第18話 飛び火の苦労
結衣さんは僕と同じテーブルの向かいの椅子に座り、なぜか僕の隣に新田祢子さんが座り、それが結衣さんの不機嫌さに拍車を掛け、イライラを募らせる結衣さんから正面から睨まれ、緊張と恐怖から体中から汗がダラダラと流れ喉が渇いて乾いて仕方がなかった。
「祢子ちゃん、ジンちゃんと少し話あるから、少し席を外してくれる?」
「嫌だよ。みんな騒いでいるのに、あそこに今から混ざれないよ」
「そう。ジンちゃん、話あるから来て」
「えー、結衣ちゃんそれは成人君が可哀想だよ。今、高岡先生のお祝いしてるのに、ここから成人君を連れて行くのは可哀そうだよ」
結衣さんの言葉に、新田祢子さんは油に水を注ぐように僕の腕を両腕でしがみ付き、結衣さんの前でベタベタと僕の体を触った。
新田祢子さんの行動が結衣さんをさらに苛立たせ、肩を大きく動かしながら苛立ちを収めるために目を瞑り、よく見れば組んでいる腕を強く握る爪が肌に食い込んでいた。
「......祢子ちゃんには聞いてないから。ジンちゃんに聞いてるの」
「...」
「成人君も今の怖~い結衣ちゃんと話したくないと思うよ、ね?」
「...それ、は...」
新田祢子さんはわざわざ結衣さんを怒らせるような発言を行い、『もう結衣さんを怒らせないで』と祈りながら、僕は空気となることに徹しているが、新田祢子さんの口は止まらず、僕の心の奥底で思っていることを時折的確に代弁して伝えてくれることはありがたいが、僕の立場がものすごい勢いでなくなっていくのでやめて欲しかった。
「結衣ちゃん、そんなに束縛してたら成人君が可哀そうだよ」
「...」
「成人君が怖ーい結衣ちゃんと、優しい私の二人の内どちらか一人と絶対に付き合わない状況になったら、どっちと付き合う?」
「ぇ?」
「もしも、私か結衣ちゃんのどっちか一人と付き合うとしたら、どっちを選ぶの?」
空気に溶け込むことに徹していると、新田祢子さんは僕にとんでもない質問をかましてきた。
恐る恐る正面を見ると、結衣さんは僕に『絶対に私の名前を出せ!』と物語る程の鋭い眼光で見ていた。
もし、本当に新田祢子さんが優しいのであれば、名前を出してもいいのではないかと言う考えが一瞬頭を過ったが、この後の結衣さんを考えると想像しただけでも怖く、今までのやり取りから新田祢子さんが優しいということが物凄く疑わしく思ってしまい、どちらの名前も出すに出せなかった。
「ジンちゃん、どうなの」
「...ゆ、結衣さんで」
どうしようかと迷いに迷った挙句、この後のために結衣さんの機嫌を取ることにして結衣さんの名前を出すと、予想外なことに結衣さんが一層険悪な雰囲気を醸し出し、堪忍袋の緒が切れるまであと僅かであると直感でわかってしまった。
「成人君も結衣ちゃんを選ぶんだ。よかったね、結衣ちゃん『結衣さん『で』』」
「...」
新田祢子さんはようやく僕から離れ、少し言葉に棘があるような言い方で結衣さんに言葉を掛け、ますます雰囲気が悪くなった結衣さんは落ち着けるように深呼吸を何度もくり返し行っていた。
そこから暫くの間は誰も話さない時間だけが過ぎていき、新田祢子さんと僕の距離間は普通の距離間に戻り、あれ以来僕から離れベッタリと近寄ることはなかった。
「...『で』ってなに」
「ぇ?」
重々しい雰囲気の中で、苛立ちが少し落ち着いた結衣さんは口を開き僕を睨みつけ、突然のことに僕の頭では言葉の理解が追い付かず聞き返すと、僕が座っている椅子を蹴られ、椅子から衝撃が体の芯に走り心臓が止まるかと思うほど肝が冷えた。
「私『で』って何?嫌なら無理に私の名前を出さなくてもいいよね、祢子ちゃんがいいなら初めからそう言えば?もしかして私に気を使って嫌々答えたの?」
「そんな、ことは...」
「だったら、その『で』にどんな意味があるの?」
「その、言葉の綾と言うか...そこまで深い意味はなくて」
「ふざけてるの?」
「...ふざけてないです」
「ふざけてなかったって言うなら、私の良いところを言ってみて」
「へ?」
「私と祢子ちゃんの選択肢の中で、どうして私を選んだかの理由を言ってて言ってるの。もしかして言えないの?」
ここでもし、僕が結衣さんを怒らせたくない一心で選んだことを知られた場合、これからの家での生活や学校生活にどのような障害が生じるのかが全く想像が出来ないが、一つ確かなことは結衣さんに知られてしまうとこれからの生活が辛くなり、家には僕の居場所がなくなるということだった。
最悪の場合、結衣さんに虐められることになるかもしれなかった。
そう考えると、絶対に結衣さんに知られるわけにはいかず、必死に結衣さんのいいところを考えた。
「か、顔がかわいいところです」
「他」
「優しいところです」
「他」
「声がいいところです」
「他」
「...に、匂いが好きです」
「他」
「...ス、スタイルが、いいです」
「は?」
僕は一体何を言えば結衣さんの機嫌が直るのかが分からず、とりあえず結衣さんの見た目を褒めてみるが気に入らなかったらしく、語尾が心なしか少し強くなり、目が据わっていくように感じられた。
結衣さんの表情が怖くなる毎に、僕の体は血の気が引いていき体の末端が冷たくなるが、それと同時に恥ずかしさで体は火照り熱くなった。
「...」
「これで終わり?」
「僕のために頑張ってくれるところです」
「ジンちゃん?」
「僕がゲームをしていると近くに寄ってきて、下手なのに一生懸命にゲームしているところがかわいいです」
「ぇ」
「ゲームに負けて悔しそうにしていたり、もう一戦と強請ってくるところがかわいいです」
僕は自分でも何を言っているのかが分からないまま、結衣さんを褒めて褒めて褒めまくる作戦を実行し、普段から結衣さんに対して少し思うことを褒める内容に変換すると、なかなか思い浮かばなかった結衣さんを褒める内容の言葉は嘘のように口から出ていった。
結衣さんは途中から顔を伏せたことで表情から感情を読めなくなってしまい、僕は口が動く限り結衣さんに対して思っていたことを褒める内容に変換して褒め続けるが、顔を伏せる結衣さんの表情をうかがい知ることができず、今やめて大丈夫なのかが分からず、結衣さんを怒らせているのではないかと肝を冷やし続けていた。
「...もういい」
「茉衣さんと喧嘩したときに...」
「もういいって!恥ずかしいから!ジンちゃんが私を選んだ理由はもう十分わかったから、もうやめてよ!」
俯いたままの結衣さんは、恥ずかしそうに顔を両手で覆いながら顔を左右に振り、髪の毛に隠れた真っ赤に染まった耳が見えたことで、顔を伏せたことが怒っていたわけではないことを知ると、僕は安堵から体から力が抜け椅子の背もたれに倒れるように寄りかかった。
緊張が解けたことで先ほどまで口が勝手に動き結衣さんを褒めていた内容を理解してしまい、今更ながら物凄く恥ずかしいことを言っていたことに顔に血が巡り熱くなる実感と共に、メンタルの無敵時間が終わりを告げ、恥ずかしさのあまり悶え死にそうだった。
「成人君、結衣をそんな風に思ってくれていたんだね」
「成人君、青春してるなぁ。俺もあんな青春を送っていた日が懐かしい」
おじさんと高岡先生が途中から聞き耳を立てて聞いていたようで、おじさんは涙ぐみながらジュースを呷り、高岡先生は昔を懐かしむように思い出に耽りながら僕に近寄ってきた。
「そうか、釣りの時は照れていたんだな。恋愛の相談なら先生に任せておけ、こう見えて俺は恋愛経験が豊富なんだぞ」
高岡先生は僕の肩に腕を回し、部屋の隅から部屋の中央へと無理やり移動させられた。
酔っている人は手が付けられないという言葉はまさしくその通りで、高岡先生は僕が少しでも抵抗すれば首が折れるほどの力を加えられ、他の客によって即席の舞台が設けられた上に登らされた。
「ここにいる成人君は蓮さんの息子で、訳合って最近隼人さんに引き取られたらしい。成人君は春から高見高校に通うことになる。成人君の新しい門出を祝って乾杯!」
「「乾杯!」」
高岡先生と他の客は乾杯の口実が欲しかっただけのようで、僕の事情を勝手に打ち明けて高くコップを掲げ乾杯の音頭を取った。
高岡先生は音頭をとるとすぐに酔っぱらいの中に入って消えていき、即興の舞台の上に残された僕はまるで存在がないかのように誰にも話しかけられることはなく、辺りを見ると先ほど僕がいたテーブルでは結衣さんは顔を伏したままで、新田祢子さんは少し不機嫌そうに壁に寄りかかりながらスマホをいじっていた。
新田祢子さんが僕に構わなくなることは喜ばしいことだったが、一時を境に態度が急変したことは少し気になり、元々親しいわけでもないのにベッタリとしていたことがおかしかっただけで、元からこの距離感をとってくれていれば結衣さんに問い詰められ、半ばパニックになりながら恥ずかしいことを言わければいけなくなったわけで、そう思うと、今回のすべての元凶は新田祢子さんにあり、張本人は全く意に介する様子がないことに、非常にやるせない気持ちになった。
同時に、新田祢子さんがこれから僕と同じ高見高校に通うと言っていたことを思い出し、結衣さんと同様に同じクラスにならないことを祈った。
確率的に考えて、三人が同じクラスになる確率は3クラスの高校なら9分の1、4クラスなら16分の1と非常に低い確率だが、ここ最近の運の悪さを考慮するならば底確率など度外視で三人が固まる未来が容易に想像できてしまい、3人が同じクラスになり生きた心地がしない日々を送る生活を想像しただけで胃がキリキリと痛んだ。
これから、自称口が堅い高岡先生に悩みという名の愚痴を聞いてもらう必要があるかもしれない。
しかし、高岡先生の言葉は軽く、どこか信用できない雰囲気があり、いつかのタイミングで僕が愚痴を言っていたと口を滑らせてしまいそうでとても怖かった。
かといって、毎度タケとノブに愚痴を聞いてもらうわけにも、滑川君を前回のように巻き込むことはできず、頼る人がいないこの土地では消去法で信用が置けない高岡先生だけが候補の中に残ってしまうことが辛いことだった。
「はぁ...」
僕は最近多くなった深い溜息を付き、知らず知らずの内に心が重く荒んでいたことに気が付いたが、気が付いたところで状況が変わるわけもなく、気が付いてしまったことでさらに心が暗くなっていくことを感じた。
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