<<1話 旅へ>>

「おきばりや」

静の号令一発、夫で岡引探偵事務所の所長でもある岡引一心とその子供達は、夫々仕事に出かけるのが習慣である。

 この日一心は、個人情報流出事件の関係者のひとりであるスーツ姿の美女のあとを尾けて浅草寺仲見世通りに入ったところ、静から至急戻れの指示を受けた。

 ちょっと残念な気持ちを振り切って帰所すると、客は顔見知りの雷門近くのコンビニ店長で静が対座している。

長男の数馬と長女の美紗、それに訳あって同居する甥の一助もすでに雁首を並べていた。


 挨拶を交わそうとするといつものにやけた、と言ったら失礼か? にこやかな表情と言い直すことにすると、それとはちょっと違う雰囲気であることに気付いた。

 実は、その店では一年半ほど前の夕刻、強盗に押入られパートのおばちゃんが殺されていたのだが、未解決のままなのである。

「で、あの事件の関係かな?」

一心が問いかけると、「ああ、一向に犯人が捕まらないんで、しびれを切らしてこうしてやって来たって訳」

この池下という六十過ぎの店長は若い頃には証券会社の優秀な外務員で、四十を過ぎて独立したいと一念発起、一旦は投資コンサル会社を立ち上げたのだが、親しくしていた顧客はみな勤務先だった一流証券会社の名前を信用して取引してくれたのだ、とつくづく思い知らされたのだった。

その失敗から、金融業を離れ今のコンビニのオーナーへと転業したのだ。

 決して二枚目ではない彼が外務員として成功したのは、お人好しを絵に描いたような性格と楽しい雑談にあると一心は確信している。

仕事を変えても性格はそのまま、十名のパートさんを大事にしていて、年に一回は関東域内だが温泉に連れて行くほどである。


 その事件の起きる直前、店長がドリンクを補填しようと裏へ回ったところ、それを見計らったかのように男が押入り、悲鳴を上げる間も無くおばちゃんは刺し殺され、賊は札をわしづかみにして逃げ去った。

異常を感じた店長がカウンターに戻った時には、胸から血を流して倒れているおばちゃんだけが残されていたのだ。

 その様子を監視カメラの映像で見た店長はギリギリと歯ぎしりをして悔しがっていたと、後日浅草署の丘頭桃子警部が言っていた。

 そんな彼が被害のあと随分と落ち込んでいたのを一心も見てきたから、「犯人を見つけてくれ」と頼まれれば「嫌」だなんて口が裂けても言えない。


 早速、浅草署の丘頭警部に捜査資料を貰いに行った。

普通の探偵が捜査資料を「見せて」なんて言っても断られるに決まっている。

が、旧知の仲、それも数々の難事件の捜査に協力してきた一心だからこそ、警部はすぐ部下にそれをコピーするよう命じ、準備のできる間は応接でコーヒーを啜りながら雑談をしているなどという応対をしてもらえるのである。


 捜査資料を見る限り店の監視カメラで写されたぼんやりとした映像と東京駅の二十三番線ホームにある監視カメラの映像のみが手掛かり。

駅の映像から時間的に函館北斗行の新幹線に乗った可能性が高いというところまでは警察も掴んだようだが、すべての停車駅の監視カメラを確認したが何処で降りたのか不明とされていた。


 そういう状況下一心は家族を集めて調査会議を開いた。

今ある仕事を早急に片付けた上で、全員で池下店長の依頼に当たることにし、方針を話し合った。

……


 全員の仕事が片付くのに一週間も要したが、強盗犯の下車駅を特定するため、美紗の得意技でネットワークに侵入し各駅の監視カメラの録画映像を三台のパソコンに接続、子供ら三人で手分けして見ることにした。

「見る」といっても目で見てた日にゃ何年あっても足りない。

美紗作の<顔照合アプリ>を使うのだ。

ぼんやりした顔でも九十(%)超の確率で発見できる。

ただ、一年半も前の映像は削除されている可能性も高い。それと警察はその後の映像を確認していない。

 一心は、「列車で移動する犯人は必ずまた列車を使う」を信念としていて、それを理解している子供らは新幹線と北海道内の主要駅のホームや駅舎内の映像を事件発生時以降現在に至るまで、残されている映像すべてを対象に照合を続けたのだ。

三台のパソコンが二十四時間フル稼働し数百台もある監視カメラの映像を順に追うのである。


 二週間もかかって漸く犯人を札幌駅で捉えた。

犯行は一昨年の十二月七日、発見は今年の五月二十四日で札幌駅の南口を大通りの方向へ歩いていた。

つまり、何処かを経由して札幌に来たとも考えられるし、すでに札幌にいてたまたま駅を通ったという事かも知れなかった。

まあ、いずれにしても犯人は札幌に五月時点ではいたという事だ。

その後札幌駅には現れていないので、恐らくその圏内にいるのではと想定し札幌へ出張することに決めたのである。


 問題はここからである。


 <北海道>と聞いたら全員が涎を垂らして行きたがる。

美紗は、「連れて行ってくれないなら、照合アプリ使わせなーい」と駄々をこねる。

数馬は、「良いよ。連れて行かないなら、セキュリティーで困っても助けないから」と、こちらもガキだ。

「あても行きとぉおすなぁ」と、妻の静が優しい声とは裏腹、<ボクサー色の目>を一心に向けてくる。だから怖いので間髪を入れず「静は連れて行く」と断じた。

「じゃ、俺を連れて行かないとバルドローンや各種車両、船舶の操縦してやんないぞ」とは一助。

もう参る……。


 つまりだ。

誰かが欠けると、岡引探偵事務所の能力が落ちてしまい犯人を取り逃がす結果となり兼ねないという訳だ。

「だがよ、五人で札幌へ一週間なり、二週間なり行ったらよ。莫大に金がかかるぞ」

一心の心配はそこに有る。

「んじゃよ、池下のおっさんに金出せって言やー良いじゃん」と、いい歳してもガキの言葉遣いの一助。

「俺は……言わなくてもわかるよな、一心。ふふっ」

この親を親とも思わない男言葉が美紗。


 なので考えあぐねて池下さんに状況を話すことになり、どこまでもお人好しの池下店長は、

「 なるほど、では、僕のキャンピングカーを提供しましょう。そうすれば交通費も宿泊費もかなり安くあがるでしょう 」と笑顔で申し出てくれた。さすがである。


 と、いうことで七月二十四日バルドローンの羽を畳んで屋根に載せ、それ用のヘリウムガスボンベも忘れずに、パソコン五台とGPS装置など必須アイテムを持って出発した。

当然運転手は一助で補助は数馬、一心は静と膝を付け合わせてお話しを……と思いきや、美紗が割り込んで雰囲気をぶち壊す、そんな旅が始まったのだった。



 盛岡で車中泊し、青函フェリーに四時間ほど揺られ船酔いしたところで函館の夜景を観、この日だけは日本有数の温泉地、湯の川温泉の宿に泊まることにしていた。お湯にどっぽり浸って、ひと味違う北海道の海鮮料理に牛肉など盛り沢山なご馳走とビールで英気を養う。やはり北海道は最高だ。

「あら、このラフティングってなんやろ? 舟遊びかいな?」

静が客室のテーブルに置かれていた観光案内の冊子を広げて指を差す。

静は京都生まれで普段から着物で生活するようなタイプなので、結婚後に水泳とボクシングを始めるまでスポーツとは縁遠い存在、ラフティングを知らないのも無理はない。

子供らがその楽しさやらスリルを懇切丁寧に説明すると、「あて、乗ってみたいわぁ」と言い出した。

「おいおい、遊びに来たんじゃないんだぞ」

一心は止めに入る、本心はそういう乗り物は怖いので好かないのだ。

だが、子供らが囃し立て静をその気にさせてしまう。

「ええやろ。あんはん」と、二重瞼の大きな瞳にじっと見詰められると「嫌」とは言えない。

それが惚れた弱みと言うもんだ。


てなわけで、二十六日に札幌に入る。先ず向かった先は静のお友達の道警の清水瑚都警部の所だ。


 一方で美紗らはネット上で<顔照合アプリ>を使って強盗犯を探し続けていた。

もちろん、バルドローンを使って札幌市内だけでなく近郊の観光地を空から眺めるという暴挙に出たことは言うまでもない。その辺に抜かりの無いのが数馬だ。

一心は高い所もダメなのでバルドローンには触ったこともない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る