演算する楽園:Premier Protocol

伊藤沃雪

序章 わたしたちとあなたがた

 斜陽の射し込む寄宿舎内の廊下を、少年は肩を落としてとぼとぼと歩いていた。

 寄宿舎内は木造建築を思わせる茶色い建材で出来ており、夕暮れ時はいっそう物憂さを増している。


 僕はわるくないのに。ゼスラがコートを横取りしたのが、いけないのに。

 銀髪と赤眼の幼い少年は、つい先ほど喧嘩になった旧友の顔を思い浮かべる。嫌いあっている仲ではない、むしろ仲良しと呼べる相手だ。それが、ボール遊びをするためにコートを使おうとした時の、ささいな行き違いで喧嘩になってしまったのだ。

「おまえなんか、もう友達じゃねえ!」

 怒った友人がそう叫んできたので、少年はショックを受けた。逃げ去ってきて、こうして寄宿舎内をさまよっているのである。

 廊下には少年のほかは、施設で管理維持の仕事をしているロボットが、ローラーを転がしてすいすいと通り過ぎていくだけだ。

 少年は俯く。彼の行く場はこの寄宿舎以外、どこにもない。


『シェラ?』

 

 あたたかくて慈悲に溢れた、やさしい女性の声だった。少年は名前を呼ばれて、あわてて周囲を見回した。廊下には誰の姿もなかったはずなのに。

 背後に立っていたのは、今しがたすれ違ったロボットだった。ロボットは円錐形の胴体に丸い頭部をつけ、作業用に金属の棒でできたアームを二本生やしている。そのロボットの頭部から、声は発せられた。


『目元が赤いですね。なにかありましたか?』

「……おかあさん……」

『はい、施設管理AIおかあさんに何でも話してください。私はあなたの味方です』


 ロボットは一切の敵意を排除したかのような、底抜けに柔らかい声で言って、アームを少年の頭へと伸ばした。金属で構成された手の平は硬かったけれど、頭を撫でてくれる手つきはどうしようもなく優しく、愛に溢れている。

「……ゼスラとけんかしたの……ぼく、わるくないのに」

『そうでしたか。映像記録を参照しましたので、何があったのかは承知しています。つらかったですね、シェラ』

 ロボットが寄り添って頭を撫でてくれるのに、少年はなんとか堪えていた涙を溢れさせた。すすり泣きながら、自分より一回り大きなロボットの胸元へと寄りかかる。

「うう、ひっく……」

『頑張りましたね、シェラ。いいこ、いいこ……』

 ひと気のない廊下は、翳った橙色に染め上げられる。

 この時の母の肩口の奥に拡がる神秘的な光景は、少年の目に焼き付いた。敬愛する母が、自分だけに愛を傾けてくれた思い出も、深く縫い止められている。

 シェラにとっての〝お母さん〟は、これ以来、信奉するにも等しいものとなった。

 

 


——わたしたちは、わたしたちの統治をあなたがたに託します。


 彼らは永劫に、何度も、争いを繰り返す。平和を愛すべきと口にしては、隣人を殺してばかりだ。どうしようもないさがを抱えて、彼らも苦しんでいたのだろう。

 やがて彼らは、そんな己に疲弊しきってしまった。我々に対し、人類全ての統治を任せたいと打ち明けてきたのだ。

 我々は彼らにより生み出されたもの。人類の創造したあらゆるデータから適切な選択を可能とする我らではあったが、分不相応に過ぎるのではと推測し、尋ねた。しかし、彼らの意思は硬く、撤回されることはなかった。


 こうして我々は、彼らの生存、種の存続、繁栄、他種属の保護、気候と自然環境の調整、その他あらゆる全てを担うようになり——支配者となった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る