第2章 ふたりの会話④
「ねぇ、今度の休み、うち来る?」
愛子が唐突にそう言ったのは、週末の帰り道だった。
「え?愛子んち?」
湊は思わず声を裏返らせて聞き返す。
「うん、最近デートで外ばっか出てたし、ちょっとお金もったいないなって思って。映画観たり、ゲームしたりでいいじゃん」
「……ゲーム?」
「うん。Switchあるし、なんかしながらダラダラ喋るだけでもいいかなって」
湊は少し考えてから、ゆっくりとうなずいた。
(女の子の家に遊びに行くのなんて始めてだよ……)
そして迎えた日曜昼過ぎ。湊はコンビニで飲み物とポテチを買って、愛子の家に向かった。たまに送る事があったから場所はわかっていた。
手土産といっても、あまり気取ったものを持っていくのは逆に気まずかった。「飲み物くらい持ってくわ」と事前にLINEしていたので、せめて愛子が好きそうなカフェラテを多めに選んだ。
アパートのインターホンを押すと、少ししてドアが開く。
中から出てきたのは、ラフなスウェットに髪をざっくり結んだ愛子だった。
「わー、ほんとに来た!いらっしゃい」
「当たり前じゃん……」
照れ隠しに小声で返しながら、湊は靴を脱いで中へ。
部屋に入った瞬間、ふわりとカレーの香が鼻をくすぐった。湊は気づいたが、何も言わなかった。けれどその香りは、胸の奥を温めた。愛子が自分の為に用意してくれたご飯?
――そう思うだけで、思わず顔がほころびそうになるくらいうれしかった。
けれど、それがなんだか照れくさくて、湊は努めて平静を装った。
部屋は思ったより狭くて、でも生活感があって、落ち着く空気が流れていた。床に直接座るスタイルで、テーブルの上には既にスナック菓子とゲームのコントローラーが並べられている。
「はい、飲み物。甘いやつ買ってきた」
「ありがと!これ好きなやつ!流石!わかってるー!」
それから少しのあいだ、ふたりは並んで座って他愛もない話をした。湊が最近見ていた動画の話や、愛子がはまっている海外ドラマのこと。
ふと、湊が何の気なしに口にした。
「……卒アルとか、無いの?」
愛子は一瞬ぽかんとして、それから眉をひそめた。
「え~、あるけど……はずかしいよ~」
そう言いながらも、しぶしぶ立ち上がり、棚の引き出しを開けて高校の卒業アルバムを取り出す。
湊は、それを受け取ってページをめくった。
制服姿の愛子。少しあどけなく、髪型も今とは違っていたけれど、笑顔の形だけは変わらなかった。
「……なんか、今より大人っぽく見える」
湊がぼそっとつぶやくと、愛子は「それ褒めてる?」とだけ返し、そっぽを向いた。その頬が、わずかに赤くなっていた。
しばらくふたりの間にふと暖かく静かな空気に包まれ、アルバムのページをめくる音がゆっくりと流れる。真剣に、そして嬉しそうに昔の愛子を探す湊。愛子は自分の頬が熱くなっている気がして何とかこの空気をごまかそうとした。
「……マリカー、やる?確か得意って言ってたよね?」
そういいながらswitchを準備する愛子。
テレビ画面ではマリオカートのタイトル画面が光っている。
「あたしマジで強いからね」愛子が笑ってコントローラーを差し出す。湊はうなずきながら
「うん。……手がげんしないよ。」
「望むところだ。」
愛子はわざとらしく肩を回して笑った。その場の空気が、ふっと軽くなる。
最初はぎこちなく、でも少しずつ笑いがこぼれ始める。湊は、愛子の家という空間が意外と心地よいことに気づいていた。テーブルに肘をついて真剣にコントローラーを握る愛子の姿を、ふと横目で見た。
(……なんか、こういうの、いいな)
心の中で、そんな風に思っていた。
そして夕方、窓の外から近所の夕食の香りが漂い始めた頃、愛子がキッチンの方をちらりと見て言った。
「湊くん、お腹空いた?そろそろ晩御飯にしよっか?なんとカレーをつくっちゃいました~。」
湊は、ほんの一瞬だけ表情を明るくしたが、また照れくさそうに平静をよそった。
「え……ご飯、作ってくれたんだ……食べたい。」
平静を装っているが、一瞬見せた、(待ってました)と言わんばかりの反応に、愛子はくすっと笑った。
出てきたのは、家庭的なカレーライス。具材の切り方はちょっと不揃いで、ルウはほんのり甘くて優しい味がした。
「まだ練習中なの」と笑う愛子に、湊はうなずいた。
「……マジで、うまい」
その言葉に、愛子はちょっと驚いたように目を丸くした後、うれしそうに微笑んだ。
あっという間に、少なくない量のカレーを平らげた湊。
「……おかわり、いい?」
愛子は少し驚いたように目を見開いてから、笑った。
「うん、まだいっぱいあるよ。」
二杯目のカレーもあっという間だった。湊は無言のまま、最後のひと口まで丁寧にすくって食べ終えた。
「……ほんと、うまかった」
そうつぶやくと、愛子は「よかった。嬉しい。」とだけ返した。
それから、またまったりとした時間を過ごした。大学の話、坂元(バイト先の店主)の話。
共通の話題が多いふたりは自然と無理せず会話が盛り上がった。そしてまた、自然とマリオカートを始めた。
コントローラーのカチャカチャという音と、画面に向かって笑い合う声が部屋に響いた。
お互いに遠慮なくバナナを投げ合い、甲羅をぶつけ合う。
勝った負けたと騒ぎながらも、空気はずっと心地よくて、やわらかかった。でもそれ以上は何もない。ただ、楽しくて、居心地がよくて。何かが始まりそうで、でもまだなにも始まっていないようで──そんな、静かで温かく賑やかな夜だった。
湊はふと、スマホの時計を見て、小さく息をついた。気づけば、時計の針は日付をまたいでいた。
「……そろそろ、帰らなきゃだね。」
そう言って立ち上がろうとすると、愛子が横目でちらりと見上げる。
「泊まってけば?」
その言葉に、湊は小さく瞬きをした。戸惑いながらも頷くと、愛子は当たり前のように自分の枕の隣にクッションを並べる。
「え?いいの?え?あの、……あれ? 布団は?」
「ん?うち、ベッドひとつしかないよ」
愛子はあっけらかんとそう言って、。ベッドのシーツを直し始めた
「……そっか」
湊の声は少しだけ掠れていた。何かを察している。でも、自分からは何も言わない。言えない。
愛子はそんな湊の真面目で、不器用で、そしてその純粋さにどこか愛おしさすら感じていた。
「先にシャワー浴びる?……それとも一緒に浴びちゃう?」悪戯っぽく笑いながら言ったあと
「冗談冗談!パジャマは無いけどこのスエット着て、あ、あと、はい。バスタオルと歯ブラシ」
「……あ、ありがと……じゃ、シャワー借ります……」
気もそぞろにシャワーを浴び愛子に借りたスエットに着替えて部屋に戻った湊はどこか居心地が悪そうに突っ立っていた。
「じゃ、次わたし浴びてくるね。寝ててもいいし、テレビ見ててもいいし」
さすがの愛子も照れ臭いのか早口でそう言うとシャワーを浴びに行った。
「……どうしよう……と、とりあえずテレビでも見ておくか……」
この後起きるであろう事を考えるとテレビの内容なんて何も入って来る訳も無くただソワソワとしていた。
「はぁ、サッパリしたー!」
愛子はもう覚悟を決めた?ようにいつものハツラツとした愛子に戻っていた。
「じゃ、もう遅いし、寝よっか」
愛子が言う。
「う、うん……」
「あ、湊君、テレビ消して。あ、あと電気も……」
部屋が暗くなり、ベッドにふたりが横になる。わずかな体温と鼓動の音が、布団越しに伝わってくる。
「湊くん」
「……ん?」
「こっち向いて」
言われるままに向き合うと、すぐそこに愛子の顔。暗闇の中でも目が合っているのがわかる距離。
(……ち、近い)
緊張と気恥ずかしさで声なんて出せず、心の中で彼女の名前を呼ぶと、それを察した愛子はふっと微笑んで、
そっとキスをした。
それはごく自然で、あまりに優しい仕草だった。
湊は一瞬、息を止めた。
「ねえ……嫌?」
小さく、囁くように。
その言葉に、湊はただ首を横に振った。
『初めて』だった。触れ方もわからない、息の仕方すら忘れてしまいそうだったけれど、愛子が手を取り、導いてくれた。不安そうな湊の表情を見て、愛子は何度も優しく笑ってくれた。
言葉はなかった。けれど、ふたりの間には確かに何かが流れていた。優しさと、温もりと、許しと、そしてひとつになるという静かな決意。
夜が静かに更け、やがてもう一つの“初めて”の朝を迎えた。
「……ふぁあ、よく寝たぁ〜」愛子が大きく伸びをしながら、ベッドの上であくびをする。湊は愛子よりも少し先に目覚めていた。
ぼんやりと愛子の寝顔を見つめていたが――ふと目が合うと、昨夜の記憶が一気に蘇ってきて、顔が一気に熱くなる。
「お、おはよう……」
「おはよ〜、湊くん。よく寝れた?」
「う、うん……」
そんな会話を交わしながら、湊はふとベッド横の棚に目をやる。そこにあった小さな箱を見て、まじまじと手に取った。
「……ん? えっ、ちょっと待って……てか、そもそもなんで……これあんの?」
愛子がちらっと見てニヤッと笑う。
「え? なんで?って、大事でしょ、コンドーム?」
「いや、そうだけど! これ……用意してたの?」
「そりゃそうだよ!湊くん、ずーっと奥手で全然進展なさそうだったし、私がちゃんと準備しといたの!」
「ええぇっ!? そんな、なんか……ごめんっていうか……なんか、ありがと……てか……すごいな、愛子……」
「えへへ、ほめてんの? 照れるなぁ」
湊は顔を赤くして頭をかく。
「いや、なんか……全然予想してなかったというか……」
「まあまあ。湊くんが真面目で優しいのは知ってるから。でも、あたし達そろそろ踏み出してもいい頃かなって思っただけだよ」
「……愛子、ほんとすごいよな……」
「でしょ?」
そう言って笑ったあと、愛子は少しだけ目線を外し、ぽつりと呟いた。
「でも……私だって緊張したんだよ。女の子から言うのって、すっごく恥ずかしいんだから……」
「え?」
「私だって初めてで……コレだって、買うときどうしたらいいかわかんなくて……ちょっとだけ怖かったし、ちゃんと湊くんに受け入れてもらえるかなって……」
湊が驚いたように愛子を見ると、彼女は照れくさそうに笑って見せた。
「でもね、湊くんが優しくて、ちゃんと向き合ってくれて……すごく嬉しかったの」
「……そうだよね、ごめん」
湊は小さく、素直に頭を下げるように言った。けれどその言葉の続きを口にするより早く、愛子は少し笑って、目をそらすように続けた。
「……だから、次は……湊くんから……来てくれたら嬉しいなって」
少し間をおいて、湊は静かにうなずいた。
「……うん」
その声に応えるように、愛子と目が合う。
優しいまなざし。
その奥に、何かを求めているような……
湊の喉が、小さく鳴った。そして、間の抜けたような声でぽつりと漏らす。
「……え!? 今……?」
愛子はふっと笑った。照れたような、でもはっきりとうなずく笑顔。
「……うん。今。」
「え、えっ!? 今!? 朝だよ!?」
「うん。いいじゃん。朝でも関係ないよ」
愛子はケラケラと笑って、湊の背中にぴとっとくっつく。
「……まじ?……朝から……」
「まじだよ、朝から。朝ごはんはそのあとね」
「……じゃあ、朝ごはん……カレーがいい」
湊がぽつりとつぶやいた。
思わず、愛子の胸にあたたかなものがこみあげる。
(……そんなに気に入ってくれてたんだ)
顔には出さないようにしながらも、頬が自然とゆるむ。
「うん、まだあるよ。温めるね」
ベッドの中、ふたりの体温がぴったりと寄り添っている。
朝の光がカーテン越しに差し込みながら、その部屋には、静かであたたかな余韻が流れていた。
2人の笑い声と柔らかな吐息が絡まって、静かな部屋に、また新しい「始まりの朝」が満ちていく。
季節は秋に差しかかり、少し肌寒くなってきていた。それでも2人の生活は、どこかほんのり温かく、穏やかに流れていた。
日中は大学。授業の合間に何人かの友達と喋ったり、たまに学食で顔を合わせたり。お互い干渉しすぎることはないけれど、廊下で目が合えばふっと笑い合える――そんな距離感。
夕方からはバイト。湊は皿を洗い、厨房に立ち、愛子はテキパキとホールを回る。バイトが終わると、ラーメンか、たまに愛子が見つけた新しいご飯屋さんに寄ってから、どちらかの家へ。最近はどちらともなく「今日はどっち行く?」が合言葉になっている。
部屋では、ゲームをしたり、動画配信のドラマを見ながらながらダラダラと過ごす。買ってきたコンビニスイーツを半分こしたり、授業の愚痴をこぼし合ったり。そんな何でもない時間の中で、ふと触れ合う手の温度がそのまま唇へとつながっていく。
「……ねえ、愛子。こっち来て。」
湊のそんな言葉が合図になる夜も、自然と増えてきた。ぎこちなかった最初とは違って、今では湊も愛子の肌の温もりを、照れながらもかみしめるように受け止められるようになっている。
朝は、ぐしゃぐしゃの髪のままで「そろそろ起きようか」「あと5分だけ……」と笑い合い、昼はそれぞれの場所で頑張って、夜にはまた寄り添う。
特別なことは何もないけれど、互いの存在が日常のなかに溶け込んで、気づけば「いない時間」が少し寂しく思えてくるような、そんな関係だった。
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