第8話

 家に戻り、寝室をのぞくと、ベッドの上ではすやすやと宮子が寝息を立てているのが見えた。それは、すべてのことが夢なんじゃないかと思えるほどに安らかな光景だった。

 汗でびしょ濡れのジャージを脱ぎ捨て、シャワーで温かいお湯を浴びた。それでも寒気は止まらなかった。

 ――清掃業者だ。

 大東の震えた声が脳裏に響き渡った。

 今となってはわかる。組長は真実――あるいはその一部を知っていたんだ。清掃業者がどのような存在であるかを。

 アレは化け物だ――人を食らう化け物なんだ。

 だから組長は知ろうとすることを禁じたんだ。

 愚かだった。ルールに従っていれば、いまごろは穏やかな気持ちでベッドに横たわることができたのに。

 大東だって今頃は生きていたはずだ――大東は死んだ。

「虎丸――」

 ふと片目の猫の存在を思い出す。大東の身に何かがあった時は――。


 朝日がのぼり、東の空がオレンジ色に染まり始めていた。俺はまだパニックに囚われていた。家の中でじっとしていたかった。それでも、大東との約束を守らないわけにはいかない。彼の命を救えなかったことに対する代償をどこかで果たさなくてはいけないのだ。


 大東のマンションへ着いた。エレベーターで上階に昇った。七階の廊下を進んだ。ほんの少しの暗がりが、俺の心を脅かした。そこに何かが潜んでいるのではないか。俺を取って食おうとしているのではないかと。

 部屋の前に来ると、大東から握らされていた合鍵を取り出し中へと入った。当然のことながら、薄暗かった。照明をつけた。玄関にはゴミの袋が口を開けており、カップ麺の容器が収まっていた。

 玄関と居間を隔てるドアの向こうから動物の鳴き声が聞こえた。俺はほっと息をついた。取り止めのない不安に見舞われる中で、虎丸が死んでいるのではという思いに襲われていたのだ。


 ドアを開けた。短い手足で立ち上がり、虎丸はにゃあと鳴き声をあげた。その体を腕に抱くべく足を踏み込んだ時のことだった。

「お前が哲矢だな?」

 背後から声がした。男とも女とも取れない中間的な声だった。それは、まるで金属の板ごしに聞こえてきたかのように響いた。

 振り返った。

 それを目にした。

〝清掃業者〟がいた。床から天井まで伸びた体は三メートルほどあるだろうか。全体的に人間のような形をしているのだが、その頭をはワニのように長い口をしていた。体色は黒色で、肌はイルカのようにつるつるしていた。両手足は鉄棒のように直線的だった。

「間違いない。この匂い、『食堂』で嗅いだ。お前が『食い物』を運び入れている人間だな?」

 口の先にある鼻と思しき二つの穴が開いたり閉じたりした。そいつには目がなかった。嗅覚で世界を認識をしているのだ。

「毎度ファスナーを開けてくれて感謝する。おかげで死体を見つけるのが楽になっているのだ。だがしかし、俺の姿を見た奴は殺さなくてはならない。それがお前らとの間に結んだひとつの規則ルールだからだ」


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