第7話 突然のデート
これは果たしてデートと呼べるのだろうか。
商業地区バルジの中でも、特に女性に人気のあるショッピングゾーンは平日だというのに多くの人で賑わっていた。通りの至る所に並ぶ南国の木々の葉を揺らす穏やかな風が、二人の頬を撫でていく。海辺より幾分湿度の低い風は、やはり潮の香りがした。
そんな昼下がりのショッピングゾーンをあてもなく歩きながら、ワタルはしっかりと手を握ってくるミライを横目で観察する。ミライは瞳を輝かせてウィンドウショッピングを楽しんでいた。
ワタルにとって初めてのデートだったけれど、相手は見た目が8歳前後の小さな女の子だ。さらにワタルはこの女の子が実際は何歳なのかも分からなかったし、本当の姿を知らなかった。それを考え始めると止まらなくなってしまうから、ワタルは敢えて考えないようにしてミライの手を確かめるように握り返す。
(こんな場所を歩き回るのは初めてだけど、人混みってこんなに疲れるものなんだ……。それに、きっと僕らは兄妹にしか見えないんだろうな)
ワタルは思春期の少年らしく、自分たちが周りからどう思われているか気になっていたが、ワタルが思うほど周囲は自分たちのことを気にしていなさそうだった。バルジを行き交う人々は多種多様で、肌の黒い人もいれば白い人もいるし、大柄な人もいれば小さな人もいる。老若男女、どんな人種なのか、すれ違う人がどんな人間なのかを気にしている者はほとんどいなかった。
明るい日差しが燦々と人々を照らし、見上げれば太陽光の反射で軌道エレベーターの芯を囲っている特殊パネルがキラキラと煌めくのが見える。
平和で穏やかなバルジをミライと一緒に歩くのは、案外悪くなかった。
二人はいつのまにか見晴らしの良いリブラ広場に出ていた。ミライはショッピングゾーンの一番奥、花びらの先端の手すりから身を乗り出すようにして、遥かな海原と地平線を夢中で見つめている。少し強まった風がミライの柔らかな髪をさらい、さらさらと揺らしていた。
「ここは、楽園ですね。ずっと変わらず平和で、貧困もなく、争いもない理想郷。ワタルさんは、地上都市に行ったことがありますか?」
宇宙を目指す多くの人々は海上都市オルマに向かうが、もちろん地上にある都市部との交流はある。地上と海上を気軽に結ぶドローンタクシーは絶えず地上ポートを行き来していたし、ワタルもいつか船やドローンタクシーを使って外に出て行きたいという希望はあった。
ワタルは産まれてからこのかた海上都市から出たことがなかった。産まれ落ちた瞬間から、ある意味海上都市に「囚われ」ていると思っていた。両親は二人とも宇宙開発の仕事に携わっていたし、自分もまた宇宙関連の仕事に就くことを期待されている。いつか両親の産まれ故郷でもある日本に行ってみたいという気持ちもあったが、ワタルはまだまだ子供で選択の余地は少なかった。
「地上都市に行ったことはないよ。従兄弟が日本にいるから、いつか行ってみたいとは思うけどね」
ワタルもまたミライの隣に並ぶと、手すりに両手を載せて遥か海原を見渡す。ちょうどその時地上ポートから何台かのドローンタクシーが発車するのが見えた。
「地上都市は海上都市とはまるで違います。地域によって争いもあれば飢餓や貧困もまだ沢山ある。そういう格差をワタルさんは知っていますか」
急に真剣な表情と口調になって海原からワタルへと目線を移したミライが、淡々と問いかけてくる。まるで詰問されているかのような雰囲気に、ワタルは目を見張った。ワタルにとって母国でもある日本は、地上都市の中でもかなり技術革新の進む先進都市で、治安や政治も安定している。だからそういった地域による格差について考える機会はかなり少なかった。
「知識として、知ってはいるけれど……。でもなんで突然そんなことを聞くの?」
「……いつか。いつか大きな戦争が起こるかもしれません。それは宇宙と地球を二つに分けてしまうかもしれない。それは予測し危惧しておかなければならないことなんです。だから、ワタルさん。沢山の物を見て、沢山のことを感じてください。宇宙に未来はあるけれど、地球は守っていくべき大切な母星なのだから」
小さなミライが語る言葉全てを、ワタルはリアルに実感することはできなかった。長いこと世界で大規模な戦争は起きていないし、国という感覚が希薄なオルマに産まれ育ったワタルにとって、国と国の抗争は想像しにくいことだったから。ただ「地球は守っていくべき母星だ」ということだけは頭にすんなり入ってきた。
「そうだね。地球は守らなければいけないって、僕も思うよ。……ねえ、ミライは何者なの。君はどこから来たの? ……なんで、僕なの?」
ワタルはミライのことを知りたいと思った。でも、それは聞いてはいけないことだということも頭では理解できた。それでも聞かずにはいられなかった。ミライはなぜ、ワタルと出会ったのかということを。いや、なぜワタルに会いに来たのかということを。そう、ミライは恐らく会いに来たのだ。――少年ワタルに。
ミライはワタルをじっと見つめ、そしてふわりと微笑んだ。それはとても子供が浮かべるような単純な笑顔ではない。様々な経験や時を重ねた、深みのある微笑みだとワタルは思うのだった。
「これは大いなる実験でもあり、私の小さな我侭でもあるんです」
「わがまま?」
「ええ。その我侭を叶えるために、私は今ここにいるのです」
「……どういうことなの? 君は僕を知っていたということ?」
ミライは悪戯っこのようにウィンクすると、もう一度ワタルの手をとって握り締めた。
「あなたに会えて、とても嬉しい。そしてこの成功が新たな未来に繋がることを私は願っています」
「どういう、ことなの」
「……私はあなたの選ぶ道を信じています」
やはり、ミライとの会話は噛み合わなかった。話していても何かがうまく噛み合わない。それは同じ今を見ていないようなもどかしい感覚だった。同じ空間にいて、同じ時間を共有しているのに、そのすぐ後からさらさらと砂が崩れ落ちていくかのように記憶が薄れていくような、そんな体験したこともない不思議な感覚だった。
「私は忘れ去られなければならない存在です。ワタルさんとこうしてお会いできるのは、恐らくあと一回だけでしょう」
「……なぜ? なぜなの?」
「色々な要因がありますが、それはあなたの記憶に留まってしまう可能性があるから。あなたと時を共有することで、あなたの記憶に確実に私が刻み込まれてしまう。それは私の我侭のせいなのですが。……最初からあなたとお会いするのは多くても三回までと決められていました」
それは、ミライを被験者として実験を行っている機関が決めたルールなのだろうか。想像することは容易だけれど、ワタルは勝手に安易な想像をしたくなかった。
「次が最後です、ワタルさん。私はあなたと共に宇宙へ行く。それが最大の実験であり、私の大きな我侭です」
「宇宙へ? ……ということは来週の特別課外授業に、ミライも来るということ? でも、どうやって?」
「私はホログラム・アバターですから。今回のデータを持ち帰って、しっかり下準備をしてきますからご心配なく」
酷く大人っぽい言い方に、ワタルはどきりとしたが、どう見てもミライは幼い少女だった。ほんの少しだけ残念な気持ちになって、ワタルはそんな自分に苦笑する。
しかし、一体どうやって一緒に宇宙へ行くというのだろう。そもそも、不安定で存在できる時間も限られているというのに。静止軌道ステーションは地上から3万6000kmの場所にある。母は普段高軌道ステーションにいるが、その日の為に静止軌道ステーションまで降りてくるらしい。上から降りてくるよりも、昇っていく方が時間がかかり、地上から静止軌道ステーションまで約十数時間の旅になる予定だ。果たしてミライが思う通り成功するのだろうか。
そんな不安な気持ちを見透かすように、ミライはワタルをじっと見上げ、まるで心配や不安とは無縁の笑顔を浮かべる。そして視線を移し、軌道エレベーターの長い糸を眩しそうに見上げた。
「きっと大丈夫」
その決意に満ちた言葉が紡がれるのとほぼ同時に、ミライが腕にはめていた細い銀の腕輪が淡く輝き始める。ミライは誰ともなく小さく頷き、ワタルに「時間です」と別れの時を知らせるのだった。
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