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 秋華は、後宮の廊下を歩いていた。尚宮の用事は、舞のことだった。

 妃の仕事はその階級に応じて様々なものがあるが、輝加国においての皇后の仕事は、雨ごいの舞を奉納することである。この国で皇后の地位は雨の巫女に限られるので、それ以外の仕事はほとんど分担されていない。

 尚宮と話をした後さらにいくつかの用事をこなして、秋華は部屋に戻る。廊下にひびくのは秋華の足音だけで、あたりに人影はなかった。

 ないくうに位置する後宮には、過去一番多い時は数千人もの妃嬪がひしめいていたという。けれど、じょじょにその数も減っていき、せんていの時代には十人にも満たない数になっていた。

 そして今は、まだこの広い後宮には皇后である璃鈴しかいない。必然と、女官や宮女も少なく、後宮内は静かだった。


「早く他の妃も入宮させないと」


 ふいに、いら立ったような高い声がどこからか聞こえて、秋華は足を止めた。


「ごこんから十日以上も経つというのに、陛下が皇后のもとを訪れたのはたった一晩。これではおぎも期待できませぬ」

「しょせん、世間知らずの巫女ふぜい。形だけの皇后にすぎぬからな」


 聞こえた会話に、秋華は思わず声をあげそうになる。

 耳に飛び込んできたのは、後宮にいるはずのない男の声だったのだ。中年とおぼしきその声は、後宮に入ることを許されている飛燕のものでないことはすぐにわかった。

 あたりを見回すと、どうも後宮の入り口に近い一室から聞こえてきたようだ。皇帝の私室が近く、急用のある官吏などが訪れることもなくはない。だが、押し殺したような男の声は、そんな雰囲気ではなかった。


「なに、他に妃を入れる手はずはすでに整っている。近いうちに、この後宮にもあんな子どもではなくうるわしい妃が揃うことだろう」


 璃鈴のことを話していると気づいた秋華は、気配を殺して耳をかたむける。


おそすぎるくらいですわ。本来なら、皇帝がごそくする際には大勢の妃嬪を揃えてはなやかに陛下をお迎えするはずだったのに……。何より、皇太子がいない今、に関する問題を陛下は甘く考えすぎですわ」


 それは、確かに輝加国がかかえる大きな問題の一つだった。

 今の輝加国には、皇太子がいない。

 二十年ほど前のことだ。今の皇帝がまだ幼いころに、後宮内で毒殺さわぎがあった。

 数人の妃が手を組んで、皇后とその子どもたちの殺害をくわだてたのだ。幸い皇太子だった龍宗に害はおよばなかったが、生まれたばかりの龍宗の弟がくなり、皇后にも重いこうしょうを残した。

 激しく怒った皇帝はとうがいの妃たちを死罪。皇后を除いた残りの妃嬪も身一つで全て後宮追放にした。その後、新しく妃嬪は増えたが、龍宗以外の子が産まれることはなかった。


「そうだな。去年は皇帝に即位したばかりでまずは国を落ち着けてから、と言われ、神族の巫女すらめとらないのに他の妃嬪を入れろ、とは言えなかった。あれから一年待ったのだ。これから新しい妃が揃えば、陛下の目も自然とそちらに向くことだろう。陛下とて立派な男だ。あんな子どものような后では、物足りないだろうからな」

「あの娘」


 いまいましそうな女性の声がする。


「神族の巫女ということを鼻にかけて、全く生意気なこと。やはり、あのままにしておくのは、陛下のためにもよろしくありませんわ」

「ふむ。妃の件と同時に例の件も進めるべきか。ふさわしい女官の目星をつけておけ」

「かしこまりましたわ」


 は、と秋華が気づいた時には遅く、いきなり目の前の扉が開いた。身をかくすこともできず、秋華は出てきた男と顔を合わせてしまう。


 かっぷくの良い中年の男だった。服装からして官吏だろう。向こうもそこに人がいるとは思わなかったのか、ぎょっとして足を止めた。


「お前は……」


 何かを言われる前に、秋華は頭を下げて前を通り過ぎようとした。その手を、男がつかむ。


「聞いていたな」

「いいえ。何も」


 目をそらして秋華は言った。うそとはすぐにわかるだろう。だからといって話の内容を考えれば、聞いていたなどと正直に答えることもできない。


「お前は確か、皇后のじょであったな。名は」

「……秋華と申します」


 秋華はすでに雨の巫女ではないが、とくしゅな事情のためにいまだせいを持たない。


「ほう。『次の巫女』か」


 言われて、秋華は思わず男を振り向いていた。その言葉を知っているとなれば、かなりの高官に違いない。それは、今のようにあからさまに口にしてはならない言葉だ。男は、にやりとその顔に笑みを浮かべる。


「ちょうどいい。少し、お前と話がしたい」

「私は……」

「なに、たいしたことではない。お前にも悪い話ではないぞ」


 つかまれた腕の力は強く、秋華では振りほどけない。

 そうして秋華は、部屋へと無理やりに連れ込まれてしまった。


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