第十二話 漢詩回廊

 悠斗は漢文がきらいだった。

 いや、「遠い世界すぎて、意味がわからない」と言った方が正確だった。


 “天上白玉京 十二樓五城”

 “芳草鮮美 萋萋其靑也”

 読み下し文、書き下し文、返り点。どれも現代の言葉には見えなかった。


「古いし、無駄だし、スマホで訳せば十分だろ」


 クラスメイトの誰もがそう思っていたし、悠斗も例に漏れずその一人だった。


 そんな悠斗が、あんな場所で“詩の迷路”に閉じ込められるなんて――そのときは、想像すらしていなかった。



 事の発端は、放課後に友人たちと体験した、新作VR学習ゲーム〈言の葉シリーズ:漢詩回廊〉だった。


「AIが生成した詩の世界を、君だけの言葉で読み解け!」

 キャッチコピーはカッコいいが、所詮は教育ゲーム。期待値は低かった。


 だが、ヘッドセットを被った瞬間、悠斗の意識はまるで本当に“別の世界”へ連れていかれた。


 そこは、霧の立ちこめる石畳の道。左右には古い竹林と曲がりくねった川が流れ、空には赤い月が浮かんでいる。


「ようこそ、“漢詩回廊”へ」


 頭上から響いたのは、朗々とした声だった。だがそれは人間の声ではなく、AIによって調律された“詩の案内人”だった。


「この回廊は、漢詩の言葉と心で作られています。

 五つの詩を正しく読み解き、意味を“感じた”とき、君は出口へ辿り着くでしょう」


 悠斗は笑った。


「なにそれ、中二かよ……」


 だが次の瞬間、回廊の入り口が音を立てて閉ざされた。


「え、ロックされた!?」


「え、出られないの?バグじゃなくて?」


 友人たちとパーティを組んでいたものの、通信は遮断され、脱出するには“詩を読むこと”が唯一の手段になった。



 最初の部屋には、巨大な石碑があった。

 そこに刻まれていたのは、杜甫の一節。


“国破山河在 城春草木深”


 AIの声が告げる。


「この詩の“心”を感じ、次の扉を開けよ」


 悠斗たちは、スマホも翻訳アプリも使えない環境で、それぞれ思いつくままに訳を試みた。


「えっと……国が壊れても山とか川はある、みたいな?」


「春の町は草とか木が生い茂ってて……」


 正確な訳ではない。それでも、誰かがつぶやいた。


「なんか、静かだけど、悲しいね」


 その瞬間、石碑が光り、回廊の奥の扉が開いた。


「感情による読解を確認。通過を許可します」



 二つ目、三つ目の部屋でも、彼らは詩と向き合いながら、意味ではなく“感じる”ことで道を切り開いていった。


 誰かの声で読み上げると、詩が音になり、風景が揺れ、香りすら漂ってきた。


 漢詩とは、意味を超えた“心象風景”だった。


 四つ目の詩は、李白の「静夜思」。


“牀前明月光 疑是地上霜”


 「ベッドの前の月の光……地面の霜かと思った……って、これ……」


 「寂しいよな。ひとりで月見てる気持ち」


 そうつぶやいた瞬間、回廊の空に満月が昇った。



 そして、最後の部屋。

 そこには、まだ登録されていない“空の石碑”が立っていた。


 AIの声が言った。


「ここで詩を“つくる”のです。あなた自身の言葉で。

 漢詩の形式にこだわらず、“想い”を綴ってください。

 それがこの迷路を終わらせる“鍵”です」


 沈黙が落ちた。


 悠斗は、そっと口を開いた。


「……じゃあ、書くよ。漢詩じゃないけど、言葉は使う」


明日はまだ知らぬ道

今を歩く我の影

誰の詩にもならずとも

心に風のあるかぎり


 石碑が白く光った。

 空が開き、赤い月がゆっくりと沈んでいった。


「確認しました。“言葉”は届きました」


 AIがそう言い残し、全員のヘッドセットが同時にフェードアウトした。



 現実に戻った教室で、友人がぽつりとつぶやいた。


「なんかさ、あれ……“無駄”じゃなかったよな。漢文」


 悠斗は、机の中から漢文のプリントを取り出した。

 「訓読」「返り点」……もう“意味がわからないだけの記号”ではなかった。


 そこには、誰かが残した言葉の旅路があった。


「カンブンって、魂の座標だったのかもな」


 そう言って、彼は笑った。


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