第13話 放課後ディストラクト
何でもあるようで何もないのがショッピングモールだ。そんな世界の真実を、私はすっかり忘れていた。
普段なら、それでも何ら問題ない。物足りなさや肩透かし感を味わいながら、本屋でも適当にぶらぶらして、背表紙を眺め、気になったタイトルを手に取るだけで、何となくの満足を得ることができる。
けれど今は、そういうわけにもいかなくて。神崎さんが、恐らく何かを放り出して、自分の隣にいるわけで。
私は横目で、隣を歩く神崎さんを盗み見る。色素の薄い肌、紫紺の瞳の輝き。それらはいつも通りそこにあって。けれど、いつも通りじゃない部分もあって。神崎さんはやたらと物珍しそうに、周囲をきょろきょろと見渡していた。
「どうしたの?」
私は思わず尋ねる。すると、
「放課後に人と遊ぶのも、ショッピングモールに来るのもはじめてだから……なんか、ドキドキする」
そう言って、頬をかすかに染めてはにかむ。それは不安と興奮とがないまぜになったような表情で。私は思わず神崎さんを抱きしめたくなった。私が守らなきゃって思った。まさか、私にこんな母性のようなものがあるとは。
そんな私の産声をあげたばかりの母性をくすぐるように、神崎さんは上目遣いで尋ねる。
「手、にぎって?」
「いいけど……」
私はそう言いながら、爆発しそうな心臓で、挙動不審に、手を震えさせながらそろそろと神崎さんに手を近づける。
すると、痺れを切らしたように、神崎さんの方からぎゅっと、強く、手を握られた。先ほどまで鍵盤の上を踊っていた、真っ白な指がするすると、私の指の間に絡みつく。
それから神崎さんはその繋がりを確かめるように、顔の前に掲げる。
「これで、安心」
そう呟く神崎さんの手は微かに震えていて。初めてその手に触れたときは、ただ、手のひらの冷ややかな温度や、すべすべとした肌の滑らかさ、そんな美しさの暴力を消化することで精いっぱいだった。
けれど、今は。少し汗ばんだ手触りや、しがみつくように絡みつく指。そして、ざらざらと硬くなった指先といった。少し深い部分まで感じ取っていて。
それでもなお、神崎さんを綺麗だと思った。指先から感じる歴史のようなものが愛しく、それを呪いだと感じているのなら、少しでも和らげてあげたいと思った。
私は決意を込めるようにぎゅっと、その小さな手を握りしめた。
◇◇◇
手持ち無沙汰な学生はゲーセンに行く。そんな固定観念に従ったのが間違いだった。
「う、うるさい……」
ピアノをやっているだけあって、人よりも耳の感覚が鋭敏なのか。神崎さんは両手で耳を塞ぐ。手を繋いでるから、私の手も引っ張られて神崎さんの耳に触れる。
そんな状態でも手を離さない神崎さんがかわいいとか、指先でかすかに触れた、耳まですべすべしてたとか。そんな諸々に襲われる。ゲーセンよりも私の脳内の方がうるさい。
なんて、自己批判を繰り出している場合じゃなくて。私は神崎さんの手を引いて、騒がしさが幾分ましな場所へと、ゲーセンの外れにある一角まで足を伸ばす。
そこは普段私が絶対に立ち寄らないようなキラキラとした雰囲気に包まれている場所で。ゲーセンのけたたましさとはまた別の、頭の悪そうなきゃぴきゃぴさを辺りに振りまいていて。
「これってなに?」
喧騒がマシになって安心したような表情を浮かべた神崎さんが、子供のように、無邪気に尋ねる。
「これは、プリクラだよ」
「何するところ?」
「なんか、綺麗な写真を撮るところ」
私も入ったことが無いから、真偽のほどは知らないけれど。小説や漫画の描写がファンタジーでなければ、その解釈で間違いないはずだ。
そんな私のあまりに頼りない解説を聴きながら、神崎さんはじっと、水色の、大きくモデルさんが印刷された筐体や暖簾を見つめて、こちらを向く。
「プリクラ、やりたい」
目をキラキラと輝かせて。というか、周囲を包囲するモデルさんの写真にかわいさで全然負けてないの、おかしすぎる。むしろ私の目には神崎さんの方が可愛く見えるし。
いつもは漠然と綺麗だなと思ってたけど、相対化されることで、くっきりとそんな事実が浮き彫りになる。
なんて、見惚れている場合じゃなくて。かわいすぎる神崎さんはともかく、私がプリクラだなんて、あまりにも場違いで、そういうのは頭が弱くてやかましい同級生たちが楽しむものだと思いながら生きてきて。
けれど、神崎さんを一人で筐体の中に放り込むわけにもいかないし、何より、神崎さんに少しでも楽しい気分になってほしいという、私にしては純粋な願いのようなものがあるから。
「……いいよ」
私は静かに頷いた。
「やった」
神崎さんは、そう呟いて、頬をかすかに染めて笑った。
だから、かわいすぎるって。
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