指折り数えた『アイツの作る飯』②
「お邪魔します……」
いつもよりちゃんと挨拶をしたのは、俺以外の『もう一人』に向けて、だ。やっぱり第一印象は大事だからな。どんな人物かもわからないわけだから。最初は慎重に。
奥から、多希の「おー、入れー」が聞こえて来たのを確認してから靴を脱ぐ。ふと視線を床に向けると、目に飛び込んできたのはやけにデカい靴だ。二十六.五センチの多希のスニーカーよりもデカい。俺だって二十七センチだから大して変わらない。よって確実に俺よりもデカい。足の大きさと背の高さは必ずしもイコールではないとはいえ、それでもやっぱりイメージするのは大男である。一体どんなやつなんだ。
どんな言葉と共に入室したものかと思い、「っすー」と曖昧な挨拶で居間に入ると、テーブルの前で胡坐をかき、茶を啜っている大男がこちらを見た。さっぱりとした短髪で、快活な印象を受ける。視線がかち合うと、彼はかぱりと大きな口を開けてニカッと笑った。見事なまでに美しい歯並びが見える。俺が「どうも」と頭を下げるより早く、「君!」と指を差された。
「『幸路君』だな!?」
「えっ」
「だろ? 幸路君、だよな?!」
「えっ、と。そうです、けど?」
あまりの勢いに一瞬何が何やらわからなかったが、恐らくは、多希から俺のことを聞いているのだろう。それで確認のために尋ねているのだと、遅れて気付く。
「おうおう、陽ちゃんよぉ。幸路さんが引いてんだろ」
まずはその失礼な指を下ろせや、とトレイの上にあれこれを乗せた多希がやって来る。いつものように俺がやろうと受け取り、テーブルの上に並べていく。
「ごめんな幸路さん。この人な、昔っからこうなんだよ。言ったろ、頭は良いけど馬鹿だって」
吐き捨てるようにそう言って、『陽ちゃん』と呼んだ彼の膝の辺りを軽く蹴る。そんなことをされても怒らないところを見るに、きっと昔からこういう付き合いをしてきたのだろう。ていうか本人の目の前で『頭は良いけど馬鹿』とか言っちゃって大丈夫なのか。
「……お前、俺をそんな風に紹介してたのか」
言うや彼はきゅっと真面目な顔で多希を見た。そして、ゆっくりと腰を上げ、立ち上がる。うお、立つとやっぱりデカい。百八十はあるだろ。そんでそれよりも身体の厚みが凄い。さすがはハーフマラソン常連の男。いや、何者だ?!
「んだよ、間違ってねぇだろうが」
そんで多希も一歩も引かない。向かい合うと身長差のせいで見上げる体勢になるものの、気持ちで全然負けてないのである。少し顔を斜めにして、下から睨みつける様はまるでヤンキー映画のワンシーンだ。
「た、多希……。陽ちゃんさんも、その……!」
どこからどう見ても一触即発のピリピリムードに、仲裁に入ろうと手を伸ばす。
陽ちゃんさんが両手を大きく広げ、多希に襲い掛かった――かのように見えたのだが。
「お前っ、俺のこと、頭が良いって思ってくれてたんだなっ!」
「ちょ、おい、苦しいって、この馬鹿力!」
「え?」
その大きな身体で包み込むようにして多希を抱き締めている。陽ちゃんさんの腕が長いのか、多希の身体が薄すぎるのか、彼の手は肩にまで回っており、これが漫画か何かなら、確実に『ムギュウゥゥゥゥ』みたいな効果音を背負っているだろう。それなりに体重もかけられているようで、多希の背中がのけ反っている。
「だよなっ、だよなっ、いっっっつも俺が勉強見てやってたもんなっ! あれからどうだ? 因数分解は忘れてないか? 仮定法過去完了は覚えてるか?」
「んなの全部まるっと忘れたわ。使わねぇよもう。てかマジで苦しいし、暑いから離れろって」
「ていうか多希、お前相変わらず細すぎんか? ちゃんと食ってんのか、お前」
「耳元でぎゃあぎゃあうるせぇな、食ってるっつぅの。俺が飯を食わないわけねぇだろ」
「それはそうだが……」
「なぁー、マジであっついんだって、離れろや」
「一年ぶりだぞ? 俺は兄貴分として可愛い弟の成長をだなぁ」
「二十五にもなりゃあもう成長なんざしねぇんだよ! あーっ、もう、助けて幸路さん!」
「お、俺ぇ?!」
眉を下げ、救いを求めるような目で見つめられれば、身体も自然に動くもので。
「あ、あの、ちょっと! 離れましょう、一旦! ね?」
二人の間に手を差し込んでぐいっと引き剥がす。ガチで抵抗されたら無理だっただろうけど、さすがにここまでされたら陽ちゃんさんの方でも諦めたらしい。が――。
「え?」
今度は俺が抱き締められた。
さすがに多希ほどは細くないので彼の手が肩に到達することこそなかったものの、その代わりにと、何かを確かめるかのように背中を撫で擦られている。えっ、何これ。
「幸路君、君は君でもうちょっと鍛えた方が良くないか?」
「いや、あの」
随分痛いところをついてきやがる。
「何か運動の経験があるだろ?」
「それは、まぁ、一応」
「何やってた」
「えと、陸上を、一応、高校まで」
成績はパッとしなかったけどな。
「競技は」
「は、八百です、けど?」
「ふん……。背筋が落ちてるな。デスクワークだろ、もっぱら」
「仰る通りで……。ていうか、あの、そろそろ離れていただいても……?」
そう訴えてみるが、この人、伊達に身体が厚いわけじゃない。全然拘束が解けないのである。そりゃあ多希も助けを求めるわけだ。自力で脱出出来ない。
「陽ちゃん、幸路さんがマジで引いてっから。陽ちゃんのそのチェック法は一般的じゃないからな? そろそろ放してやれよ、飯だぞ」
天の声……! 多希……っ!
俺が引いてるという言葉に反応したのか、それとも腹が減っているのか、陽ちゃんさんはあっさり俺を解放した。いやぁ済まなかった、と全く悪びれる様子もない。それを見て多希がため息をつく。
「ごめんな幸路さん。ろくに紹介もしねぇうちに。こいつはな、あ――、いや、自分で名乗れ。俺は飯の用意があるから」
そう言って、くるりとUターンする。待って。この場に二人きりにしないでほしいんですけど!
「すっかり忘れてた。ははは。俺は
「はぁ、ども。あの、佐藤幸路といいます」
サッと手を差し出される。握手だとわかるが、ここから握力テストとか始まらないよな?! 普通は初対面の相手の握力を測定するような流れにはならないはずなのだが、それでも何だか警戒してしまう。けれど、断るのも失礼だ。恐る恐るその手を取る。予想外に優しい握手にホッと息をついた。
「君の噂はかねがね――といっても、ついさっき聞いたばかりだけどな」
「はぁ、そうすか」
顎のあたりを擦りながら、ニヤニヤと俺を見つめる。
多希よ、一体何を吹き込んだんだ。つっても、俺らだってそんな深い付き合いでもねぇけどな? まだほんの数ヶ月、一緒に飯を食っただけの仲だ。
「んな警戒すんなや幸路さん。毎週一緒に飯食ってるって話しただけだ」
そう言いながら、多希が料理を運んでくる。豆腐入りの三種のつくねとブロッコリーのきんぴら、玉子とわかめのスープだ。DMに書かれていたメニューを思い浮かべて、「あ」と声が出る。それを拾った多希が「どした?」と首を傾げた。
「いま気づいたけど、今日の飯、やたらとタンパク質が」
多くないか? と続けようとしたところで、向かいに座る陽介さんが右腕を曲げて力こぶを見せつけて来た。
「そうだ! なんてったってマラソンは明後日だからな! 多希には俺監修のスペシャルメニューを頼んであるんだ!」
「スペシャル……メニュー……」
羨ましすぎるんだが?!
何そのVIP待遇!
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