第17話 天国と地獄

 僕の釣果はおじさんと高岡先生と比べると、比べるまでもなく惨敗で、稚魚ばかり釣ってしまったため、僕が釣った魚は殆どゼロに等しかった。

 「成人君は残念だったな。何回か当たりを引いたんだが、稚魚は海に返すことがマナーだからな」

 「次はきっと大きな魚を釣れるよ、今回は運が悪かっただけだよ」

 おじさんと高岡先生は僕のクーラーボックスに魚が一匹もいないことを気まずく思ったのか、船を港につけ陸に戻ったところで僕を慰めるような言葉を掛けられた。

 「こういう時はおいしいもの食べて、気分転換に限る!今日は隼人さんの奢りだから高いものを食べに行くぞ!」

 「回らないお寿司はダメだからね。流石に怒れる」

 「だそうだ。成人君は行きたい店はある?」

 「ないです。でも、近くの寿司屋は回転寿司があるそうですよ」

 「成人君は考えが甘い。寿司屋と言われて回転寿司は発想が固いぞ」

 僕が回転寿司の場所をスマホ画面に映し高岡先生に見せると、高岡先生はチッチッチと舌を鳴らしながら人差し指を横に揺らしながらバシバシと僕の背中を叩いた。

 高岡先生の力は強く、最近強制的に筋トレさせられていると言っても数日で体型が変わることはなく、モヤシの体は勢いよく前に押された。

 「成人君大丈夫か?」

 「痛いです」

 「そうか?すまん、あまり力を入れたつもりはなかったんだが」

 なぜ僕の周りには人間の皮を被ったゴリラがこれほどまでに多いのか、この割合で高校生になった場合、クラスに何人ものゴリラが隠れている計算となり、体育の授業でペアになって何かを行うことなった場合を考えると、少し楽しみになっていた体育が憂鬱な授業へと変貌していった。


 高岡先生の答え合わせをするように、おじさんの釣りを行った日の行きつけの自営業の店に入ると、同年代と思しき少女がエプロンを付けて注文を聞きに店の中を回っていた。

 「祢子ちゃん、今日は手伝いしているんだ」

 「いらっしゃいませ。はい!最近はおこずかいを稼ぐために土日に手伝いをしてるんです」

 その少女は高岡先生に向かって笑みを浮かべながら答えると、忙しそうにカウンターの中へと戻っていき僕たちは空いていたテーブル席に座り席を確保すると、おじさんと高岡先生は釣果を入れたクーラーボックスをもってカウンターの中へと入っていき、僕も追いかけるように後に続いた。

 「新田、今日の釣果を捌いてもらえる?」

 「どうも。今日は隼人さんの奢りなんで、高い魚を出してもいいですよ」

 カウンターを覗くと、スキンヘッドに捻じったタオルを頭に巻いた厳つい男性が包丁を持っていた。

 「おうよ。今日は初めて淳平が勝った記念日なら、いつもよりも手をふるってやるよ」

 「新田さん、見てください特大サイズのクロダイですよ」

 「淳平もようやく釣りの腕を上げたか、これが今回限りにならないようにしろよ」

 「これからは連勝に決まってますよ。それから、腕は元々いいことは忘れないでください」

 「水瀬、そこの子供は誰だ?水瀬の子供に息子はいなかったよな」

 「姉さんの子だよ。姉さんが蒸発して僕が引き取ったんだ」

 「そうか、確かに蓮さんは直観で動くタイプだったからな。坊主、まだ若いのに大変な経験をしたな、辛かったろ」

 新田と呼ばれるスキンヘッドの強面の男性は僕に慈しむような優しい顔を見せ、ニカッと怖い笑みを浮かべたが、その顔は見た目と違って全くと言っていいほど怖いと思わず、新田という人は怖い見た目と異なり内面はとてもやさしい人である印象を受けた。

 「おし。今日は水瀬の奢りのようだし、淳平の初勝利を祝ってパーッと豪勢な夕食にしようか」

 「新田、せめて一人1万までに納めてよ。後で知られたらしばらくは釣りに行けなくなるから」

 「ハハハッ!任せておけ、祝い事には人数も多い方がいいだろうし、特別に家の娘も食卓に混ぜてやるよ」

 「新田!?話聞いてる?」

 「聞いてるぞ、一人一万だろ。任せておけ」

 「水瀬のおじさん、ごちそうになります」

 「ハハハ、暫くは釣りに行けなくなりそう...」

 新田さんの言葉におじさんが慌てていると、話を途中から聞いていた同年代の少女が顔を出しておじさんに向かってペコリと頭を下げ、おじさんは少女を無碍にすることはできず、乾いた笑い声を出し哀愁に満ちた独り言を呟いた。

 そんなおじさんを高岡先生は背中を押して席に戻ると、ちゃっかりと付いてきて座席を増やして座った少女は全員にコップに水を入れて配り、ニコニコとおじさんと高岡先生のやり取りを見ていた。

 しかし、一見すると全く害のなさそうな少女だが、結衣さんによって鍛え上げられた僕の機器感知センサーが結衣さんと同様に警報音をけたたましく鳴らし、必要以上にこの少女に関わらないように訴えかけていた。

 「高岡さん、来週から高見高校に通うことになるので、これからは高岡先生と呼ばないとだめですよね?」

 「祢子ちゃんも高見高校にこれから通うのか、俺の周りはなぜか頭のいい人で埋め尽くされていくな。頭の悪い先生は肩身が狭いぞ」

 「私『も』ですか?」

 「そこの水瀬さんの息子の成人君も来週から高見高校に通うんだ。しかも、姉弟そろって高見高校だ、本当に水瀬さんの血筋が羨ましい」

 「そうなんですか!じゃあ、私と同級生なのね。私の名前は新田祢子、これからよろしくね」

 「水瀬成人です。よろしくお願いします」

 僕の中の本能が、新田祢子さんの警戒レベルを一段階上昇した。

 怖い人ではなさそうだが、僕の本能が新田祢子さんにこれ以上関わるなと警鐘を一段と大きく鳴らし、結衣さんと関わるようになってからは本能が告げる警鐘を馬鹿にできなくなったので、本能に従い新田祢子さんから少し距離をとった。

 「ねえ、成人君だっけ。この人知ってる?」

 新田祢子さんは僕にインスタのフォロの中の一人のアカウントを画面に出した。

僕はそのアカウントの名前にドキッと心臓が悲鳴を上げた。

 しかし、考えてみれば僕とスマホに表示される『YUI』の名字が同じで、おじさんとは知り合いなので、僕と結衣さんの関係性を少し疑問に思っただけだと思うことにして、平常心を心がけて返事をした。

 「知ってます」

 「この子の事どう思う?」

 「どうって...」

 「例えば『かわいい』とか『好き』とか、『かっこいい』とかさ。何か思わない?」

 「か、かわいいと、思います」

 僕の本音は『怖い』の一択だったが、おじさんと新田さんの仲が良いことを知ってしまったことで、どこから結衣さんに情報が伝わるか不明な状態では正直に言うことはできなかった。

 無難な答えのはずだが新田祢子さんは僕を見据えて何かを考え込むそぶりをした。

 「この子と同じ家に住んでいるんだよね?」

 「どうしてそれを...」

 「さっき高岡さんが言ってたよ、成人君と隼人さんの娘さんが姉弟だって」

 「正確には従姉弟です。高岡先生にも言ったんですけど、いつの間にか姉弟になってました」

 「そうなんだ。やっぱりね、水瀬のおじさんの子供に男の子はいないって聞いてたから、不思議だなって思ってたの。まあいいか、写真撮ろうか」

 新田祢子さんは僕が離した距離を詰め、写真を撮る許可を聞きはするが答えは聞いて無いようで、内カメで僕とのツーショットをパシャパシャといい感じの写真が 取れるまでシャッターを切った。

 こんなにたくさん写真を撮って何になるのだろうと思いながら、緊張を紛らわすように水を口に含んでいると『ピロン!』と僕のスマホが鳴った。

 「ぇ?」

 待ち受け画面に『YUI』と表示されるローマ字に心臓が飛び跳ね、このまま未読を貫こうとしたが、直後にライン電話が掛けられ、恐る恐る受話器のアイコンをスライドさせた。

 『あ、ジンちゃん?なんで祢子ちゃんと一緒にいるの?』

 「ぇっと、おじさんが...」

 『そういえば、お父さんの釣り仲間の行きつけの店だったね』

 「うん」

 『何時ぐらいに帰ってくるの?』

 「それは...おじさんに聞いてみないと」

 『それもそうか。ジンちゃん、今近くに祢子ちゃんいる?いたら変わって』

 「分かった」

 結衣さんに何を言われるか分からず心臓が悲鳴を上げ続ける中、結衣さんは僕ではなく新田祢子さんに用事があったことに胸を撫でおろし、結衣さんに言われるまま新田祢子さんにスマホを渡すと、僕のスマホを持ったまま席を立ちあがり、カウンターの奥へと戻っていった。

 結衣さんと新田祢子さんでどのような話をするのか気にはなるが、『藪から蛇』と言うことわざがあるように、二人の会話に巻き込まれた場合に面倒くさいことになるかもしれないし、僕が聞いてはダメな女子同士の話であるかもしれない。

 そうなった場合、帰ってから結衣さんに怒られる可能性を考慮して、余計な事をしないことに決め、目の前に並べられる新鮮な刺身を口に運んだ。

 「おいしい」

 天敵に脅えることのない楽園の時間で食べるご飯は、今までの僕の15年の人生の中で一番おいしかった。



 おじさんと高岡先生は車で家まで帰らないといけないのでお酒は飲まなかったが雰囲気に酔ったようで、新田さんとこの店にいた常連の客を交えて急遽宴会のような催しが開かれ、僕は取り皿に料理を盛りつけて部屋の隅でひっそりと刺身や揚げ物などを口に入れた。

 「あ、いたいた。成人君スマホありがとう」

 「はい」

 「隣いい?みんな高岡先生の釣果に祝いムードで、ちょっと居づらいから」

 「...どうぞ」

 新田祢子さんは数ある席の中から僕の隣の席に座り、わざわざ僕の席に椅子を近づけ、盛り付けた取り皿から刺身を摘んだ。

 「成人君は得意な科目はある?」

 「特異な科目ですか?」

 「そう。私は英語が得意科目かな、大学生になったら留学に行くのが目標なの」

 「僕の得意な科目は...」

 僕は何が得意分野かと考えてみると、ライトノベルなら長い文章を読むことは苦もないが、英語や国語の語学の長い文章をどうにも眠くなってしまい内容が頭に入ってこないので得意分野ではない。

 社会は暗記科目であるので、授業で覚えることができる単語は限りがあり、年代の順番をよく混合してしまうので得意ではない。

 数学は数式さえ覚えれば何とかなるが、どういった状況で度の式を使えばいいのかが分からなくなるので得意というわけではない。

 理科は社会科目ほど暗記する単語はなく、ある程度の条件と法則を覚えておけばいいので五科目の中では理科が一番得意科目になるのかもしれなかった。

 「...理科です」

 「すごいね、理科が得意なんだ。私、理科が一番苦手で、無機化学?が特に苦手なの。授業で分からない場所が出来たら教えてくれない?」

 つい先ほど消去法で得意科目になった理科だったが、新田祢子さんが僕の得意科目を知ると、僕の手の近くに手を置き上目遣いのあざとい表情で目を合わせられ、なぜか背筋に怖気が走り身震いした。

 「僕、そこまで勉強できなくて...教えれないと思います」

 「またまた、謙遜はよくないよ。もし、私よりも出来なかったら教えてあげるからね」

 「ぁ、いえ、大丈夫です」

 僕が距離をとると、新田祢子さんは僕を追いつめるように椅子を近づけ、逃げ道がほとんどない僕を追いつめた。

 そんな時『カランカラン』と、この店の入り口のチャイムが鳴り、宴会ムードで騒いでいるおじさんや高岡先生は気づいた様子はなく騒ぎ続け、部屋の隅にいた僕と新田祢子さんだけが新しいお客さんに気が付いた。

 「...ゅいさん」

 「ふ~ん、へーぇ」

 店の入り口に立つ結衣さんと目が合うと、結衣さんは一目で分かるほど明らかに機嫌が悪くなり、目を細め僕を睨むかのように鋭い眼光を向けてきた。


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