第8話 十二の胸像

 一夜が明けた。

 署内で僅かな仮眠をしてからコーヒーを飲んでいた白藤の元に、充血した目の山吹が急いでやってきた。


「やはりあの絵の塗料には、血液が混ざっていたみたいです」

「そう……」

「ただ、おそらくDNAは破壊されてる為、詳しく分析しても被害者の血液だと断定するのは難しいみたいですね」

「わかりました。ありがとうございます」


 白藤は眉を顰めながらパソコンを開き、集められた情報を整理し始める。

 現状、被害者の水川は、髪の毛の一部に切り取られた形跡が見られた為、学園内の誰かに暴行を受け、それを苦に自殺したという線が濃厚と成っている。例のスケッチブックに描かれた水川に似た肖像画は、暴行した加害者が描いた可能性が高いとされていた。ただ、なぜ水川の絵を描いて美術室に置いたのか、その行動が全く理解できない。とりあえず刑事課としては、その人物を探しだして理由を聞き出すのが先決、という考えだ

 そして、それとは別に白藤にはもう一つの可能性も頭に浮かんでいる。それは……。


「殺人ですか?」

「そう」


 山吹は首を傾げた。監視カメラには明らかに被害者一人で屋上から落ちていく様子が映っていたからだ。事故は考えられるが、殺人は流石に考えが及ばない。


「加害者は水川君に自ら屋上から落ちるよう強要したって事ですか?」

「いいえ。私が引っかかってるのは、あの落ちる瞬間です。なぜ身体が硬直したのか。手足だけでなく、顔も硬直してました。まるで彼だけが、映像の一時停止ボタンを押されたみたいに……」

「そんな殺し方できますか? いや、待てよ。こんなのどうです?」


 山吹は遠隔で電気ショックを与える装置がある事を白藤に説明した。そして自分の推理を得意気に話し出す。


「水川君の身体にその電気が流れる装置を着けといて、そして飛び移ろうとした瞬間にスイッチを入れる。電気ショックで一瞬硬直した水川君はそのまま落下。これなら可能性ありますよね。だとしたら、その装置を外す必要が有るから犯人は第一発見者の教師、若しくは応急手当をした保健室の先生か……」

「良い推理ですね。学園に行ってから検証してみましょうか」

「はい!」

「あっ、その前に頼んでいた胸像に彫られたギリシャ語の翻訳ができていたら見せて下さい」


 山吹から受けとった紙には、こう書かれていた。


【アプロディーテ】

【アポロン】

【アテナ】

【アルテミス】

【アレス】

【ヘルメス】

【ヘカテ】

【キルケ】

【エロス】

【プシュケ】

【タナトス】

【ネメシス】


 どれもがギリシャ神話の神の名だった。美術室に有った胸像は、それぞれのギリシャ神をモデルにして造ったものだと思われる。その名前を見て、白藤は納得いかない顔をしていた。


「なんか気になりますか?」

「どうして十二神なのに『ゼウス』や『ポセイドン』が入ってないんですか?」

「えっ? 偶々じゃないですかね? デッサンのモデルに使う胸像ですから、別に『ゼウス』とかじゃなくても……」

「十二体なんだから、普通はオリンポス十二神に合わせるはず。なのに『ゼウス』『ポセイドン』『ハデス』などの最高神を外しています。ギリシャ神話に詳しいはずの灰汁巻教諭が、何故この十二神を選んだのか……何か理由が有るはず……」

「お言葉ですが、考え過ぎでは……」

「六年前に捜査した時、美術室に有ったのは、市販の『ブルータス』や『アグリッパ』などの政治家の胸像でした。なのになぜ、自作のギリシャ神話の胸像に変えたのだと思います?」

「さあ……前の胸像が壊れた……とか、ですかね?」

「……とりあえず学園に向かいましょうか」


 白藤と山吹が立ち上がった時、後ろから「ちょっと待て」と、引き止める声がした。声の主は目の前の一際大きなデスクを指でコンコンしていて、どこか苛ついているようにも見えた。


「おい、ミルキー! お前、今回の事件と関係ない事まで捜査してんじゃないのか? そんな暇じゃねえぞ、うちの刑事課は! イジメとかなら早く別の課に回せよ」


 刑事課長の晒柿されがき警部は、白藤達の会話が聞こえていたのか、どうしても一言言わなければ気が済まなかったみたいだ。


晒柿されがき課長。署内では苗字と役職名で呼んで下さい」

「別にかまわんだろ? 昔の刑事ドラマなんか、あだ名で呼び合ってたんだぞ」

「いつの時代の話でしょうか? 今は学校でもジェンダーの生徒さん達の事を考慮し、男女問わず『さん』付けする時代なんですよ。呼び方一つでも他人を傷付けないよう配慮すべきです」

「世知辛い時代だな。俺達警察は、もっと地域住民の為にも人間味あふれる『情』ってものを大事にしてだなー、その為にも仲間内の結束を――」

「署内での馴れ合い行為は、不祥事に繋がる恐れも有るので不必要だと思います。警察は身内にあまいと、SNSでよく叩かれてるのはご存知ですよね?」

「へいへい。わかりましたよ、白藤係長ちゃん。これだからネット世代は……」


 晒柿は白髪混じりの頭髪を片手で押さえながら、もう片方の手でデスクの上の紙を一枚取り出す。そして、その紙をヒラヒラさせながら白藤達に見せた。


「一応、学園側には生徒達への事情聴取の許可を得た。けど、くれぐれも変な質問はせず、穏便に頼むぞ」

「わかっています。では」


 一度出て行こうとした白藤は、態とらしく思い出したふりをして、もう一度晒柿の方を見た。


「ああ、思い出しました。一つ御報告が有ったんです」

「ん? なんだ?」

「今回の事件に、六年前の件が関わっているかも知れないので、一緒に調べて来ます」

「六年前? やっぱりお前、あの事件も追ってたのか? あれは郡上司が捕まって解決しただろ!」

「まだ解決して無いかも知れません」


 白藤は急に晒柿に向かって敬礼をした。長身の上、身なりをいつも整えている白藤なので、その姿は見事に様になっている


「晒柿課長。私をこの署に戻していただいて、本当に感謝しております。お陰で、あの事件を洗い直せる事ができそうです」

「ば、馬鹿! その為にお前をうちの刑事課に呼んだんじゃないぞ! まさか、お前、まだあの時の事を根に持ってんのか?」

「もし、私の推理通りだった時は、六年前のミソジニーとパワハラの件に対して、反省文をしっかり書いていただきます」

「ふざけんな! 俺はお前のせいであの時、始末書を書かされたんだぞ! また同じ轍を踏む気か?」

「部下の失敗は、上司が取るのが当たり前です。では、行ってまいります」

「お、おい、待て! 六年前の事件は解決したんだからな! 絶対蒸し返すなよ! わかったな!」


 白藤は無視するかのように捜査課を後にした。話を一部始終聞いていた山吹は、唖然とした。


「もしかして、六年前に白藤係長を馬鹿にした上司って……」

「そうです。見習い刑事だった私の子守りを担当をしてたのが、晒柿課長です」


 白藤は涼しい顔で笑った。そして凛とした姿勢で胸を張りながら刑事課を後にする。


 白藤は、藍葉ルネの事件には必ず真犯人が居ると確信していた。そして水川も、その藍葉ルネの事件に間接的に絡んでしまった為に亡くなったと思っている。実際、白藤のその推理は正しかった。しかし、この事件は白藤の予想を遥かに超えた怪事件だという事を、後に思い知る事と成る……。

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