第33話 星環ノ反響


 次の日の朝。


 レイン・クロフォードは、一人静かに教室へと足を運んだ。廊下にはまだ人影がなく、空気には朝の冷たさが僅かに残っている。


 教室の扉を開けると、そこには既に一人の姿があった。



「おはようございます、レイン」



 振り返ったのは、セフィルス・ルクレティアだった。てっきり誰もいないと思っていたレインは、少し驚きながらも口元を緩める。



「おはよ。早いな、ルク」

「えぇ、まあ……ルームメイトの方からの視線が気になって」



 ルクは少しばかり嫌なものを思い出したように、目を細めて呟いた。


 昨日の一件――Sクラスとの対抗戦での勝利。その余波は、彼女の寮生活にも及んでいたようだ。これまで存在を無視されていたルクに対し、同室の生徒たちは急に態度を変えはじめた。


 だがそれは、心からの称賛というより、恐れや警戒に近い何かだったのかもしれない。それでも以前を思えば、視線を向けられるだけ進歩だろうと、レインはそう思っていた。



「それにしても、レインも今日は随分早いのでは?」



 ルクが問いを返す。自分のことはさておき、という控えめな仕草で。


 彼女の言う通り、今はまだ始業時間よりかなり早い。寮生活の習慣もあり、生徒たちは始業直前に一気に登校してくるのが通例だ。今の時間帯に教室へ来る者は、極めて少ない。



「あー、まあ……ちょっとな。食堂でいろんな視線を感じて、落ち着かなくてさ」



 レインは少しバツが悪そうに頭を掻いた。


 普段は朝の早い時間に朝食を摂る彼だが、今日は食堂で交わした生徒たちの目が、いつもと違う空気を纏っていた。好奇心、驚き、そしてどこか距離を置こうとする気配。


 それが少しばかり気になって、早々に席を立った結果がこの早朝登校だった。



「やはり、色々と変わってきているんですね」



 ルクが静かに言う。教室に差し込む光の中で、その声はやけに穏やかに響いた。



「でも、それを分かってて出たんだし。慣れていけば、落ち着くと思うよ」



 レインは少し笑ってそう返す。自分に言い聞かせるように、けれど決して悲観的ではなく。


 ルクはその言葉に「だといいのですが……」と小さく呟き、視線を窓の外へと向けた。


 それからしばらくして、教室に活気が戻ってきた。


 時間通りに登校してきた他の生徒たちは、ドアを開けるなりレインとルクの姿を見つけ、次々に声をかけてくる。



「おっ! おはようレイン。昨日すごかったな!」

「優勝おめでとうございます、セフィルスさん!」



 その声は、素直な賞賛と祝福に満ちていた。


 だが、全員がそうだったわけではない。中には言葉をかけず、目を逸らす者もいる。明るい空気に混ざらず、ただ遠巻きに見つめてくる生徒の視線が、ちらほらと感じられた。


 昨日の戦いが、少なからずこの教室に波紋を残していることは明白だった。レインは気負うことなく笑顔で対応しつつ、ルクの方に視線を向ける。


 彼女は、不器用ながらも懸命に言葉を返していた。



「……ありがとうございます」



 少しだけぎこちない所作ではあったが、いい変化ではあるだろう。そんな中、ひときわ明るい声が飛んできた。



「おはよう、レイン君とルクシアさん!」



 振り向けば、レインの前の席に座っていたシオン・バレッタが、いつものようににこやかに笑っていた。声をかけるタイミングを、どこか慎重に見計らっていたのだろう。



「昨日はあの後会えなかったけど、優勝おめでとう!」



 その口調に、気遣いと素直な喜びが混じっていた。まるで、自分のことのように嬉しそうなその声に、レインも自然と表情が和らぐ。



「ありがとうな」



 その一言に、シオンは嬉しそうに目を細めた。



「凄かったなぁ。僕も頑張らなくちゃ」



 燃えるような決意が、彼の目に宿っていた。


 昨日の対抗戦は、ただのイベントではなかった。戦いを見ていたクラスメイトたちの中にも、何かが芽吹いたのだ。シオンの瞳から、それがはっきりと伝わってくる。


 レインはその気配を感じ取りながら、静かに胸の奥で思う。


 そうしている間に、始業のチャイムが鳴り響いた。



「はい、みんな注目ー」



 気だるげな声とともに、教室の扉が開く。


 現れたのは、担任教師ハルベルト・クローネ。その口調はよく通るものの、どこか眠たげで、やる気のなさを滲ませていた。



「……よし、全員揃ってるな。まずは二人とも。昨日はお疲れさん」



 ちらりとクラス内を見渡しながら、出席簿に何かを書き込みつつ、レインとルクに労いの言葉を投げる。


 その声音に特別な熱はない。けれど、それが彼なりの気遣いであることを、それなりの期間付き合ってきた生徒達は感じ取っていた。



「ま、昨日の件でEクラスの注目度が上がってる。それは、さすがにわかるよな?」



 教室の空気が、僅かに揺れる。


 誰も明言はしないが、その意味は全員が理解していた。勝者としての視線と、異物を見るような視線。その両方が、今日からこの教室には存在している。


 だが、生徒たちは頷くこともなく、ただ静かに黙っていた。


 ハルベルトは気にする様子もなく、淡々と言葉を続ける。



「それに伴ってだ。……喜べよ、お前ら。特別授業の受講許可が降りた」



 思わぬ言葉に、生徒たちの間でざわつきが起こる。


 特別授業――それは、本来Eクラスには関係のないものだった。


 上級クラスを対象にした、魔力資質や制御力の底上げを目的とした高度なカリキュラム。Eクラスのように“魔力量が少ない”とされる生徒達にとっては、そもそも受ける意味すらないとされてきたものだ。


 だからこそ、クラス全体が、戸惑いを隠せずにいた。



「先生、それって……俺らが受けても意味あるんですか?」

「もともと魔力のない私たちじゃ、大して変わらないような……」



 いつもは静かな生徒たちから、珍しく疑問の声が上がる。


 ハルベルトは、少しだけ視線を上げて応じた。



「それを更によく見極めるための授業ってわけだ。昨日の活躍を受けて、上が判断した。お前らの中に、何か秘めた力があるんじゃないかってな」



 その言葉に、レインは微かに眉を寄せた。


 特別授業を受けさせる理由。それは表向きには“クラス全体への期待”という形を取っている。けれど、レインにはどうしても、それが真意には思えなかった。


 昨日の試合で評価されたのは、明らかにレインとルク。――二人だけだ。


 授業の名目はクラス全体を対象にしながらも、その実態は、“Eクラス優勝者二人の資質を精査する”為のものではないか。


 他の生徒達がその意図に気付いているかはわからない。だがレインには、うっすらとした不安の影が心に残っていた。

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