異世界で勇者になったのに、聖女と仲間がゲスすぎたので復讐します。

@flameflame

第1話

その日、俺――佐倉悠太は、ごく普通の高校二年生だった。特別な趣味もなく、かと言って友人がいないわけでもない。ただ漠然と、卒業後の進路とか、どうせなら可愛い彼女とか、そんな他愛ないことをぼんやりと考えていた、はずだった。


次に目を開けた時、俺は土の上に倒れていた。ひどく蒸し暑く、嗅ぎなれない土と草の匂いが鼻をつく。見上げれば、日本にはない奇妙な形の木々が空を覆い、遠くには鋸の歯のように鋭い山並みが連なっている。


「ここは、どこだ……?」


掠れた声が、乾いた喉から漏れた。混乱と、わずかな恐怖が胸をよぎる。しかし、それよりも先に、奇妙な違和感が全身を支配していた。妙に体が軽い。そして、なにより――、見慣れない服を身につけている。粗い麻でできた、ゆったりとしたチュニックのようなものに、質素な革のベルト。ズボンの代わりに、これまた麻の生地でできたゆったりとした袴のようなものを履いている。


「ああ、目覚められましたか!」


唐突に、背後から澄んだ声が聞こえた。振り返ると、そこに立っていたのは、まるで絵本から飛び出してきたような人物だった。腰まで届く金色の髪に、吸い込まれそうなほど深い青い瞳。純白のローブを纏い、胸元には十字架を模したペンダントが揺れている。紛れもなく、そこにいたのは聖女フローラだった。


聖女は、俺が呆然と見上げていると、一歩、また一歩と近づいてきた。その顔には、安堵と、かすかな悲しみが入り混じったような表情が浮かんでいる。


「よかった……意識が戻って。あなた様が、かの『勇者様』でいらっしゃいますか?」


勇者、だと?何を言っているんだ、この人は。俺はただの高校生だぞ。


「えっと……俺、佐倉悠太って言いますけど。勇者って、なんのことですか?」


俺の言葉に、聖女は困ったように眉を下げた。


「やはり、ご記憶が混乱されているのですね。無理もありません。次元の壁を越え、この世界に召喚されたのですから」


召喚? 異世界? 頭の中が真っ白になった。まるで、漫画やアニメの世界が、何の予兆もなく現実になったような感覚。これは夢なのか、それとも幻覚か。


「あの……すみません。もしかして、俺、なんか変な病気にかかっちゃいました?」


俺がそう言うと、聖女はふわりと微笑んだ。その微笑みは、ひどく儚く、そしてどこか諦めに似た色を帯びているように見えた。


「いいえ。あなたは、間違いなく『勇者』です。この『ファルクランド王国』を救うために、神に選ばれし者……」


聖女が語った話は、あまりにも荒唐無稽で、しかし妙に現実味を帯びていた。このファルクランド王国は、古より魔王と人間の争いが繰り返されてきた歴史を持つ。そして今、新たな魔王の出現により、王国は滅亡寸前の危機に瀕している、と。


「魔王は、すでに王国を半分以上支配しています。多くの民が虐げられ、命を落としました。我々には、もう、あなた様しか希望がないのです」


聖女は、その白い手で俺の右手をそっと取った。ひんやりとした、しかし確かな体温が伝わってくる。その視線は真剣で、俺に嘘を言っているようには見えなかった。


「どうか、この世界を救ってください。お願いします……勇者様」


目の前で、聖女が深々と頭を下げる。その白い髪が、さらりと風に揺れた。


俺は、どうすればよかったのか。ただの高校生が、いきなり「勇者」だと言われて、はいそうですかと頷けるはずもない。けれど、この聖女の必死な瞳を見ていると、どうにも突き放すことができなかった。


******


聖女に連れられ、俺は王国の城へと向かった。城というよりは、巨大な石造りの砦といった方が近いだろうか。その壁には、無数の戦いの痕が生々しく刻まれている。城門をくぐると、兵士らしき人々が慌ただしく行き交い、その顔には疲労と絶望の色が濃く浮かんでいた。


謁見の間で待っていたのは、二人の男だった。一人は、豪華な衣装を身につけ、傲慢そうな顔立ちの男。もう一人は、黒いローブを纏い、顔の半分ほどがフードで隠れた男。


「おお、来たか、勇者よ」


傲慢そうな男が、いかにも尊大な態度で口を開いた。聖女が、彼の身分を教えてくれる。


「こちらが、ファルクランド王国の王太子、アルフレッド殿下でございます」


やはり、絵本に出てくるような人物ばかりだ。俺は戸惑いながらも、軽く頭を下げた。


「そして、こちらが宮殿魔術師のゼノ様です」


黒いローブの男は、俺を一瞥しただけで、何も言わなかった。ただ、そのフードの奥で、わずかに目が光ったような気がした。


アルフレッド王太子は、俺を上から下まで値踏みするように眺め、フンと鼻を鳴らした。


「ふむ。これが異界から召喚された勇者か。思ったより、頼りなさそうに見えるな」


その言葉に、聖女がすかさず反論する。


「アルフレッド殿下! 勇者様は、この世界の希望でございます!」


「わかっている。だが、見た目はどうにも……」


王太子は、俺をあからさまに軽蔑したような目で見ていた。俺は、何も言い返せない。実際、自分でもこんなひょろい高校生が、いきなり魔王を倒すなんて冗談にしか思えなかったからだ。


だが、王太子はすぐに本題に入った。


「ともあれ、勇者よ。お前には、魔王を討伐してもらう。それがお前の使命だ」


あまりにも一方的な物言いに、俺は思わず口を開いた。


「えっと……俺、普通の高校生なんですけど。剣とか魔法とか、全く使えません」


「そのようなことは問題ない。勇者には、眠れる力が宿っている。それが目覚めれば、どんな敵も打ち破ることができるだろう」


王太子は、俺の言葉などまるで聞いていないかのように言い放った。そして、こう続けた。


「お前の旅には、この二人が同行する。聖女のフローラと、宮殿魔術師のゼノだ」


聖女フローラは、俺の隣で静かに微笑んだ。ゼノは相変わらず無言のままだ。


こうして、俺の、いや、佐倉悠太の異世界での旅は、唐突に幕を開けた。わけもわからぬまま「勇者」に祭り上げられ、魔王を倒すという途方もない使命を背負わされた。不安と混乱、そして、この世界の不穏な空気が、俺の心を重く沈ませる。


旅が始まって、数日が経った。


俺たち四人は、日々、魔王の支配領域へと足を進めている。聖女フローラは、献身的に俺をサポートしてくれた。旅の準備から、野営での食事の用意、傷の手当てまで、何もかもを完璧にこなす。


「勇者様、今日は少し疲れましたか? 足元にお気をつけて」


森の中を歩いていると、フローラが振り返って、俺に優しく声をかけた。その声はいつも穏やかで、聞いているだけで心が安らぐようだった。


俺は、この聖女が、だんだんと「好ましい」存在になっていくのを感じていた。彼女の優しさ、気遣い、そして何よりも、この絶望的な状況の中で、決して希望を捨てないその強い心に惹かれていた。フローラもまた、俺に視線を送る時、時折、思わせぶりな素振りを見せるのだった。


しかし、王太子アルフレッドと宮殿魔術師ゼノは、相変わらず俺に冷たかった。特にアルフレッドは、俺の些細な行動にも口を挟み、ことあるごとに軽蔑の視線を向けてくる。


「おい、勇者。歩くのが遅いぞ。ぐずぐずしていると、魔王に先手を打たれるぞ」


「すみません……」


ゼノは、アルフレッド以上に感情を表に出さず、ただ黙々と旅を続ける。その存在は、常に俺の背後に張り付くような、薄気味悪さを感じさせた。


日が暮れ、野営の準備をする。フローラが手際よく火を起こし、簡単な食事を用意してくれる。その間も、アルフレッドは俺に小言を言っていた。


「まったく、異世界から来たというわりには、たいした力も持っておらぬ。本当にこいつが『勇者』なのか」


「殿下! そのようなことをおっしゃっては!」


フローラが庇ってくれるが、アルフレッドは気に留めない。


「事実であろう。お前はただの飾りか? 魔物を倒すどころか、剣の握り方も知らぬではないか」


俺は何も言い返せない。彼らの言う通り、俺は何もできない。そんな自分が、この世界の命運を握っているという状況が、ひどく滑稽に思えた。

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