二 一月某日の悪だくみ
ふた月ほど前。
今日は閻魔の賽日で、
伯爵夫人に誂えてもらった襟巻に鼻をうずめて、深景は軽快な足取りで横を通りすぎていく若い奉公人を冷ややかに見やった。今宵はさぞ暖かな家で、温かな食事を囲み、家族団らんのひとときを過ごすのだろう。
貧民窟暮らしを脱して、金持ちの女たちの別邸や待合茶屋を寝床にするようになってずいぶんと経つ。だが深景がそこを帰るべき家だと感じたことは、一度もない。
今宵は呉服屋の妻の元に身を寄せる予定だったが、方々で愛人をつくっている旦那が突然帰ってくることになったとかで、久々に寒空の下で宿無しの危機に瀕していた。
吹いてきたからっ風に、襟巻の端っこがはたはたと暴れて煩わしい。かと思えば、前のほうからなにかが飛んできて、べしっと胸にはりついた。舌打ちをして取り上げて見てみれば、どうやら新聞のようだ。それも、低俗な小新聞。そこに踊る文字は――。
『鴇坂家令嬢、婿を募る』
目を擦って二度見した。
だがどうやらそれは、自分の願望がつくりだした都合のいい妄想ではないらしい。しかもかの高名な名家のご令嬢はなにを血迷ったのか、相手の身分も経歴も問わないと来ている。
(都合がいい)
深景は往来のど真ん中で笑い出したくなった。
鴇坂家といえば、ただの金持ち土地持ちの名家ではない。
五匣というのは、この国の成り立ちにも深く関わる代物だ。この国の祖であり初代帝である
人を呪い殺す代わりに血を欲する紅匣は、鴇坂家。死者の声を聴かせる代わりに生者の声を喪わせる
呪物は千年以上もの時を経てなお、その尋常ならざる力を失っていない。神や呪いが遠ざかったこの開明の世でも、五匣家は侯爵位に叙されて、いまだこの国に大きな影響を及ぼしていた。
とはいえ、白鷺院と鴇坂を除いて、五匣を使ったという話は最近聞かない。代償が重いので、白鷺院家以外の五匣家は、帝の勅命がないかぎりは五匣を使うことはほとんどないはずだった。
御一新が成ってから、そしてさらに時代が下って帝が代替わりをしても、立て続けに勅命が出ているのはただ鴇坂家だけ。
昨年末にはたしか先代当主が紅匣に血を喰らいつくされて死んでいる。先代はたしか当代の晞子の姉だったか。これで鴇坂の血族の生き残りは、次女の晞子のみのはずだ。
姉が死んでまだひと月足らず。喪も明けていないのに婿選びの算段とは、しっかりしているのか情が薄いのか、はたまた自分の運命を儚んでいるのか。
下卑た大衆誌にはよく、鴇坂晞子は美人だが性悪の高飛車女と囃し立てられていた。
ひょっとすると、扱いやすい深窓のうぶなおひいさまというわけではないかもしれない。だが、どれだけ性根が歪んでいようとも、深景には関係ない。
今日まで生き永らえてきたのも、女たちに媚びを売って靴を舐め上流階級の振る舞いをこの身体に叩き込んできたのも、すべては五匣家に近づくためだ。まさにこの婚姻話は、自分のためだけに用意された天の配剤のようにすら思えてくる。
なんにせよ。
(かならず、落とす)
深景は口の端を上げると、小新聞のぼやけて滲んだ少女の寫眞を指先でそっとなぞった。
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