第21話第六階層:黄昏の村
靄のような光が広がる転送陣を抜けた瞬間、K13班の面々は、音の消えた世界に足を踏み入れた。
「……ここが、六階層……?」
いぶきがつぶやいたその声さえ、やけに遠く感じる。
空は茜色に染まりながら、まるで時の止まった絵画のように、まったくその色を変えようとしない。
風もなく、音もない。地面にはひび割れた石畳が続き、その両脇には崩れかけた家屋が沈黙の中に立ち並んでいる。
「音が……ないな」
勇征が眉をひそめながらあたりを見回す。彼の背には、つい先日買い足したばかりの新しい剣が揺れている。
「まるで……時間が止まってるみたい」
「精神への干渉があるかもしれません」璃音が静かに言った。「深呼吸して、意識を保ってください」
彼女の指先には、霊的な揺らぎを感知するための小さなお札が握られていた。
霊的な揺らぎを感知するために準備したものだ。いつもはほんわかした雰囲気の璃音も、ここでは引き締まった面持ちだ。
一臣は無言で周囲に視線を走らせ、背中にいる班員たちの位置を何度も確認する。
タワーシールドを前に構え、腰にはメイスが吊られていた。敵がどこから来ようと、迎え撃つ覚悟はできている。どこから来るかわからない脅威に備える仕草は、もはや本能の域だった。
「餓鬼、出るんですよねここ……」
いぶきが小声で言う。
「うん、図書館の記録によると……四階層以降の常連って書いてあった。飢えた霊。生者を喰らう、呪われた存在」
と、そのときだった。
ガリ、ガリッ……。
――聞こえた。音のなかった村に、異様な咀嚼音が響いた。
「来るっ……!」
一臣の声に反応し、全員が一気に陣形をとる。いぶきは背後に下がり、勇征が前へと出て、タワーシールドを構えた一臣が側面を固めた。
木陰の奥から現れたのは、痩せこけた人のような影。
骨と皮ばかりの身体、裂けた口にぎっしりと並ぶ歯。地面にこぼれた米粒を夢中で拾いながら、複数の影が這い出してくる。
「餓鬼です! 三体! ……いえ、もっといるかも!」璃音が声をあげた。
「手早く済ませる!」
勇征が声を張り上げ、剣を構える。
「逸れるな!」
一臣が盾を上げ、後衛を庇うように前に出る。盾の背後から、いぶきが索敵範囲を拡げて補足を続ける。
戦闘はすぐに始まった。
餓鬼は素早く、しつこく、まるで飢えの塊そのもののように突っ込んでくる。
勇征の槍が一体を貫き、そのまま横に薙ぐように振り払う。骨が砕け、霊体が黒い煙のように散った。
「右、来る!」
一臣が咄嗟にタワーシールドを構え、二体目の突進を防ぐ。ずしんと鈍い衝撃が走るが、一歩も引かない。
すぐに盾の脇からメイスを振るい、餓鬼の膝を砕いた。
「火のない提灯の反応もある……右の路地、光の揺らぎ!」
いぶきが指示を出す。視線の先には、ふわふわと浮かぶ黒い提灯。ぼんやりと煙を垂らしながら、重力を無視して接近してくる。
「璃音、お願い!」
「はい―癒しを!」
小さな花の光が咲き、一臣の疲労を瞬時に癒す。璃音の笑顔は、薄暗い村の中でひときわ輝いて見えた。
餓鬼の一体が霧散し、地にボロボロの米粒の供物が落ちる。
いぶきが走り寄り、素早く布袋に米粒を回収する。
「これが餓鬼の供物みたいだね!」
「っしゃあ! 一体目撃破!」
璃音がもう一体の餓鬼に向けて浄化の札を放った。提灯の妖怪がそれに反応し、後退していく。
ようやく静寂が戻る。
「……第一波、撃退。全員、無事だな」
一臣が息を整えながら言った。
「うん、ありがとね、璃音。一臣もナイス盾だった!」
「餓鬼のスピード、学校のより速い気がする……」
いぶきが米粒を握った手を見ながら呟いた。
「とりあえず、落ちてる供物集めよっか」
――――
「こっち、祠の方角に進んでる……はず」
いぶきがマッピング用の手製コンパスを確認しながら前を行く。地図に描かれる村の構造は複雑ではないが、同じような風景が繰り返され、感覚が徐々に麻痺していく。
夕焼けの空はまったく変化がなく、まるで永遠に沈まない太陽のようだ。風はなく、ただ死んだ空気が肌に絡みつく。
「――あれ、看板?」
勇征が指さした先、曲がり角の朽ちた建物の前に、木製の立て看板が立っていた。黒ずみ、文字はところどころ剥げている。
いぶきが近寄って慎重に読み上げる。
『声なき村の声を聞け
聞こえぬ声に返すべからず
目に見えぬものを見れば、己が目を失う』
「……なにこれ。なぞなぞ? 警告文?」
「“返すな”って言って、“聞け”とも書いてる……矛盾してないか?」と勇征が眉をひそめる。
「……いや、これは多分、“どの声に返してはいけないかを見極めろ”って意味じゃない?」
いぶきが指で文字をなぞりながら続けた。「村の霊、全部が悪意あるとは限らないってこと。鍵となる霊も混ざってる、って話だったし」
「声を返すことで弔いになる者と、返したら危ない者がいる……?」璃音が小声で確認する。
「“目を失う”ってのは……比喩か、それとも――」
その時、唐突に声が響いた。
「……ねえ、ボクを見た?」
班員全員の背筋がぞわりと凍りつく。
「う、おぉぉ……!?」
一臣の背後、廃屋の陰から、汚れた着物を着た子どもの霊がいつの間にか立っていた。表情は曖昧にぼやけ、目元には黒い靄のようなものが絡みついている。
「ねえ、ボク……みんなに、見えないの。キミには見える?」
その声に、いぶきがとっさに言葉を返しかける――が、直前で止まる。
「……ダメだ、今の声は返しちゃダメ。音が、ずれてる」
彼女がひそひそ声で警告する。
「幻影じゃない、これは……精神攻撃」
その言葉を裏付けるように、視界の端に「別の班員」たちの姿がちらつく。かつての棟へ挑戦者の幻影。叫び、逃げ、あるいは泣きながら霊に喰われる映像。
「――ッ! やめろ……ッ!」
勇征が槍を振って霧を払うように空を薙ぐが、映像は霧のようにすり抜ける。
「幻覚……いや、霊視干渉。目を逸らすのが正解」璃音が素早く結界の符を地に置き、霊の姿を視界から外すよう結界を張る。
子どもの霊は、かすかに悲しげに笑って言った。
「ボクを見たなら、もう――」
言葉が終わる前に、一臣が重々しく前に出て、タワーシールドを地に突き立てた。
「見なかった。誰も、見ていない」
それは“声を返す”のではない、“否定”の言葉。
沈黙の中で、子どもの霊は輪郭を失い、ふっと消えていった。
「ナイス、一臣!」
いぶきがガッツポーズ。
「……こっち、本物の気配がある。さっきのは“偽物の声”だ」
彼女が再びコンパスを確認し、右手の細道を指差す。
「敵意じゃない、弱い霊の反応がある。――祠、近いかも」
班員たちは再び陣形を取り直し、足音を潜めてその道へと進む。
村の空気はますます重く、静けさが耳鳴りのようにのしかかる。
どこかで風鈴のような音が鳴り、また誰かの嗚咽が聞こえる。
不気味な静寂の中、彼らの精神と判断力が、何よりも試されていた。
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