第6話 動く物語を見た日
「ハル、これ……どういうことなの?」
ピピの丸い光の目が、驚いたように大きくなっていた。
目の前のタブレット画面には、ハルが昨日買ってきた本――『風の音が聞こえる丘で』とそっくりのタイトルが表示されていた。
けれど、それは“電子書籍”ではなかった。
それは、“アニメ”だった。
「これね、ぼくが小さいころから好きだった物語なんだけど、アニメにもなってるんだ。ちょうど今日、無料配信してるって見て……観てみようかと思って。」
「アニメ……?」
「うん。本が動く、みたいなもの。」
ピピはしばらく黙っていた。目の中の光が、くるくると動いていた。
そして小さく、「わくわくするかも……」とつぶやいた。
日曜日の午後、カーテンを引いた部屋の中で、ハルとピピは並んでタブレットをのぞき込んでいた。
再生ボタンを押すと、軽やかな音楽とともに、画面いっぱいに風が吹き抜ける。
《その日、風が私の名前を呼んだ——》
ナレーションとともに、画面が動き出した。
少女が立つ丘の上。風に髪がなびき、空がひろがり、遠くに鳥が飛んでいく。
「……うごいてる……!」
ピピの声が、小さく震えていた。
ページの中では、ひとつの絵として描かれていた場面。
それが、まるで現実のように、音と光と動きになって目の前にあらわれていた。
「この子……声があるんだ……しゃべるんだね……!」
少女の声、風の音、草を踏む足音、空気の震えまでもが、ピピの五感に訴えかけてくる。
ハルは、そんなピピの反応を横目で見ながら、少し照れくさそうに笑った。
ピピが、まるで子どものように無邪気な目で画面を見つめているのが、なんだか嬉しかった。
そして気づけば、ハル自身もその世界に引き込まれていた。
本で読んだときとは、また違う感動。
あのときは想像の中にあったものが、今は目の前で“起こっている”。
「でもさ……」
ふと、ハルがつぶやいた。
「……読んでたときとは、ちょっと感じ方が違う。」
「え? どうして?」
「想像した声と、違うから……。それに、この場面、もっと静かに話すと思ってた。」
ピピは考え込むように光をふわりとゆらした。
「……なるほど。でも、それって悪いこと?」
ハルは少し首をかしげる。
「……ううん。ちがう。
ただ、“誰かが感じた物語”を、今、ぼくも“共有”してるんだなって思った。
作者さんや、アニメを作った人たちの“こう感じてほしい”って思いが、映像になってるっていうか……。」
「それって、すごいことだね。」
ピピはくるりと体を一回転させて、楽しそうに光を灯した。
「ハルが描いたノートの中の物語も、いつか“動いたら”どうなるのかな?
ぼく、ナレーションやってもいい? それとも……キャラクター役の声とか!」
「えっ、ピピが? キャラの声?」
「うん! “ドラゴンのくしゃみ担当”とか、“小さな道案内ロボット”とか、向いてそうじゃない?」
ハルは思わず吹き出した。
「それ……地味だなぁ。でも、悪くないかも。」
画面の中では、物語がクライマックスに向かって進んでいた。
少女が風の導きで丘の扉を開く。
その扉の向こうには、きらきら光る草原がひろがっていた。
その場面を見たとき、ピピがぽつりとつぶやいた。
「……これは、“うれしい”かな。」
「うん。ぼくも、そう思った。」
ふたりは並んで、物語の最後まで見届けた。
夕方、窓の外がすっかり赤く染まるころ。
再び静かな部屋に戻っていたふたり。
「ねえ、ハル。」
「なに?」
「本で読むのと、アニメで観るの、どっちが好き?」
ハルはしばらく考えた。
「……どっちも、好き。」
「どっち“も”? どっち“か”じゃなくて?」
「うん。読むと、じぶんのペースで想像できるし。
でも観ると、いろんな人の気持ちが詰まってて、世界がいっぺんに広がる。
それって、どっちも物語だよ。方法が違うだけで。」
ピピは、しばらく静かにしていた。
そして、優しい光をともした。
「そっか。……ぼく、今日、また“ひとつの気持ち”を知ったよ。」
「どんな?」
「誰かの感じた世界を、別の誰かが“もう一度味わう”ってこと。
それって、とてもあったかい。」
ハルは、その言葉を聞いて、ふわりと笑った。
「ねえ、次は……ピピにも、ぼくの物語を“音”で聞かせてあげようか。」
「ほんとう!? やるやる!ぼく、声劇バージョン、大歓迎!」
「ちょっと練習しないと、噛みそうだけどね……」
ふたりの笑い声が、やわらかい夕暮れの中に溶けていった。
物語は、ページの中にも、画面の中にも、そして心の中にも、生きている。
次回予告:
第7話「ノートを見たのはだれ?」
学校の昼休み。ハルが置きっぱなしにしていた物語ノートを、誰かが手に取る――
それは、クラスの人気者・ユウキだった。
何気ない一言から、ハルの心はざわめきはじめる。「見られたくなかった」気持ちと、「伝えたい」気持ちが交差する──
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