第3話 JAへの依存体質

 さて、以前の農業エッセイ『それなら、君がやったらどうだい?』でも述べましたが、農家と言うものはJA(農協)に依存している部分が多々あります。


 JAに出荷して、農作物を売り捌いてもらう事です。


 このため、農家は自分で販路を確保するという手間から解放され、多くの時間を農作業に当てる事ができるようになっています。


 しかし、ここに大きな落とし穴が同時に存在します。


 つまり、“JA抜きでは農業が成り立たなくなっている”という事です。


 理由は先述しましたが、日本の農家の大半は“家族単位の零細農家”ばかりだという事です。


 戦後の『農地改革』の結果、大規模な豪農が消えてなくなり、小規模な自作農ばかりになってしまいました。


 大規模な豪農であれば、豪農一家が全体の統括をしつつ、事務方として販路を確保し、他の小作農(農業従事者)に農作業を任せるという、一種のプランテーション農場を形成する事ができます。


 大資本による大規模農園、効率化のためには最良と言えるでしょう。


 農業に限らず、あらゆる産業において効率化と言えば、大規模集約化、規格統一、機械化や自動化、大量輸送などが定石でしょう。


 しかし、それをやられると、困るのはJAなのです。


 零細農家は事務仕事に回せる時間が少なく、いちいち自分で販路を確保したり、輸送の手配をするのが難しい。


 なにより、細切れ輸送では運送屋も人手が足りなくなりますし、自分の都合の良い時に輸送してもらえるとも限りません。


 米ならば低温管理で保存する事も出来ますが、鮮度の落ちやすい野菜だとそういう訳にもいきません。


 そうした事を回避するのがJAであり、無制限の買い取りを行い、大型冷蔵庫を有して鮮度を保ち、その地区の農家から集荷した大量の農産物を、大型のトラックで消費地近くの卸市場に運び込む。


 これが中間業者の役目であり、それを担ってきたのがJAです。


 つまり、今までの農家はJAでなければ出荷できない。


 出来ても手間がかかり過ぎて、余程の付加価値のある産物でなければ、その時間に見合うリターンがない状態でした。


 一方、もし大規模農場が存在するのであれば、それこそ生産現場と事務方を分担する事により作業の効率化を図る事ができる。


 中間業者を挟む事なく、小売りと直結して販売する事も可能なため、より早く、より安価に品物を店先に並べる事が可能なのかもしれません。


 生産、経理、営業、それら全てを一人でやらないといけないのが零細。


 大人数で分業体制を築けるのが、大規模農場です。


 どちらが効率的かは、言うまでもありません。


 ネットで騒がれている、「中間業者を外せ!」とか、「JAを潰せ!」と言っている方々の理想像がコレなのです。


 しかし、そんな地域の中核を担える大規模農家など、ほぼ無いに等しい。


 なぜなら、それを潰してしまったのが『農地改革』であり、多数の農家(家族単位)を作り出してしまったからです。


 結果、JAに依存する体質が固まったと言える。


 これを改める動きもありますが、それを妨害しているのもまたJAなのです。


 JAにとって、そうした大規模農家の出現は農家の自身への依存度を下げる事になり、影響力を低下させる事になるためです。


 少し前ですが、JA出荷を控えるようになった農家に対して、色々と嫌がらせをする話を耳にした方もいるかと思いますが、それもこの流れです。


 出荷や物販は必ずJAでやれ、そう考える為ですが、そこには大きな理由があります。


 以前のエッセイでも述べましたが、“JAの農業部門は常に赤字”であり、その補填を金融部門で行っている、と。


 そここそ、大規模農場の誕生を阻止したいJAの思惑があるのです。


 自分もそうですが、“農場経営者”は必ずJAバンクのお世話になっています。


 自動車保険、火災保険、年金運用、農機具保険、色々と入っていますが、すべてJA共済で行っています。


 もちろん、出荷もJAで行っていますので、農業絡みの入金や出金もすべてJAバンクです。


 自分のような小さな農家ですら、年間数千万の金の動きがあるのですから、それが全国だと膨大な額になります。


 それがJAの力の源泉というわけです。


 しかし、それが“大規模農家”に置き換わるとどうなるでしょうか?


 自身で販路を確保するため、JAを通さなくなります。


 金の出し入れも限定的になり、場合によっては他の金融機関を利用するかもしれないです。


 そうなると“付き合いで加入している保険”の数々も、関係が希薄であればその件数は減ります。


 また、大規模農場で働く“農業従事者”はJAの世話になどなっていないので、関係はより希薄になります。


 仮に1家族4人として、計算すると、以下のような図式が成り立ちます。



 零細農家10軒! (40人)


 大規模農場1軒! (経営一家・事務方4人 + 農業労働者36人)



 関係者の人数自体は変わりませんが、10軒の農家全部が“農場経営者”であるのと、“農場経営者”と“農業労働者”に分離されるのとでは大いに違います。


 労働者は直接的にJAとの関係がないため、JA共済に入らない可能性が高い。


 “農業労働者”が給料をもらうのは“農場経営者”からで、JAから振り込まれるわけではない。


 しかし、全員がそれぞれの家族単位の農場を持っているのであれば、全員がJAと繋がっている事になり、そこに“付き合い”も生じる。


 JAバンク、共済を利用する、という形が出来上がる。


 つまり、“大規模農場”の登場は、JAの依存度を下げ、農家の自立を促し、JAが儲からなくなるのです。


 何度も言いますが、“JAの農業部門は赤字”であり、それを“金融部門で補填”して、体制を維持しています。


 なので、細切れ農家が大量にいる方が、JAにとっては儲かるという訳です。


 作業の効率化を考えれば、大型機械の導入や、大規模集約は産業の基本です。


 しかし、JAの視点から見ると、それは好ましい事ではない。


 大規模農場がJAを通してくれるのであればよいが、それはない。


 消費者との間に入る“中間業者”が少ない程、中間マージンが抑えられ、店頭価格にそのマージン分が乗らなくなる。


 当然、安くなります。


 『産地直送』の文字、それはJAにとっては“忌み語”なのです。


 農家の(JAからの)自立や大規模化は、顧客の減少に繋がり、JA全体を支えている金融部門の崩壊を意味します。


 なので、JAは全力で妨害してきます。


 農家はJAを通せ! さもないと……、とね!


 なお、農家の方も一方的にやられているわけではなく、場所によっては力関係の逆転現象が起きている地域もあります。


 自分の師匠がまさにそれ。


 自分も白ねぎ作りのイロハを教えてくれた農業の師匠がいるわけなんですが、そこの農場はとにかくデカい!


 白ねぎだけで億を稼ぐ大農場です。


 そうした力を持った農家は、地域に影響力を及ぼし、逆にJAに圧を加えるほどにまでなります。


 県知事とか、自民党総裁も、そこに“挨拶”に来てましたからね。


 マジで力を持った農家は凄い。


 大規模集約化が成され、そんなのがゴロゴロ現れたら、JAも立つ瀬がなくなりますからね。


 なので、JAは細かな農家がたくさんいる方が望ましいという事です。


 結果、農業の効率化はイマイチ進まず、もっと伸びてもいいはずの収量はなかなか増えない事情があります。


 なので「JAを潰せ!」はある意味で正しくもあるのですが、それには前提条件が必要!


 JAに代わる配送手配を賄える組織でも作るか、あるいは大規模集約化をして地域の中核を担えるレベルの大規模農場を作るか、いずれかが必要でしょう。


 しかし、時間的な余裕がない。


 なにしろ、農村に残っている農家の大半は、後付ぎや担い手のいない老人ばかりなのですから。


 大規模集約化?


 残念ながら、言うのが10年、20年遅いぞ!


 遅々として進んでいないのだからな!


 もう各地の農村には老人しかいないぞ!


 自分のいる地区は比較的若返りに成功した場所でもありますが、それでも厳しい事には変わりない。


 上手く若者を農業界隈に入れないと、本当に日本の農業は消えてしまいますよ!

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