第28話 私の初めての感情 華蓮SIDE——
華蓮SIDE——
キッチンで手を動かしながらふと顔を上げた瞬間。
視線の先にはソファに腰かけてどこか柔らかな表情を浮かべているあの人の姿。
流れるような短めの黒髪、凛とした二重の瞳。
細身でありながら無駄のない体つき。背だって私よりずっと高い。
気づけばまた……彼を目で追ってしまっていた。摩嶋治人……その人を——
————
何一つ不自由なく転生した私は、生きる目標を持てずにいた。
ただ日々を消化するだけの虚無な毎日。
そもそも私は消えてしまいたかったのに、残酷にもこの世界に転生させられてしまった。
自ら命を絶った私には、その権利すらなかったのかもしれない。
そんな中で彼を初めて見かけたとき……私はそれを運命だと思った。
過去に私が無残に命を奪った彼が、いま目の前に、生まれ変わったこの世界に存在している。
これは神が与えた、贖罪の機会だ……
そう思ったら、もうじっとしていられなかった。
生きる目標が欲しかった。
過去を清算しなければ生きている意味が見いだせなかった。
その思いだけが私の中に渦巻いていた。
彼のことを遠くから見守っていた私の前に、運命のように現れたアルバイト募集の文字……私は迷わず応募した。
彼に全てを捧げることで自分の罪を贖いたかった。
そこに愛などない。ただ、赦されたいという、静かな祈りのような願いがあった。
私はもう女として生きることを望んでなどいない。
けれど、この世界で女という存在が最も強い価値提供になるのなら。
私はその価値を使って、彼のために尽くしたいと思った。
まあ、自分の歪んだ性癖があるのも事実ではあるが……
今考えれば、それは自分を罰する意味もあったのかもしれない。
惨めな思いをして自分の価値を下げたかった……
そんな歪んだ感情を抱えたまま彼に迫った私を、彼は優しさと共に拒んだ。
でも私は諦めなかった。無理やり一夜を共にした。
なのに……そんな私に、彼は言ってくれたのだ。
「勇者カレンじゃなく、華蓮っていうひとりの女性として生きてみたらどうだ?」
「贖罪ってのも、結局は自分の心次第なんだと思う。だったら自分を苦しめるようなやり方じゃなくても、もっと優しい方法だってあっていいんじゃないか?」
彼は私に優しい言葉とぬくもりをくれた。
過去の私を知りながら、それでも優しく抱きしめてくれた。
あんなふうに受け入れられたのは初めてだった。
そして彼が最後にそっと囁いた一言……
「いつか本当に好きな人ができたら、その人と結ばれて幸せになってくれよ。その笑顔を俺に見せてくれるだけで……それで十分だから」
胸がぎゅっと苦しくなる。
その理由もわからないまま、私は彼から目を逸らしていた。
なのに、それからその気持ちは熱を帯びてゆき、ゆっくりと……でも確実に膨らんでいく。
そして初めて彼の元で働き始めたあの時、彼の指がふいに私の手に触れた瞬間……
その感情は一気に燃え上がった——
————
今日のあの出来事——
見知らぬ男に私は太腿を撫でられた。
その感触は今でも鮮明に私の中で蘇る。
もちろん、ねじ伏せることなど簡単だった。でも私はそれをしなかった。
これ以上、ハルさんに迷惑をかけたくなかったから。
私が耐えればいいだけ。こんなの、慣れてる……そう思っていた。
過去にもこんな気味の悪い経験はあった。
勇者であり女であった私に向けられた下劣な視線。
汚らわしい欲望を向けてくる者たちに、逆らうことさえ許されなかった。
皮肉にも勇者という称号のおかげで、私はかろうじて純潔を守れたのだ。
でも……
でも、ハルさんはちゃんと私を見てくれて、守ってくれた。
それがどれほど嬉しかったことか。
そして……気づいてしまった。
いつの間にか私は彼に惹かれていた……この短い間に取り返しのつかないほどに。
「これからはこうならないように俺がお前を守ってやるから……」
「お前は笑顔が一番可愛いし……」
彼のその一言に自然と頬がゆるむ。
知らぬ間に私は彼の前で女になっていた。
あんなに愛はないと思っていたのに……今はもう恋に落ちている。
「華蓮?洗い物とかそんなに頑張らなくても、俺も手伝うからな〜」
「いえ、いいんです。私が好きでやっているので♡」
ソファから届く心地良い声。
彼はいつも私のことを気にかけてくれる。
その優しさが時に苦しいくらい愛おしい。
触れたい。抱きしめられたい。欲を言えば私を抱いて欲しい。
そんな女としての想いが心の奥から溢れ出して止まらない。
あふれる気持ちはもう隠せない。だから私は素直にこの気持ちに向き合うと決めた。
ハルさんが華蓮でいいと言ってくれたから。
私は勇者ではなく、一人の女、英 華蓮として彼の側にいたい……
食器を片付け彼のもとへと歩き出す。
そして、そっとその隣に座り何も言わずに腕に抱きついた。
「うわっ!?華蓮!?」
「洗い物をした私にご褒美ください♡」
「ご褒美!?どゆこと!?」
彼の香りと温もりに胸がときめく。
おどおどしている彼。きっとまだ私の気持ちには気づいていないのだろう。
だからこそ、積極的にアプローチして気づいてもらえるように仕掛けていく。
私は彼のお嫁さんになりたい……
その気持ちはもう本物になってしまった。
そんな自分に心の中で苦笑しながらも、彼とのあたたかな時間を私は過ごしていくのだ。
ほんの少しの新たな不安とともに——
次回:体調不良は突然に……
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奥付
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〜スレンダーなのに色々でっかい地味で気弱な中田さんをクズ彼から助けた俺は、全力で彼女を可愛くしてあげたい。〜
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