モデル2

第9話 約束

 ショッキングな不幸が有ったとして、学園側は生徒の心理状態を考慮し、授業は昼から行う事に成っていた。

 生徒達がまだ登校してないので、白藤と山吹はその間に夜間、自分達ができなかった旧校舎の視察を行う事にする。バリケードテープで出入り禁止にしてある屋上にやって来た二人は、ビデオで見た水川の位置を確認しながら検証を行った。


「もし、遠隔操作で電気ショックを与えたなら、最低でもこの位置から被害者を見てないといけませんね」

「……この位置に人が居たならカメラに映ってないと、おかしいですね」


 実際に屋上に来てから、山吹は自分の推理に自信が持てなく成り、あからさまに悄気てしまった。


「まだ分かりませんよ。被疑者は南校舎側から被害者の様子を見ていたのかも知れませんから」

「は、はい」


 白藤は屋上から下を見下ろした。下は一面堅いコンクリートで、金網が有るにしても足が竦んでしまう。現場に来てわかったが、最近まで中学生だった子が、この柵を乗り越え、隣の校舎に飛び移ろうとしたのなら、余程の緊迫した状況だったと容易に想像ができる。明らかに生死に関わる事態が起きていたのだ。


「山吹巡査。先ず、被害者が絵の具を着けられた場所を探しましょうか……」


 捜査係としては、水川に着衣の乱れが有った事から、性被害を受けた可能性も考えている。

 個室トイレで用を足していた所に、上から絵の具を掛けられ、慌てて出てきた所を悪戯された。逃げ出したが、パニックに陥り、そして金網を越えて自殺をしたのではないかと……。


「もう一度この校舎内を見て回りましょう。何かを見落としてる可能性が有ります」


 昨日、旧校舎に誰かが潜んでなかったかは調べてある。一階には部室が沢山有るので、何人かの生徒が残っていたが、軽い調書を取った後、全員帰宅させた。二階、三階には誰も居らず、使用されてない事も有って全ての教室には鍵が掛かっていた。その旧校舎の鍵は職員室に有り、誰も持ち出してなかったのは間違いない。ただ、合鍵を黙って作った者が居る可能性も有るので、一応別の捜査班が一部屋づつ開けて確認したが、特に異常発見には至らなかった。トイレも各階調べたが誰も隠れて居らず、被害者の衣服に着いていた絵の具の跡も見つかっていない。

 白藤達は無人の旧校舎の廊下を一通り歩き見て回ったが、特に新しい情報は手に入らなかった。


「犯人はトイレで水川君を暴行した後、水川君の血を混ぜた絵の具で絵を描いた。そしてトイレに付着した絵の具や血は綺麗に洗い流した後、美術室に絵を持って行った。こう考えると、だいぶ危ない奴ですね」

「美術室に被害者の絵を持って行く必要性……いったい何でしょうか?」

「白藤係長は水川君の絵を描いたのも、灰汁巻先生だと疑ってるんですか?」


 山吹は白藤が六年前の事件と今回の事件を結びつけてる以上、犯人は灰汁巻に絞っていると思っていた。だが、白藤は首を傾げた。それに関しては別の考えが有るようだ。


「其処なんですよね……灰汁巻教諭にはアリバイも有るし……お腹空きましたね。昼食にしましょうか」

「へっ?」


 そう言って白藤は旧校舎を出て、北側のグラウンド方向へと歩き出す。その方向には、食堂や体育館なども建っていた。


「ど、何処行くんですか?」

「学食に行きます。SNSでここの学食のカレーは美味しいと書かれてました」

「いや、自分達は学園関係者じゃないんですよ。しかも警察が学食を利用して良いんですか?」

「駄目なら駄目って、書いて有るでしょう」


 白藤はスタスタと食堂に向かうので、仕方なく山吹も後を追う。真面目な人だが、時折突拍子もない行動をする。だが、その裏には何かの理由が有るので、山吹は今回も従う事にした。

 食堂には既に登校した学生の姿が沢山居り、皆が見慣れない白藤達に視線を送った。山吹は場違い感から空腹よりも気恥かしさが先に立ったのだが、白藤の方は生徒の視線なぞ全く意に介していない。

 カウンターでカレーを頼んだ二人は、テーブルを挟んで向かい合うように座った。そして食べながら過去に学園で亡くなった警備員の死亡事件を振り返る。


 先ず五年前、納戸なんどあきらという警備員が、旧校舎の廊下で倒れてるのが発見される。死因は急性心不全。元々納戸は心臓が悪く、高年齢だった。


 次に三年前、麻木あさぎ伸一しんいちという警備員が警備室にて急性アルコール中毒を起こし、更に嘔吐物が喉に詰まる事で窒息死する。元々麻木は素行が悪く、仕事中もお酒を飲んでいた事は同僚内でも有名だった。ただ、この頃から『美術室で動く肖像画』を見たという噂が学園内に広がり始まっていた。


 そして一年前、栗坂くりさか真弘まひろという警備員が、中庭の噴水のある池の中で溺れ死んでるのが見つかった。池は浅かったのだが、監視カメラで見た所、栗坂は池の前で転んでしまい、その時に頭を強く打って気絶したのか、池に顔を着けたまま全く動かず、そのまま溺れ死んだみたいだ。


「白藤係長は、この三つの事件には関わってないんですか?」

「はい。見習い終了後は他署に移りましたから。この三つの件に関しては応援にも行ってません」

「まあ、殺人事件でも無いですからね……」

「断言できませんが……」

「えっ?」

「それより、カレーが……」


 白藤は半分食してからスプーンを皿の上に置いた。そして残念そうな顔を山吹に向ける。


「思ったほどじゃないですね」

「そりゃあSNSの噂なんて当てにならないですよ。嘘や憶測ばかりですから」

「そうですね。けど、SNSには警察に言えないような本当の事も書き込めます」

「あの……」


 二人の会話を割くように、近くに座っていた女生徒が声を掛けてきた。初々しさや、真新しい制服からも新一年生だと一目でわかる。


「はい。何でしょうか?」

「もしかして警察の方ですか? 今、『警察』って聞こえたので……」

「はい。そうです。警察の者です」

「私、水川君の同級生で百瀬梨々華と言います。警察の方なら、水川君の事で、どうしても伝えておきたい事が有るんです……」


 百瀬は水川が事件当日の朝に、『放課後、美術室に入部の挨拶に行く』と言っていた事、そして自分と再来週にデートの約束をした事を話した。


「ネットじゃ、『自殺』だとか『薬物中毒』とか色々言われてますけど、絶対に違います! 誰かに殺されたんです! 私は昔からアイツ……ダイトの事をよく知ってます……私との約束を守らずに自殺するような奴じゃ……」


 百瀬は我慢していたが堪えられなく成ったのか、大粒の涙を流しながら嗚咽した。それを見た白藤は両手で百瀬の手を力強く握る。


「貴重な情報、本当に感謝します。辛いかもしれないけど、気をしっかりもってね。あなたから戴いた情報は必ず役に立ちます。そして私は必ず犯人を見つけてみせるから。あっ、ハンカチは持ってる?」

「は、はい……」

「私は捜査一係の白藤しらふじ観希依みるきい。何か有ったら遠慮なく相談に来て」

「ミルキー?」

「そう。刑事がキラキラネームっておかしいでしょ? まあ、親もまさか娘が刑事に成るとは思ってなかったんでしょうが」

「いいえ。ミルキー刑事さん。素敵な名前です」

「あなたも素敵な名前よ、梨々華ちゃん」


 白藤はそのまま百瀬から水川の事を詳しく聞いた。百瀬を傷つけないよう配慮し、まるで優しい母親のような口調だ。山吹はクールな上司の意外な一面を見た。

 授業の時間が近づき、百瀬は名残惜しそうに手を振りながら去っていく。その姿を微笑みながらずっと見送る白藤。だが、百瀬が見えなく成ると急に険しい表情に成る。


「間違い有りません。この事件はやっぱり殺人事件です。水川さんの死は、決して自殺や事故じゃないわ」

「係長……あまり情に流されない方が……」

「違います。情に流されたのでは有りません。良いですか、水川さんは、屋上から屋上に移る危険な行為をしてまでも生き延びたかったのです。百瀬さんの為にです。でも、無情にも犯人に殺されてしまった……」

「その水川君を殺害したのは、やはり灰汁巻先生なんですか?」

「……反応からして、少なくとも被害者の絵を描き、スケッチブックを置いたのは灰汁巻教諭では無いでしょう。犯人ならスケッチブックを私が発見した時に、もっと焦るはずです。私が美術室に入る事は想定外だったでしょうから」

「では、誰が水川君を殺害したんですか?」


 白藤はその山吹の質問には暫く答えず、食べ残したカレーを上の空で眺めていた。質問に対する答えが警察官としては相応しくないので、何とかはぐらかしたかったのかも知れない。


「山吹巡査……」

「はい」

「私は警察官に成ってから沢山の事件を担当して来ました。そしてその中には、調書や報告書に真実の全てを書けない事案を二回ほど経験しています。他の警察官の中にも、私と同じような体験をした人が何人も居ると聞いています」

「えっ? どういう事です?」

「警察としては存在を認めるわけにはいかない事例もあるのです。今回のこの事件の殺人犯……捕まえられるのか心配に成って来ました……」

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