第2話 敗者再戦(上)

若い内なら、いくらでもやり直せる。

そんな、大人の甘い言葉に惑わされて道を踏み外したバカなガキは、掃いて捨てるほどいる。

他ならぬ、俺自身がその一人だ。


気がつけば、テストの点数には赤が目立ち始めた。

クラスの輪に残るため、スマホの画面には興味のないコンテンツが並び、仮面みたいな笑顔を貼り付ける。

毎日が同じ繰り返し。

疲れたリーマンを横目に見ながら、面白くもないのに笑い、楽しくもないのに、はしゃぐフリをする。


ようやくクラスメイトに別れを告げて、列車を降りれば、改札まで歩く間に顔から笑みが消える。


こんなはずじゃなかった。

そんな言い訳、いくら並べても意味はない。

何とかなるだろうと先延ばしにしてきた結果が、今だ。

誰が悪いわけじゃない。

強いて言えば、俺が悪い。


母が死んでから、一時期は何も手につかなかった。

そのまま、ずるずると落ちていった。

成績は徐々に落ち込み、置いていかれる自分に嫌気が差した。

参考書は漫画に、読んでいた本はスマホの画面に、静かにすり替わっていった。


自分で自分を見限って、勝手に見放した。

それでも親は俺を見放さなかった。生活は滞ることもなく、学籍も残っている。

どうにもならない今だけが、なんとか生かされている。


「はぁ……」

ため息がひとつ漏れる。

見上げれば日は沈み切って、既に月が目を覚まし始めている

教材は教室に置きっぱなしだから、カバンはやたら軽い。

その軽さに反して、俺の足取りは妙に重かった。


「ただいま」

下を向いたまま、誰に向けるでもない挨拶をひとつ。

リビングの父親を一瞥して、逃げ込むように自室の扉を閉じた。


軽いカバンを放り投げ、重い体をベッドに沈める。


見慣れた天井は白々しいほど白くて、無機質だ。

自分の在り方を、まざまざと見せつけられている気さえする。


今の俺は、何をするにも既に今更で、やり直しなんてことはない。

落ちた成績も、親との関係も、何もかもが手遅れだ。

ガキの頃の、なんでもやり直せたような、無敵の時代とは違う。

何度負けても立ち上がればいいと思っていたような、昔とは違う。


目を閉じれば、後悔と思考の海に沈む。

これまで積み上げてきたものが、これまで間違えてきたことが蘇る。


後悔の記憶を遡り続けた先で思い出すのは、8年前に病でなくなった母親の記憶だ。約束を守れる人になりなさい。母の口癖だった。


約束か…幸いにも、それだけは守れている。

……そういえば。

母が死ぬ前に、医者になって、母親の病気を治すなんて約束をしていたっけな。

なんだ、結局は何も守れていないじゃないか…。自分の夢も、母との約束も、残された自分自身も、何も守れてはいない。


「結局ダメじゃないか。何もかもが、終わってる」

口をついて出た言葉は、わずかに残していた自分への期待を、完全に見限ったものだった。


「…本当にそうか?」

しかし、次に出た言葉は、自嘲でも、絶望でもなかった。

本当に終わりなのだろうか?

たしかに、やり直しはできない。一からきれいさっぱりのコンテニューはあり得ないだろう。しかしそれは、あくまでも、やり直しの話だ。

ゲームオーバー後に語られる、敗者の物語ではない。


「ふふっ…ははは…」

乾いた笑みが漏れる。子供のようにジタバタして、勢いをつけて半身を起こす。

内側の熱に突き動かされるまま、机に向かい、棚の隅に埋まっていた参考書を開く。

やり方も知らないのに、参考書を読み、ペンを走らせる。

理由は、とても単純だ。


自分でも笑ってしまうほど、苦しい言い訳だと思う。詭弁も詭弁、救いようのない感情論だ。


そう、負けはした。

ルーザーだ。やり直しなんて甘い話はない。

しかし、敗者復活戦はまだ終わってない。

0からやり直すのではなく、1からもう一度戦う。

再戦であり、再開であり、周回遅れの開戦だ。


ならばいいだろう。一度負けて、屈してから立ち直る。

ニューゲームでも、コンテニューでもない。

ここから始める、敗北者の後日談。


「いいじゃねぇか、常勝無敗の英雄だけが、主人公じゃないんだぜ?」


自身への鼓舞であり、戒め。

しかし今だけは、決意表明として、その言葉を口にした。

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