記録し、次なる詠唱のために、心を澄ませていた。
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