第三話:声を失う朝

朝の光はいつもより冷たく感じた。目覚まし時計の音が部屋中に響くのに、私の心はまるで音を聞いていないかのように沈んでいた。喉が詰まっている。声が出ない。呟きたいことも、抗いたい気持ちも、すべてがもどかしく絡み合って消えていく。


仕事に行く支度をしながら、鏡に映る自分の顔を見た。そこに映っているのは、もう「私」ではなかった。目の奥に浮かぶ陰が、まるで異形の影のように私を覆っていた。こんな自分がいることを認めたくなかった。だが、それを否定することすらできなかった。


電車の中。人混みの中で孤独を感じるのは、もはや日常だった。誰も私に話しかけない。私も誰にも話さない。会話が消え、音が消え、世界が灰色に溶けていく。スマートフォンを握る手が震えていたが、画面を開く気力もなかった。


会社に着くと、朝礼の声が耳を刺すように鋭かった。だが、私は聞こえないふりをした。心が壊れかけているのを悟られたくなかった。仕事を始めても、頭がぼんやりして集中できない。パソコンの画面が文字の羅列にしか見えなかった。


そんな私を誰も気にしない。上司は、ただ数字を追い、部下はそれぞれの仕事に追われている。仲間という感覚は、遠い昔の記憶のようだ。


昼休み。再び非常階段に逃げ込む。少しだけ冷たい風が頬を撫でた。息を吸うたびに胸が締め付けられる。誰かに助けを求めたいのに、声が出ない。声がない。


午後の会議で、また私が責められた。上司は目も合わせず、淡々と指示を出すだけだった。私はうなだれるしかなかった。言い訳をしようと思ったが、声が喉に詰まって出なかった。


周囲の目が痛かった。私の沈黙が嘲笑にも、哀れみにも、怒りにも見えた。だが、そのどれもが真実ではなかった。ただの無関心だった。


仕事が終わり、帰宅する電車の中で、ふと携帯を見た。誰からもメッセージは来ていなかった。もはや連絡先すら開く気がしなかった。孤独が身体中を這い回る。


部屋に戻り、電気を消した。真っ暗な空間に横たわると、涙が止まらなかった。涙が流れる音さえも、まるで遠い世界のことのように思えた。


自分がどこにいるのか、何をしているのか、なぜ生きているのか。そんな問いは、もう意味を持たなかった。


ただ、深い闇の底に沈んでいく自分がいた。

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