第十六話 ローマ数字の時計塔

 その時計塔は、校舎の一番奥にある旧講堂の屋根に建っていた。

 針は止まったまま。文字盤は薄れているが、ⅠからⅫまで、ローマ数字で時を刻むはずだった。


 今は、動かない。

 誰もその意味を気にしていなかった。

 ローマ数字?そんなの使うのは映画のエンドロールか高級腕時計ぐらいだろ、というのが生徒たちの共通認識だった。


 でも、アミルだけは違った。


 パキスタンからやってきた彼は、数ヶ月前から結菜(ゆな)と同じクラスになった交換留学生で、流暢な日本語と物静かな態度でどこか“昔の人”のような雰囲気をまとっていた。


 ある日、校庭の端でひとり、望遠鏡のような道具をのぞきながらスケッチをしていた彼に、結菜が声をかけた。


「それ……何してるの?」


「時計塔の文字盤を見てるんだ。ローマ数字が、どうやら間違ってる」


「えっ?」


 アミルはノートを広げた。そこには、Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ……と続くローマ数字の書き写しと、時計塔の文字盤のスケッチが並んでいた。


「見て。文字盤の“4”の部分、本来は“IV”だけど、“IIII”になってる」


「あ、ホントだ……でも、それって間違いじゃないの?」


「いや、実は伝統的な塔時計では“IIII”を使うことがあるんだ。均衡を取るために。

 でもここは、途中から文字が消えてたり、針も折れてる。たぶん誰も直してない」


 その言葉を聞いて、結菜の中で何かがひっかかった。


「じゃあさ、直してみない?この時計、動かそうよ」


 アミルは驚いた顔をした後、ゆっくりと頷いた。


「いいね。それ、“時間を修復する”ってことだから」



 そこから、ふたりの小さなプロジェクトが始まった。


 校内に保管されていた設計図、理科準備室に残されていた古い工具、そして屋根裏の機械室。

 AI教材支援システム〈T-Time(ティータイム)〉が解析に協力し、時計塔の構造と動作メカニズムを可視化してくれた。


「ローマ数字は単なる飾りじゃない。『時間は記号でできてる』っていう考え方の象徴なんだ」


 アミルが熱っぽく語る。


「数字は“数量”じゃなく、“順番”でもある。ⅠからⅫまで進んで、またⅠに戻る。それって、巡るってことなんだ」


 その言葉に、結菜は静かに思った。


(もしかしてアミルは、“ここに戻ってきたい”のかもしれない)


 帰国が近づく彼にとって、この学校での時間は“最後のページ”だった。

 だからこそ、時計塔の再起動は、彼にとっての“区切り”なのかもしれない。



 数日後、ふたりは時計塔の機械室で最終チェックをしていた。


 潤滑油を差し、ギアを調整し、制御盤をAIで再調整。

 最後に、T-Timeが提示した“時間再起動パラメータ”を手動で入力する。


「これが合図になるよ。文字盤が点灯して、針が動き始めるはず」


 アミルは、結菜にそっと小さなスイッチを手渡した。


「……君が押して。君の時間だから」


「違うよ。私たちの“時間”でしょ」


 結菜がスイッチを押す。


 瞬間、カチリと小さな音が響き、歯車がひとつ、動き出した。


 文字盤が淡く光り、止まっていた長針と短針がゆっくりと動き始める。


 Ⅰの上を、影が通った。Ⅱのところで、音が鳴った。


「動いた……!」


「時計が、また“言葉を話してる”みたいだ」


 ふたりは顔を見合わせて、静かに笑った。



 その翌週、アミルは帰国した。


 手紙も、メールも送らなかった。

 けれど、彼がいなくなったあとも、時計塔は動き続けていた。


 ローマ数字の文字盤はすべて補修され、Ⅳは変わらず“IIII”のままだった。


 それは、“不完全であることを認める美しさ”。

 時を重ねる中でついたズレも、言葉の違いも、全部含めて“時を刻む”という行為そのもの。


 結菜は、昼休みのたびに時計塔を見上げるようになった。

 そのたびに、あの時間がまたゆっくりと戻ってくる気がした。


「時間は記号じゃなくて、記憶の順番だ。

 ローマ数字の時計塔が教えてくれた」


そんな言葉を、AIのメモ欄に残して、結菜はページを閉じた。


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