第11話 分岐する未来
「軌道エレベーターの事故はどうしても避けられないの?」
ワタルはミライの手をしっかりと握りながら声をうわずらせてそう問いかける。ミライの言う通りなら、22時から数時間の間にその事故は起こってしまうだろう。頭の中で経過時間と上昇距離を算段すると、まだ低軌道ステーションにも到達しない地点で起こるはずだ。
「デブリを排除するという
淡々と話すミライの手は柔らかく、そして温かかった。それはワタルの思い込みかもしれなかったけれど、確かにそう感じるのだ。未来の自分は、なんという技術を生み出したんだろう。一体どういう仕組みで、何がどうなっているのか疑問は尽きなかったが、それを考えている余裕はなかった。
「私たちはこれまで、何通りもの過去と未来を行き来してきました。それこそ何度も過去の修正を試してきたのです。けれどどうしても、ワタルさんは転移装置の開発を止めることはありませんでした。ワタルさん自身が過去に戻りたいと願ってしまうからです」
一度言葉を切り悲しそうに小さく首を振る仕草をしてから、ミライは大きく息を吐き出す。
「なぜ、君なの? 君はもうお婆さんなんだろう? その実験は、身体に大きな負担がかかるんじゃないの?」
「
「だからって……」
「本当の気持ちを言えば、私はどんな未来だって構わないんです。ここで過去を変えて戻った時、自分がどうなるかなんて、どうでもいい。ただ、もう一度あなたに会いたかった。そして、どうしてもあなたと一緒に宇宙へ行ってみたかった。この実験は、私の我侭なんですよ。私にとってワタルさんは、言葉にできないくらい大切な……、大切な人だったから」
「……君は……」
ワタルは続ける言葉を失って沈黙した。目の前にいるミライと未来の自分が歩んできた確かな時間をワタルは知らない。ワタルはまだ、その運命に出会いもしていないのだ。
そして――本当におかしなことだけれど――ワタルは未来のワタルに嫉妬していた。ミライからこんなに大事に想われて、お前はなんて幸せなんだ、と。
「未来の僕は……。……いや、やっぱり聞くのはやめておくよ。ねぇ。僕は君のことを忘れてしまわなければならないの?」
ミライはこくりと頷いて、ワタルのウォッチにそっと触れる。
「あなたが私に関するデータを残している事は知っています。私がここから完全に消えるときは、未来が変わる時。その瞬間、あなたの記憶からも、この時代のデータからも、私は完全に消え去ります」
ワタルは自分とほぼ同じ高さにあるつぶらで大きな瞳をひたと見つめ、その輝きの中に確固たる意志を見つけると、諦めの溜め息を吐き出す。どう悪あがきをしても、どうにもならないことがあるのだという現実を、幼い頃からワタルは知っていたから。
「そうかもしれないだろうな、とは思っていたんだ。……でも、僕は意外と諦めが悪いんだよ」
冗談めかしてそう言うと、ミライは酷く真剣な面持ち頷きを返してきた。
「知っています。だから私たちはこんなにも苦労したんです」
「未来の僕は、誰かにたくさん迷惑をかけてしまうんだろうな。全然想像できないよ」
「……でも、それがあなただから。未来が変わっても変わらなくても、そんなあなたが私は大好きなんですよ」
やはり噛み合わない会話の中で、ミライがようやく見せた笑顔は、透き通るように美しかった。ワタルはいずれ忘れてしまうだろうミライの姿を、それでも目に焼き付けるようにしっかりと見つめてから、小さく微笑みを返す。
可能か不可能かは、やってみなければ分からない。自分で選び、たった一つの正解への道を見つけて進んでいくしかないのだ。
(たとえ忘れ去ってしまったとしても。僕は必ず、君という未来に会いに行くよ。たとえそれが万に一つの可能性であっても、必ず)
ワタルはそう心に強く誓った。
ワタルとミライは、そっと部屋を抜け出した。食事を終えたOSSのメンバーは、それぞれ部屋で寛いでいるのだろう。廊下は人の気配もなく静寂に包まれていた。
地球から離れることで重力は失われていくが、それでもまだ身体は僅かながら地球に引っ張られている。ワタルはいつもよりふわふわと軽く感じる体を持て余しながらも、壁の手すりを頼りに機内エレベーターへと向かった。
シャフトの前に立って乗場ボタンを押すと、程なくして籠が到着し扉が開く。インジケーターを見上げて確認すると、どうやらこのエレベーターはファーストクラスの手前、15階のギャレーまでしか行かないようだ。とりあえずそこまで昇って、乗務員に掛け合うしかないだろう。ワタルは頭の中で考えながらエレベーターに乗り込んだ。
一緒に乗り込んでくるのだとばかり思っていたが、ミライは籠には乗り込まず廊下に佇んでいた。それに気がつき、ワタルは首を傾げる。
「ミライ、行こう」
そう手を伸ばしたが、ミライは悲しげに睫毛を震わせるばかりで動かなかった。
「ワタルさん、ここでお別れです」
「……え?」
「私は他に、やらなければならない事があります」
ワタルは差し出した手をゆっくりと戻し、拳を作る。
「これで、最後なの?」
ワタルの問いかけに、ミライは透明な微笑みで答えた。
「さようならは、言いません」
ミライの言葉は、今までで一番鮮明にワタルの心へと響いてくる。
「未来で待っています」
その言葉を最後までしっかりと聞き取ることはできなかった。無常にも外から操作され、扉は二人を別々の空間に分けてしまう。ワタルはエレベーターが上昇していく負荷を感じながら、小さく少女の名前を呟いた。
この出会いは、一体何だったのだろう。
いずれ忘れてしまう、未来の大切な人との邂逅。それは偶然ではなく、計算しつくされた必然だったのだろうか。ミライと出会ったことも、結局はワタルにとって何の意味もないことだと言われればそうなのかもしれない。しかし、たとえそれが真実だとしても、ワタルはこの出会いによって何かが変わっていくことを願うのだった。
(ミライにはミライの、僕には僕の、成すべきことがある)
ワタルは強い決意を胸に、インジケーターの数字が変化していくのを黙って見上げた。
「ワタル、どうしたんだ。急に操縦室を見学したいだなんて」
ワタルはアテンダントの女性を通して父ケンジと連絡を取り、何とか操縦室までたどり着いた。父と面と向かって話をするのも随分と久しぶりだった。ワタルが宿舎で生活するようなった四年前から、家族はバラバラに生活を送っている。定期的にメッセージのやり取りはしているが、家族三人が揃うことは滅多になかった。
ケンジは日本人にしては体格が良く大柄で、存在感のあるタイプだった。生真面目であまり冗談が通じない性格はワタルに通じるところがあったが、外見は全く似ていない。
機長である父と、副操縦士らしい冴え冴えとした金髪の男性がそろってワタルを振り返っていた。二人は白地に紺のラインの入った制服に身を包み、宇宙空間が映し出された巨大なモニターの前に座っている。
「僕がこの便に乗っているって、知っていた?」
「知っていたさ。ルリからも連絡があった」
久しぶりの親子の会話はぎくしゃくとしていて、お互い探りあうようなところがあった。どうやら父と母とで連絡を取り合い、今回のワタルの課外授業のことを話していたようだ。
ワタルは金髪の男性に向かってお辞儀をしてから、共用語で簡単な自己紹介をする。
「はじめまして。僕はワタル・ミヤマです。OSS宇宙特別課外授業のため、この便を利用しています」
「ミヤマ機長の息子ですか。全然似ていないのですね。私は副操縦士のアドレー・チャーチル。よろしく」
名前と雰囲気から、きっと英国紳士だろうと予想しながら、ワタルは時計を一瞥し父に詰め寄った。
「父さん、これから僕が言うことは突拍子もなくて非現実で信じられないかもしれない。でも最後まで聞いてほしい」
ケンジは息子の言に眉根をひそめ、厳しい表情でワタルを見やった。その雰囲気にのまれそうになりながらも、ワタルは大きく息を吸い込み腹に力を入れて言葉を続ける。
「この先、低軌道ステーションを通過する前に、大きな事故が起こってしまうんだ。デブリキャッチャーから零れ落ちた小さな欠片が、
時刻は22時を回ったところだった。
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