第十二話 漢詩回廊
悠斗は漢文がきらいだった。
いや、「遠い世界すぎて、意味がわからない」と言った方が正確だった。
“天上白玉京 十二樓五城”
“芳草鮮美 萋萋其靑也”
読み下し文、書き下し文、返り点。どれも現代の言葉には見えなかった。
「古いし、無駄だし、スマホで訳せば十分だろ」
クラスメイトの誰もがそう思っていたし、悠斗も例に漏れずその一人だった。
そんな悠斗が、あんな場所で“詩の迷路”に閉じ込められるなんて――そのときは、想像すらしていなかった。
*
事の発端は、放課後に友人たちと体験した、新作VR学習ゲーム〈言の葉シリーズ:漢詩回廊〉だった。
「AIが生成した詩の世界を、君だけの言葉で読み解け!」
キャッチコピーはカッコいいが、所詮は教育ゲーム。期待値は低かった。
だが、ヘッドセットを被った瞬間、悠斗の意識はまるで本当に“別の世界”へ連れていかれた。
そこは、霧の立ちこめる石畳の道。左右には古い竹林と曲がりくねった川が流れ、空には赤い月が浮かんでいる。
「ようこそ、“漢詩回廊”へ」
頭上から響いたのは、朗々とした声だった。だがそれは人間の声ではなく、AIによって調律された“詩の案内人”だった。
「この回廊は、漢詩の言葉と心で作られています。
五つの詩を正しく読み解き、意味を“感じた”とき、君は出口へ辿り着くでしょう」
悠斗は笑った。
「なにそれ、中二かよ……」
だが次の瞬間、回廊の入り口が音を立てて閉ざされた。
「え、ロックされた!?」
「え、出られないの?バグじゃなくて?」
友人たちとパーティを組んでいたものの、通信は遮断され、脱出するには“詩を読むこと”が唯一の手段になった。
*
最初の部屋には、巨大な石碑があった。
そこに刻まれていたのは、杜甫の一節。
“国破山河在 城春草木深”
AIの声が告げる。
「この詩の“心”を感じ、次の扉を開けよ」
悠斗たちは、スマホも翻訳アプリも使えない環境で、それぞれ思いつくままに訳を試みた。
「えっと……国が壊れても山とか川はある、みたいな?」
「春の町は草とか木が生い茂ってて……」
正確な訳ではない。それでも、誰かがつぶやいた。
「なんか、静かだけど、悲しいね」
その瞬間、石碑が光り、回廊の奥の扉が開いた。
「感情による読解を確認。通過を許可します」
*
二つ目、三つ目の部屋でも、彼らは詩と向き合いながら、意味ではなく“感じる”ことで道を切り開いていった。
誰かの声で読み上げると、詩が音になり、風景が揺れ、香りすら漂ってきた。
漢詩とは、意味を超えた“心象風景”だった。
四つ目の詩は、李白の「静夜思」。
“牀前明月光 疑是地上霜”
「ベッドの前の月の光……地面の霜かと思った……って、これ……」
「寂しいよな。ひとりで月見てる気持ち」
そうつぶやいた瞬間、回廊の空に満月が昇った。
*
そして、最後の部屋。
そこには、まだ登録されていない“空の石碑”が立っていた。
AIの声が言った。
「ここで詩を“つくる”のです。あなた自身の言葉で。
漢詩の形式にこだわらず、“想い”を綴ってください。
それがこの迷路を終わらせる“鍵”です」
沈黙が落ちた。
悠斗は、そっと口を開いた。
「……じゃあ、書くよ。漢詩じゃないけど、言葉は使う」
明日はまだ知らぬ道
今を歩く我の影
誰の詩にもならずとも
心に風のあるかぎり
石碑が白く光った。
空が開き、赤い月がゆっくりと沈んでいった。
「確認しました。“言葉”は届きました」
AIがそう言い残し、全員のヘッドセットが同時にフェードアウトした。
*
現実に戻った教室で、友人がぽつりとつぶやいた。
「なんかさ、あれ……“無駄”じゃなかったよな。漢文」
悠斗は、机の中から漢文のプリントを取り出した。
「訓読」「返り点」……もう“意味がわからないだけの記号”ではなかった。
そこには、誰かが残した言葉の旅路があった。
「カンブンって、魂の座標だったのかもな」
そう言って、彼は笑った。
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