第23話 星環ノ力差



 僅かに立ち昇る土煙の中、セフィルス・ルクレティアは静かに立っていた。


 腹部を打たれたはずの少女は、僅かに後退しながらも、その視線を逸らさず、次の一手を見据えていた。


 受けた衝撃を力に変えるかのように、呼吸を整え、構えを取り直すその姿は、あまりにも、揺るぎなかった。



「――っ! ルク!」



 レイン・クロフォードは彼女の名を呼び、駆け寄ろうとした。しかし。



「君の相手は、ボクだよ」



 それを阻止したのは、リュミエール・クラヴィスだった。レインの前に突如として現れ、魔術陣が描かれた手刀を放つ。


 レインは一歩下がり、紙一重でその攻撃を避けたが、掠った左腕から血液が滲み出た。ほんの数ミリでも反応が遅れていたら、致命傷だっただろう。



「くっ。……強い」



 相手はまだ全力を出している様子はない。それだというのに、レインは彼女の底知れぬ力に、圧倒されていた。



「レイン!」



 少し離れた位置から、ルクの声が聞こえる。向こうも向こうで、イリーナの相手をしている為、互いに分断された状態で、余裕がないようにも感じた。



「……まだまだいくよ。《ミラジェ=ヴァルト》!」



 リュミエールの召魂式印シグマが更に大きく展開される。


 彼女の全身を包み込む様に、召還獣が憑依する。それは、氷の霧と共に現れた半透明の戦乙女。静寂と死をまとうような、威圧感を放っていた。思わず息を呑んでしまうレインだった。


 だが、油断している場合じゃない。剣を構え、リュミエールの姿を見失わないように感覚を研ぎ澄ませる。



「……星影流せいえいりゅう穿閃術せんせんじゅつ!」



 レインは地を蹴り、一気に距離を詰める。



「――『星穿ほしうがち』!」



 閃光のような踏み込み。刀身がリュミエールの肩口を捉えた――かに見えた、その瞬間。



「甘いよ。その程度じゃ、ボクには届かない」



 リュミエールは、片手でその一撃を止めていた。


 素手で、刃を受け止めている。それも、まるで熱も痛みもないかのように、無表情のまま。


 その手には、傷一つ付いていなかった。


 レインの全力で振るった斬撃が、ただの一度の揺らぎもなく受け止められる。両手で握りしめた剣が、片手にすら届かない。



「いつ本気を出してくれるかな」

「……っ!」



 リュミエールは、静かに刀身を見下ろす。そのまま、握っていた手に力を込めた。金属が悲鳴を上げるような、鈍く軋む音が響く。


 レインの剣が、僅かに震えたかと思えば――


 次の瞬間、刀身に細かな亀裂が走った。それは一本ではない。無数の裂け目が、蜘蛛の巣のように広がっていく。


 レインが思わず力を込める。だが、抵抗は一切届かなかった。まるで握られているのは“剣”ではなく、“壊れるべき脆い玩具”であるかのように。


 リュミエールは、それを粉砕した。


 甲高い音と共に、剣が砕けた。破片が、光の粒となって四方へ舞い散っていく。レインの手には、柄だけが残った。



「なっ……! 剣が……」



 レインの声が震える。自分の技、自分の力。それを託してきた武器が、一瞬で砕かれた。その現実に、思考が追いつかない。


 だが、相手も立ち止まることはなかった。


 一歩。リュミエールが、無音のまま前に出た。僅かに足が動いた、その瞬間にはもう拳が振り上げられていた。



「……っ!」



 反応するより早く、視界が跳ね上がる。突き上げられた拳が、腹部を撃ち抜いた。肺から空気が押し出され、声にならない呻きが漏れる。



「がはっ……!」



 レインの体が浮かんだ。制御を失った身体が、無様に宙を舞う。だが、それすらも終わりではなかった。


 上空へと跳んだリュミエールが、そのさらに上へ――


 空中から、地面を狙う。冷ややかな視線のまま、勢いをつけて振り下ろされた蹴りが、容赦なくレインの胸を打ち据えた。


 全身に衝撃が走る。骨が軋み、肺が焼け、意識が一瞬白く染まった。


 音を立てて、レインの身体が地面に叩きつけられる。砂埃が大きく舞い、観客席に微かなざわめきが走った。



「レイン……!」


 ルクが叫び、地に伏した彼の元へ駆け寄ろうとする。

 だが、その動きを遮るように、イリーナが立ちはだかった。



「行かせないよ」



 その声は、挑発ではなかった。ただ淡々と、目の前のルクを“遊び相手”として捉えているような、無邪気な調子だった。


 ルクは一歩下がり、イリーナの連撃を受け止める。防いではいる。だが、一向に反撃はしない。


 淡々と守りに徹するその姿が、相手のしつこさを誘ったのか。ついにルクは、手の中に魔力を収束させる。


 魔術陣が展開され、ルクは目を閉じ、静かに詠じた。



「――『裁定の鎖オーダー・バインド』」



 その瞬間、空間が震える。イリーナを囲うように浮かび上がった神律文字が、淡く銀光を放ち始めた。そこから現れたのは、数え切れぬほどの銀の鎖。


 浮遊する光輪から放たれたそれらは、まるで生き物のようにうねり、イリーナの両腕、両脚、胴を狙って一斉に巻きついた。



「おー」



 鎖に縛られながら、イリーナは特に驚く様子を見せなかった。動きは止まっている。だが、そこに焦りはない。ただ、興味深げに、身体を束ねる鎖を見つめていた。


 その隙を逃さず、ルクはレインのもとへ駆け寄る。



「レイン!」



 彼の名を呼ぶ声には、普段の静けさとは違う焦りが滲んでいた。


 その光景を、リュミエールはただじっと見つめていた。立ち尽くしたまま、視線は一度もレインから逸れない。



「イリーナ? 君の相手がこっちに来たけど、どうする?」



 遠くにいる仲間へ向けて、緩やかに声を掛ける。その言葉の調子は穏やかで、だがどこか“形を整えたルール”のようにも聞こえた。

 


「イリーナの獲物だから。リュミエールは取っちゃダメだよ」



 繋がれた状態のまま、イリーナは口を開く。まるで順番待ちをしている子供のような言い回しだった。そして、鎖に包まれた両手に力を込める。



「あ、これ。魔術使えないんだ」

「その鎖は魔力を封じるためのものです。簡単には解けませんよ」



 遠くからでも、ルクの声は冷静だった。



「ふーん……」



 イリーナは口を尖らせ、小さくため息をつく。その表情に、退屈の色が浮かび始める。



「……あはっ」



 しばらくの沈黙の後、喉からこぼれた笑い声は、まるで壊れかけた人形のようだった。その瞬間、ルクの目が鋭くなる。何かを察したのだろう。イリーナの方を警戒するように見上げた。



「……やっぱり、面白い。ルクレティア」



 そう言って、イリーナは力を込める。


 瞬間、空気が震えた。


 淡く光っていた神律文字が、一つ、また一つと崩れていく。それに連動するように、イリーナを繋ぎ止めていた鎖が、音もなく砕け落ちていった。

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