オカン枠の末っ子を愛でたい③

 多希に叱られた陽介さんと八尋が、ピャッと肩を震わせてそそくさと網の近くへと移動する。しばらくはこれで大人しくなるかと思ったが全然そんなことはなく、どっちの肉がデカいかで揉め始めた。何とも騒がしいやつらである。でも、それだけに安心だ。多希はもう寂しく一人で飯を食うことはなくなるのだ。いや、俺もそこに混ざらせてもらうけどな?! 混ざっても良いよな?! お払い箱とかなったりしないよな?! 多希はそんなやつじゃないよな?!


「幸路さん、ニヤニヤしたりおろおろしたりして、どうした?」


 眉を寄せ、怪訝そうに「食え、おら」と俺の皿に焼けた肉とかぼちゃを乗せてくる。悪いな、と返すとにんまり笑って「どういたしまして」とピーマンに齧りついた。いやお前も肉を食えや。もちっと肥えろ。


「多希、良かったな」

「んあ? 何がよ」

「いや、陽介さんも八尋もまた下宿戻ってくれるって」

「あ――……、うん、まぁな」

「ちゃんと喜んでやれよ」

「いんだよ、あれで」


 図に乗っから、なんて言いつつ、くしゃりと笑う。その表情を見れば、彼が喜んでいるのは明白だ。


「なぁ、あのさ」

「うん?」

「あの二人がいても、俺は飯を食いに来ても良いのか?」


 もちろんそのつもりではいるけど、それでも一応確認のために聞いてみる。だってほら、飯を作る量とかもあるだろうし。つってもこれまで先着五名でメシ友を募っていた多希のことだから、問題はないんだろうけども。


「当ッたり前だろ。え、何? もしかして遠慮して来ないつもりだった、とか?」


 不安そうに多希が眉を寄せる。


「いや、そういうわけじゃ」

「……食いに来いよ。アイツらがいたってさ」


 その声がビビるくらい弱くてドキッとする。

 ただ単に一人飯の侘しさだけで呼んでくれているわけではないのかもしれない。だって、『大ッ事なメシ友』って紹介してくれたもんな。飯って、誰と食うかも大事だよな。わかる。


「じゃ、遠慮なくそうさせてもらう」


 ちょっとはにかみつつそう言うと、多希はなんだかほっとしたように肩の力を抜いた。「人数増えたから、冬になったら鍋も出来るな」なんて照れたように笑う。


「おぉ、確かに」


 っていやいや、もう冬の話かよ。まだ五月だぞ。


「それにあれだ、夏は流しそうめんもやらんと」

「はぁ? そんな設備あんのかよ」

「近所に住んでる高田の爺さんが昔作ってくれたやつがあるんだ」

「マジかよ。絶対やろうぜ」


 高田の爺さんって誰か知らんけど。


 そう返すと、「よっしゃ、決まり」とまぶしいくらいの笑顔を見せて来た。


 俺は多希がこれまでどんな日々を過ごしてきたかを知らない。母親が亡くなって、あの家で一人過ごしてきた日々を知らない。どんな気持ちで寝起きして、どんな気持ちで一人分の飯を作り、それを食っていたのか、話す相手がいない寂しさをどうやって埋めて来たのかなんて、何も知らない。その時に出会えていたら良かったけど、時間はどうにもならない。

 

 だからこれからは寂しかった記憶なんて思い出す暇がないくらい楽しいことで埋め尽くしてやるのだ。流しそうめんでも闇鍋でも何でも付き合ってやらぁ。きっと陽介さんも八尋も同じ気持ちだろう。


 そんなことを考えていると、「なぁなぁ~」と八尋の間延びした声が聞こえて来た。


「どうした。もう肉なくなったか?」


 そう返すと、「いんや」と首を振りながらのしのしとやって来る。


「あんな、陽介君、盆明けから住むって」

「え? あぁそう。オッケわかった。てか本人はよ」

「あ? ちょいトイレ~。んでさ、俺はあれこれ片付けたりするから、まぁ六月末くらいかなって感じ。……いや、七月になるかな? とりあえずそんくらいかなぁ。あっ、でもさ、これからはちょいちょい顔出すから。よろしく~」

「りょーかい。布団用意しとく」


 食器も出しとかないとなぁ、あとは、と指を折りながらぶつぶつ確認している多希を見つめる八尋の目が何やらじんわりと優しい。弟を見つめる兄の目である。たった一歳しか変わらないけれど、やっぱり八尋の中で多希は可愛い弟なのかもしれない。その視線に気付いた多希が「何」と八尋を横目で睨んだ。


「いやぁ、嬉しくて、おれ」

「ウチに下宿すんのが?」

「そ。前に多希言ってたじゃんか、また下宿やりたいって」

「あぁ……まぁな」

「夢、叶っちゃうな。てか、おれらが叶えるんだけど」

「ハイハイ、どうも。あんがと」

「へっへー、どういたしまして」


 感謝の言葉を引き出せた八尋はかなり満足そうだ。多希の腕を取り、すりすりと頬ずりまでしている。されている本人はうんざり顔だったけど。


「あ、そうだ。いっそ幸路君も住まね?」


 このTシャツ肌触り良いなと目を細めて頬ずりしていた八尋が、俺の存在を思い出したかのように顔を上げて視線を合わせて来た。


「え、俺?」

「そそそそ。多希ん家な、マックスで三人住めんのよ。部屋数的に。だからあと一部屋空いてんの。どうよ、下宿」


 多希も嬉しいよなぁ、幸路君いた方がさぁ~、と甘えた声を出す八尋をうざったそうに跳ねのけつつ、「ヒロが勝手に決めんなや。まぁでも、どうする、幸路さん。俺は構わんけど」と俺の目を見た。


 かなり魅力的なお誘いではある。

 何せ朝晩と多希の飯が食えるのだ。こんなのもう全力で飛びつきたい。

 けれども、喜んで! と飛びつけない事情もある。


 いま俺が住んでいるのは会社の借り上げ社宅だ。異動を伴う辞令は年度末に限らず年に数回あるため更新などは特に考えなくて良いことになっている。引っ越し自体も特に問題はないのだが、当然その場合の費用は実費となるし、上長への報告、総務課への申請など諸々の手続きが面倒くさい。

 それに恋人との同棲や結婚でもあるまいし、なぜわざわざ引っ越すのか、という話でもある。まぁ、上長である井上課長はそういうプライベートな部分を突っ込んできたりはしないだろうが、残念ながら何かと詮索してくる下世話な先輩はいる。正直にいえば、それがちょっと――いや、かなり煩わしい。


 別に、知人がやっている下宿の世話になるだけなのだ。下宿というと学生っぽい響きだが、ルームシェアといえば全然問題はない。いや、下宿でも問題はないんだけど。


 そんなことを考えて即答出来ないでいると、「あーあー、ごめんごめん」と八尋が苦笑した。


「今日会ったばっかなのに先走ったな、さすがに」

「そういやすっかり忘れてたけど、ヒロと幸路さんって今日初めて会ったんだっけか。なんか普通に溶け込んでて忘れてた」

「俺も一瞬忘れそうになるわ。言われてみればまだ出会って数時間だな」


 恐るべし、パリピのコミュ力。


「いやでもマジで、もしその気があるなら早めに言った方が良いぞ。あと一部屋しかねぇから。学生でも入ったら卒業するか退学するまで空かねぇからさ」

「ヒロが決めんなっつぅの。まぁでも、その通りだな。ぼちぼち下宿再開させたいとは思ってたし、そうなるとあと一部屋しかないからさ」


 住みたくなったら早めに言えよ、と言って、多希はふわりと笑った。


 その柔らかな笑みに押されて、思わず「おう」と返す。

 この時点でもう前向きに検討する以外の選択肢はなかったが、とはいえ五月である。学生が下宿を探す時期はとっくに過ぎている。基本的には四月の入学と同時に住み始めるから、声がかかるのは三月だ。だから多少のんびり構えていても楽勝だろう。とりあえず、八尋は早くて六月末で、陽介さんは盆明けから住み始めるとのことだったし、ならば八月までに色々根回ししておけば、などと考える。何事も準備が大事なのである。俺は八尋のような『思い立ったら吉日』派ではないのだ。


 ――が、まさか「あの時とっとと唾をつけておけば良かった」と後悔することになるとは、この時の俺は思わなかったのである。

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