第2話 ホログラム・アバター

 少女の笑顔があんまり綺麗だったので、ワタルは目を見開いた。少女はワタルのことを笑顔で見つめながらも、さきほどの問いかけには答える様子がない。なんでだろうと不思議に思っていたが、あることに気がついてワタルはあっと小さく声を上げる。


 とっさに日本語ぼこくごで話しかけてしまったけれど、もしかしたら言葉が通じていないのかもしれない。栗色の髪と黒い瞳はワタルとよく似ていて、見た目は確実に日本人のように見える。でも、もしかしたら違う国の血が混じっていて、共用語でしか話が通じないのかもしれないと、ワタルは思った。


(共用語は、あんまり得意じゃないんだけど……)


 そんなことを考えつつも、ワタルはなぜだかどきどきと高鳴る胸を押さえてから、頭の中を共用語に切り替えて、言葉をひねり出す。


「あー……、僕はワタルといいます」


 こんなことなら、翻訳機も内蔵されている生体管理時計ウォッチくらい着けてくるんだったな、とワタルはぼんやり思った。人工海岸ラグーンのロッカーに水着とタオル以外のすべての荷物を預けてあったから、今は身ひとつ。それは、自分が今いる場所を辿られないようにするためでもあった。


 ワタルは少女の反応を見つつ、よし、と気合を入れなおすと、たどたどしい共用語で少女に改めて話しかける。


「はじめまして」


 少女はぱっと顔を輝かせると、ワタルに向かって優雅に会釈してみせる。


「はじめまして、ワタルさん」


 少女の第一声はそれだった。高くもなく低くもない穏やかで優しい声の色は、どこか大人びて聴こえた。「ワタルさん」と名前を呼ばれることが妙にくすぐったく感じる。そもそも、さん付けで呼ばれること自体初めてかもしれない。


(なんだろう、変わった子だな……)


 ワタルはそこから先、どう会話を続けていいのか分からなくなり、口をつぐんでしまった。


 そもそも、ワタルは学校でも少し浮いた存在で、女の子と喋る機会なんてほとんどなかったし、特に誰かと仲良くなるということが苦手だった。だから今もどうしていいのか分からずに小さくため息をつくことしかできない。


 少女は困ったような表情を浮かべるワタルに小首を傾げて見せると、小さく手をこまねいた。たたたっと小さな歩幅で木陰になっている砂浜の一部に向かい、盛り上がった木の根っこにストンと腰を下ろしてワタルを振り返る。


 ワタルも少女の後について行ってその隣に座った。そうすることが、ごく自然なことのように思えたのだ。

 海側からは湿度の高いまとわりつくような風が吹き付けていたけれど、影の中に入ると幾分ましなように思える。2人は少しの間、青とエメラルドグリーンが混ざり合って海面をきらめかせる海原と、海上都市の景色をだまって眺めていた。


「ここは、僕だけが知っている場所だと思ってた」


 まさか、誰かと一緒にこの景色を眺めることになるとは思いもしなくて、ワタルは思わずそう呟きを落とす。少女はその言葉に反応して、顔を海からワタルへと向けた。


「君はいったいどこから来たの?」


 少女はその問いには答えなかった。ただじっとワタルを見続ける。ワタルは諦めを含んだ息を吐き出して、少女を見つめた。


 ワタルは少女に少しの違和感を感じていた。普通の子と違う、言葉では言い表せない決定的な違和感だった。見た目は確実にちゃんとした人間なのに、何かがずれているというか。どこかぶれているというか。そんな言葉では形容しがたい違和感。


 それを突き止めようと穴が開くほどに少女を見つめ続けていると、少女はやがて小さく苦笑いした。どうやらワタルが少女に対して不信感を抱いていることを悟ったらしい。


「ワタルさんは、とても鋭いですね」


 少女は前方に両手を突き出して、真っ白なその小さな手を握ったり開いたりする。

「私は『ホログラム・アバター』。中身は人間ですが、実際は今ここにはいない存在です」


 突然そう告白されて、ワタルは何がなんだか分からずに呆けた表情をした。


「ホログラム・アバター?」


 世界でも最先端の研究が行われている海上都市オルマに住み、最先端の教育を受けているはずのワタルでさえ、聞いたことのない名称だった。


 ホログラム、とは3次元の画像だったり映像だということは知っている。その技術を応用した立体画像通信は、ごく自然に行われていることだったけれど、アバターというのは一体何なのだろう。確か、アバターは「化身」という意味だ。よくゲームの中やネットワーク上の仮想空間で、ユーザーの分身のことをアバターと呼ぶけれど、『ホログラム・アバター』なんていう技術は見たことも聞いたこともなかった。


「ワタルさんが困惑するのも無理はありません。この技術は最重要機密として研究されているプレ段階のものですから。でも、実際に私という人間は存在しているんですよ。今ここに『実際は』存在していないというだけで」


「………うーん……」


 ワタルは少女の言葉の全てをを理解することができなくて、返す言葉にきゅうしてしまう。仕方なく、真っ白い砂浜に視線を落とした。

 ひと呼吸置いた後、ワタルの視線の中に長い木の枝が入り込んできて、さらさらとした砂の上に文字が書かれていく。


 ――「未来」。


 そこには日本語の、しかも漢字でそう書かれていた。


「ミライ?」


 ワタルが不思議そうにそう問いかけると、少女は肯定するわけでも否定するわけでもなく、ほんの少しだけ寂しそうな微笑をただ浮かべる。


「そうワタルさんが呼ぶなら、それが私の名前です」


(やっぱり不思議な子だ)


 ワタルは女の子と話すのが苦手で、人の気持ちを推し量ることが不得意だった。だから少女がそう言うなら、そうなんだろうと思う。


「最重要機密なのに、僕なんかと会って話をしてもいいの?」


「大丈夫です。私は自由に、好きな場所へ行けるので。でも時間が来たら消滅してしまいます」


「え? 消滅……って?」


「元の体に戻らなくてはならないんです。まだまだ不安定なので、時間はとても短い」


 白い肌の美しい少女――ミライは、そう言うと腕に装着した細い腕輪を目の前に掲げた。自分が普段身につけている生体管理時計ウォッチとは、見た目も機能も全く違うように見える。

 細い銀色の腕輪の中央には虹色に輝く輪があって、その輪の光にミライは逆の手で触れた。


「あと5分くらいでしょうか」


「あと5分で消えてしまうの?」


 ミライは小さく頷いた。


「僕は君のことを誰にも言わないよ」

 時間がないと思うと、何を話せばいいのか余計に分からなくなってしまって、ワタルは焦りながらも、そうミライに伝える。ミライは真剣な顔をしたワタルをじっと見つめて、全てを知っているかのようにふわりと笑顔を咲かせた。


「ワタルさんはそういう人です」


 ミライの話す言葉はどこかしらちぐはぐで、会話がうまく噛み合わない。でもそれが妙に心地よくて、ワタルは難しく考えずに、ただただミライの顔を目に焼き付けようとした。


「また、会えるかな?」


「私が会おうと思えば」


「なにそれ。じゃあ、また会おうと思ってよ」


「私に会いたいですか?」


「うん」


 ワタルはいつの間にか、ごく自然にミライと会話ができるようになっていて、しかもそれがとても楽しいことに気がつく。


「また会おう」


 ワタルがそう言えば、ミライは心から嬉しそうに顔を綻ばせた。


「はい」


 やがて、ミライの右腕に装着していた腕輪が淡く光りだす。それを見て、ミライはワタルに「時間です」と伝えた。


 何か言葉を返そうとしたけれど、ミライの体は一瞬で淡い光に包まれ、やがて目の前で映像が歪むかのように焦点が合わなくなってぼやけていったかと思うと、次の瞬間には完全に消滅していた。


 ワタルは驚きすぎて言葉を失い、目を擦る。だが、やはり先ほどまでいたはずのミライの姿はなくなっていた。


 しばらく呆然とそこに座り込んだままのワタルだったが、砂の上に「未来」という漢字が残っていることに気がついて、目を擦るのをやめた。

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