第3話 帰り道

 ワタルは無人島から人工海岸ラグーンに戻ると、急いで自動洗浄筒シャワールームへと向かう。すでに中天をだいぶ過ぎた太陽が、時計を見なくても、かなりの時間を秘密基地で過ごしてしまったことを知らせていた。


 白いさらさらとした砂浜に面して建っている管理棟の中には、いくつもの自動洗浄筒シャワールームが立ち並んでいた。ワタルはそのひとつに飛び込むと、スタートボタンを押す。体の汚れを落とすミストが筒の中を一瞬で満たし、ワタルの潮くさい体を綺麗にしていく。ミストで綺麗になったあとは、程よい温風に包まれ、濡れた体はあっという間にぴかぴかになった。


 ぽん、と小気味良く終了の音が鳴り、ワタルは水着のままロッカールームへと足を向ける。白く整然とした四角いロッカーの中から自分の使用しているロッカーを見つけ出すと、扉についた小さい画面に手をかざして鍵を開けた。


 中には生体管理時計ウォッチと着替え、そして通学鞄が押し込まれている。ワタルはさっさと身支度を整えると鞄を斜めがけしてロッカールームを飛び出した。


 管理棟の外に出ると、西日が差し込み目が眩んだ。なるべく椰子の木の木陰を見つけて足早に中央塔へと向かう。


『新着メッセージ、3件あります。只今16時36分。現在体温36.5度、健康状態、やや疲労。精神状態、良好。スクールに関する課題多数残っています』


 OSSから生徒一人につき一つ配られる生体管理時計ウォッチを左腕にはめると、自動的に起動してそんな音声が直接脳内に響いてくる。こうやって脳に直接響くのがワタルは好きではなかったから、身につけるのは登校する時と下校する時間だけだった。

『了解。帰宅します。メッセージ開封』


 ワタルがそう意思を込めて思うと、生体管理時計ウォッチが微かに光った。ワタルは人工海岸ラグーン周辺のリゾート地区を抜け、水平移動機サテライトのある停留所へと歩みを早める。


 平日の午後4時、リゾート地区から中央塔に向かう人影はまばらだ。今ここにいるのは“空の森”と呼ばれる中央塔のふもとにある大規模な森林を管理するグリーンキーパーや、清掃ロボ、特別な休暇を楽しむ人くらいで、ワタルのように学校帰りにこの場所へ来る子供は稀だった。


 ワタルが歩きながら生体管理時計ウォッチを目の前に掲げると、ヒュン、という機械音と共に時計盤の上にホログラムの画面が浮き上がる。


『メッセージ、開封。9時15分のメッセージです。発信者、ルリ・ミヤマ』


 脳内にAIの機械的な声が響いた後、ホログラムが白衣の女性を映し出した。真っ黒でまっすぐな髪をひとまとめにして背中に垂らしている神経質そうな顔つきの女性。あたかも目の前にいるかのような映像が鮮明にワタルの母親ルリを形作っている。


 ――ワタル、おはよう。勉強はちゃんとしてる? 学校の特別課外授業の選抜に選ばれたって聞いたわ。来週の夜の便でこっちに来るんでしょう? 詳しい日程とか、あとで送って頂戴。ワタルは軌道エレベーターの高速列車カプセルは初めてなのよね。宇宙に来たらびっくりすることばかりだから、楽しみにしてなさいね。パパは分からないけど、ママは宇宙港に到着する時間に顔を出すから。じゃ、またね。


 母親のハスキーな声は一方的な言葉を羅列して途切れ、それと共に映像もぷつり、と消えた。


『メッセージ、開封。14時38分のメッセージです。発信者、タクマ・オオミズ』


 今度は音声のみのメッセージだ。


 ――ワタル! お前帰ってから時間あるか? 宿題でどうしても分からないところがあるんだよ。頼む! ミリオンパーラーでメガバーガーおごるからノート写させて! 18時まで店で待ってるからさ。よろしくな!


 学校で唯一友人と呼べる少年タクマは、軌道エレベーターの建設で主体となった大企業「大水建設」の社長を父親に持つ根っからのお坊ちゃまだ。だが、それを鼻にかけるわけでもなく、社長の息子ということを否定的に考えるわけでも奢るわけでもない。


 スポーツは得意だが、勉強が苦手なタクマは、何かにつけてワタルに勉強を教えてもらいにきた。ワタルがクラス、ひいては学年でも一番成績が良いということは有名で、それが理由のひとつだった。


(お前の教え方、オレの家庭教師より上手いな! これからも教えてくれよ)


 タクマの明るい朗らかな声が頭の奥で響く。欲しいものはすべて手に入るところからくるのか、タクミには常に心の余裕があり、ワタルはその姿が眩しかった。

 タクマの家庭教師というのは最新式のAIロボットだという。絶対間違えることのない教師という謳い文句で、上流階級の家庭には一台必ずあるらしいが、入学してからずっとOSSの宿舎に住んでいるワタルにとってはあまり身近ではない機械だった。


(凄いんだぜ、普通の人間みたいに喋るし。オレのはコンパクトタイプで、見た目はおもちゃみたいな感じなんだけどさ。今度見に来いよ)


 一人でいることの多いワタルの前に、唐突に現れてはごく自然に会話をして去っていくタクミには、抗いがたい魅力と強引さがあった。かといって宿舎組のワタルと中央塔最上階に住むタクマでは、住む場所の隔たりもさることながら、どうしても埋められない心の隔たりがあった。タクミはそんなことを微塵も感じていなさそうだったが。


(ミリオンパーラーのメガバーガーは高い報酬だなぁ。仕方ない。行ってみるか)


 ワタルは停留所で次の発車時間を確認して、最後のメッセージを開封した。


『メッセージ、開封。15時39分のメッセージです。発信者、ミライ』


 ワタルはAIの伝える言葉にびっくりして、目を見開いた。まさか、あの少女からメッセージがくるなんて。アドレスなど教えていなかったというのに。


 疑問が次々と積み重なっていくけれど、ワタルはミライへの興味がどんどん膨らむのを抑えることができなかった。


 ホログラムがあの優しげな面持ちを形作る。柔らかそうな髪と白いワンピース。今日出会った時のあのミライだ。


 ――ワタルさん、今日はありがとう。どうやら明日もお会いできそうです。それではまた、あの小島で。


 ホログラムが消えて、ワタルの頭の中に静けさが戻る。ホログラム・アバターのホログラムって、なんだか変な感じだな、と思いつつも、すぐにまたミライの姿を思い浮かべてしまう。


 たったそれだけのメッセージなのに、ワタルの心はふわふわと浮つく。こういう感情はあまり持ったことがないから、どうにもワタルは戸惑ってしまうのだった。


(明日、か)


 リ、リーンと爽やかな鈴の音が響き、水平移動機サテライトが停留所に入ってきて音もなく停まる。扉が開いたのと同時に乗り込むと、ワタルは窓から外を眺めた。空の森を突き抜ける軌道に乗って静かに動き出す水平移動機サテライトには、ワタルしかいなかった。


 真っ直ぐ中央塔へ向かい動く窓の外には、沢山の木々が生い茂っていて、時折その木々の間から小川の煌めきや水面の反射も見える。


 全ての生活は中央塔で完結することができたけれど、ワタルは自然を感じることができる人工海岸ラグーンまでのこの道のりが好きだった。たとえ作り物でも、ワタルにとっては本物に限りなく近い人工物だったから。


(ミライと、明日は何を話そうかな)


 そう思うだけで、ワタルの心に確かな温もりが満ちていった。

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