四 伝家の霊鳥
カッカッ、と烏に似た鳴き声がする。
射し込んできた西日に目を細めつつ、晞子は奥玄関の引き戸を引いた。
そこにちょこん、と佇んでいるのは、白っぽい体に細長い黒い嘴、赤い顔をした
そこらでどじょうでも捕まえて食べてきたのか、げふ、と朱鷺がげっぷをする。晞子が身を引いて玄関で待ちかまえていると、朱鷺はとてとてと紅色の脚で歩いて入ってくる。
五匣家には、それぞれ家の名にちなんだ霊鳥が棲んでいると言われる。言われる、というのは五匣家同士の横のつながりが希薄なので、他の家がどうなっているのか分からないためだ。
元は
晞子はその場にしゃがみ込むと、朱鷺に視線を合わせた。
「朱鷺さま、深景はなにかへんな動きはしてた?」
晞子の問いに、グァー、の声が返る。
これは、いいえの合図だ。賢い霊鳥は晞子の言葉を一から十まで理解している。対する晞子は、はいかいいえを推察することくらいしかできないのだが。
今日、吟座に出かけると言って出て行った深景を、晞子は朱鷺に頼んで尾行してもらっていた。もし逃げる素振りを見せたらすぐに連絡してもらうよう頼んでいたのだが、どうやらもうすぐ言いつけどおりに帰ってくるようだ。
軽く顎の下を撫でていると、外のほうから物音がした。慌てて立ち上がり、廊下のほうへと足を踏み出す。折よく、奥玄関の引き戸がひらいた。
「ああ晞子さま、ただいま戻りました」
爽やかな胡散臭い笑みを浮かべた深景は、今日は桜色がかった灰色の地に亀甲柄のお対姿だ。新たに仕立てた服が仕上がるまでの急ごしらえの品だったが、なんとも粋に着こなしている。その手には、大きな風呂敷包みを抱えていた。
「……おかえりなさい」
目が合ったのに無視するのもどうかと思って、ぎこちなくそう答える。
途端、深景の目尻がくしゃりと細まった。
「な、なに?」
「いえ、その。ただいまとおかえりって、なんだか家族だなあと思いまして」
深景はどこか照れくさそうに口元を手で覆って、視線を下に向けた。
なんだか本当にその言葉に感じ入っているふうに見えてしまって、うっかりほだされそうになってしまうが、この男の前科には詐欺がある。天職は役者かひもか甲乙つけがたい男なのだ。
(……家族)
――ただいま、晞子!
仕事から帰ってくるたびにそう言って晞子を抱きしめてくれたその人からはいつも、白粉とお日さまのにおいがした。
そういえば久しぶりにおかえりなさいだなんて言葉を使ったな、と柄にもないことを思う。
稀代の名優につられたのか鼻の奥がつんとして、晞子は慌てて洟を啜った。
「そんなことより、どこに行ってたの」
「お言葉に甘えてキネマに。それからカフェーで珈琲を飲んできました」
晞子はさりげなく後ろをほっつき歩いている朱鷺を振り返る。
ターア、という声が返ってきて、ひとまず警戒を解いた。どうやら嘘をついているわけではないらしい。
「ところで、今朝からその鳥が俺のあとをくっついてきていたようなんですけど、ひょっとして晞子さまの使い魔か式神かなにかですか」
その問いに、晞子は目を真ん丸に見ひらいてしまった。
「あなた、朱鷺さまが視えるの?」
「はあ、見えますけど」
なんてことない様子で深景が頷く。
外から来た姉の婿も紅匣の契りを結んだが、彼は朱鷺が視えていなかったので、てっきり深景も視えないものと思っていた。だが、これには個人差があるのかもしれない。
実は昨日までも夜間の深景の部屋の外の見張りを朱鷺に頼んでいたのだが、視えるのでは尾行や監視も少々やりづらくなる。
晞子は渋面をつくりたくなるのをこらえて、朱鷺のそばに跪いた。
「朱鷺さまは手紙を飛ばしたりちょっとしたお使いもしてくれるんだけど、人に使役される使い魔や式神じゃなくて、神代からうちに居ついている神さまみたいなものよ」
案の定、朱鷺は使い魔だの式神だのという言葉に怒ったのか、羽根を広げて深景に威嚇をしている。
「こういうわけだから、くれぐれも丁重に接してちょうだい。気位が高いから、基本的に当主の言葉しか聞かないけれど」
「はあ、それはとんだ失礼を。ところで、名前は朱鷺さまなんですか?」
「正式な名前はないわ。その時々の当主が好きに呼び変えていたみたい。朱鷺さまが気に入ればなんでもいいのよ」
「へえ。では先代はなんと?」
「姉は――
思わず馬鹿正直に答えてから、そのことを後悔する。
「かわいいですね。桃ちゃんじゃだめなんですか?」
「そんなふざけた名前、朱鷺さまにふさわしくないもの」
早口で言ってから、晞子は自分の左の二の腕を引き寄せる。
いくらふざけた名前だろうが、朱鷺が気に入っているのでべつに桃ちゃんでもなんでも本当はかまわないのだ。けれどその名を口にすると姉の顔がちらつくので、姉の死後晞子はそう呼べずにいた。
「……まあでも、少し安心しました」
「は?」
意図の分からない言葉に眉根を寄せれば、深景は笑みを深めて胸元に手を置いた。
「俺に少なからず関心を持ってくださっているようなので。多少の束縛はうれしいほうです」
「そくば――」
晞子は唖然と口をぱくぱくさせた。
「聞いてもいない性癖を勝手に披露しないでちょうだい。それに私はただ、前科六犯がどこぞでなにかしでかさないかと思って――」
「なんにせよ、俺を心配してくださっていた、ということですよね」
ああ言えばこう言う。
とんだ茶番劇にこれ以上付き合ってはいられない。立ち上がってそのまま立ち去ろうとしたが、その前にやんわりと手を引かれた。
「すみません、からかいすぎました。少しだけお待ちください。晞子さまにお土産が」
深景は風呂敷包みからなにやら取り出す。
花の鉢植えのようだ。見たこともない可憐な色とりどりの西洋の花が群れ咲いている。紅色を中心に据えているものの、白や薄紫、淡紅色と色のつり合いが取れていて、どの色も主張しすぎている感じがしない。
「スイートピー、というそうです。晞子さまの眸のきれいな赤に似ていたので、思わず」
歯の浮きそうな台詞にもかかわらず、晞子はその鉢植えから目が離せなかった。
「晞子さま?」
どうやら微動だにしていなかったらしく、訝るように深景が近づいてくる。はっとして、晞子は思わず後ずさりした。
「いえ、その驚いたの。桜以外の花の贈り物なんてはじめてだから」
晞子の言葉に、深景は世紀の失態でも犯したような顔をした。
「ああ、鴇坂といえば桜紋ですからね。すみません、うっかりしていました」
「べつに――私、桜はきらいだから」
そう言ってから、なんとなく深景の土産を受けとるような会話の流れになっているのに気がついた。そもそも晞子が出してやった金で遊んできた深景の土産など受けとる筋合いなんて微塵もないのだが、今から「そんなもの頼んでないわよ」などと声を荒げるのも物凄く不自然な気がする。
「では、受けとっていただけますか?」
いくらかほっとした様子で――あるいはそういう芝居をしつつ、深景は鉢植えを差し出してくる。
跳ねのけることもできず、晞子はおずおずと手を伸ばした。
「……花に罪はないから。だけど、金輪際こういうことはしないで。あなたがうちの財産を好きに使う分にはかまわないけど、私は無駄づかいをする気はないの」
ぴしゃりと言って、鉢植えを両手に抱えると晞子は今度こそ踵を返す。
仄かに甘い花のにおいが鼻腔をくすぐって、訳もなく唇がほころんだ。
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