昔話のその後で、俺たちは“本物の悪”を討ちにいく。――その童話、まだ終わってない。

桜大都

第一幕 桜花の国

第1話 影と桜花

 桜花の国――連合国家「日ノ本」の南端にある山深き小国。西洋の魔導器と東の霊術が混ざり合うこの地は、文明の狭間に咲いた混血の花だ。だが、花の根元に


は、決して語られぬ影が潜んでいる。

 

 俺がその"影"を狩るためにここへ来たのは、ただの偶然ではなかった。



十二年前――


 連合国家「日ノ本」の特別機関、秘密警邏府。その中でも俺が任されていたの

は、潜入任務専門の"夜班"だった。名もなく、顔もなく、国家の影として暗躍する者

たち。俺は、そこで最年少記録を持つエリートだった。

 

 

 任務内容は多岐にわたった。反政府勢力への潜入、外国スパイの監視、そして――犯罪組織の壊滅。

 中でも最難関とされていたのが、敵対組織黒環くろのわへの潜入任務だった。

 

 黒環。日ノ本全土で遺物レリックの略奪、禁術の密売、さらには将軍暗殺未遂まで企てる巨大犯罪組織。その構成員は数百人に及び、各地に根を張った危険な集団だった。

 

 そして、その中枢にいたのが――雷哭ノ鬼らいこくのおに

 

 黒環の幹部の一人であり、"鬼"の名を冠する男。数々の残虐な事件の首謀者として、秘密警邏府の重要指名手配リストの筆頭に名を連ねていた。

 

 一年半をかけて組織の信頼を得、ようやく"奴"の懐に入り込んだ。偽名を使い、偽の経歴を作り、時には仲間を裏切る演技すら必要だった。

 命を賭けた諜報戦の末、雷哭ノ鬼の居場所と次の作戦を密告し、秘密警邏府による包囲殲滅作戦が実行された――はずだった。

 

 だが、それは罠だった。

 

 討ち取った"雷哭ノ鬼"は影武者。本物は最初から俺の正体を見抜いていたのだろう。そして――

 

 俺の家族を、殺した。

 

    *   *   *

 

 思い出したくもない。今から一年前のことだ。

 

 妻とまだ七歳だった娘。

 任務完了の報告を終え、久しぶりに家へ帰った。「ただいま」と声をかけた先にあったのは、血の海と、焼け焦げた我が家の残骸。

 

 妻は玄関で倒れていた。両腕を広げたまま。

 娘は奥の部屋で見つかった。母親の着物の切れ端を握りしめたまま、まるで眠っているかのように――

 

 現場に残されていたのは、"雷哭"の銘が刻まれた黒い札と俺への当てつけの伝言だけ。

 

 組織は家族を守ってはくれなかった。「任務中の隊員の家族は万全に護衛する」――その約束は、空手形だった。

 いや、護衛がつけられていたのかもしれない。だが、雷哭ノ鬼の前では無力だったのだ。

 

 そして俺は、すべてを捨てた。

 階級も、所属も、名誉も、記録も。

 

 今の俺には、ただ一つ――復讐の刃があるだけだ。

 

    *   *   *


 半年後――


 雷哭ノ鬼の足取りを追ってたどり着いたのが、ここ桜花の国だった。

 

 日ノ本を構成する小国の一つ。山がちで人口も少なく、中央政府の目も届きにくい。犯罪者が身を隠すには格好の場所だった。

 

 旧道を外れた山道を歩きながら、俺は情報屋から託された地図を確認する。羊皮紙に描かれた粗雑な線と、血のような赤い印。

「……封じの社、か」

 

 かつて英雄たちが封印したという遺物の痕跡が、ここに残されているらしい。黒環がそれを狙っているとすれば、奴らの"次の動き"に先手を打てる。

 

 そして何より――雷哭ノ鬼が現れる可能性が高い。

 

 月はすでに昇り、木々の合間から冷たい光が差していた。秋の夜気は肌を刺すように冷たく、あたりは不気味なほど静かだった。虫の声すら途切れ、まるで何かに怯えているかのようだ。

 

 足音を殺して山道を登る。かつて秘密警邏府で身につけた技術が、無意識に身体を動かしていた。

 

 ――ザッ。

 

 足元で、何かを踏んだ感触がした。

 見ると、それは――焼け焦げた"雷哭の札"。

 

 同じものを、俺はかつて"家の焼け跡"で見た。あの日の記憶が、一瞬で蘇る。

 血の匂い。焦げた匂い。そして、もう二度と聞くことのない、家族の笑い声――

「……来てるな。奴ら」

 

 剣の柄に手をかける。鞘の中で、刺突剣が冷たく鳴いた。

 かつて秘密警邏府から支給された武器。今では、復讐のためだけに存在する刃。

 

 さらに数歩進んだ先、視界が一気に開けた。

 朽ちた鳥居が建ち、苔むした石段が月光の下に続いている。かつて"封じの社"と呼ばれた祠の跡地。

 

 

 と、その時。

 

 ――カラン。

 

 かすかな鈴の音が、風に運ばれてきた。

 

 警戒して身を低くする。音の方向は、石段の中腹。月明かりの下、何かが横たわっているのが見えた。

 

 小柄な人影。薄桃色の着物が泥にまみれ、長い黒髪が乱れている。腕には何か重そうな武具を抱えていた。

 

 (……まさか)

 

 胸騒ぎを覚えながらも、俺はその場に駆け寄った。地を蹴る音が、静寂を破る。

 

 倒れているのは、まだ少女と呼べる年頃の娘だった。顔色は青ざめ、浅い呼吸を繰り返している。怪我をしているのか、それとも――

 

 

 この出会いが、運命か、あるいは新たな地獄の始まりか――

 その答えを知るのは、まだ先のことだった。

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