03 星霊様と契約しました

 ウサギさん(ノルさんというらしい)に案内され、巣穴にお邪魔すると白湯を出されました。

 味のしない白湯を飲みながら、わたしはウサギさんの身の上話を聞きます。


「でな? ここら一帯は少し前まで俺が支配してたのよ」

「はあ……」


 彼いわく、この森はすこし前までフィーティア神話に出てくる異郷のような楽園だったそうです。

 ああ、フィーティア神話というのはいわゆるお伽話。

 わたしがさきほど読んでいた本に書かれていましたが、かつてこの世界は神秘に満ちた理想郷だったそうです。

 それがあるとき竜の喧嘩により一度世界はぶっ壊れ、いまあるこの世界は再生されたものだというお話です。

 まあ、よくある神話やつですね。


 彼が言いたいのは、ここもそんな楽園のよう森だったけど、竜さながら巨大なクマ(オオグマさんというらしい)が彼の縄張りを荒らしてこの森のヌシに君臨した。

 だからそいつを倒して森の平和を取り戻してくれ、頼む。という懇願でした。


「つまり、ウサギさんは権力争いに負けて、すごすご負けウサギ人生を歩んでいるというわけですね」

「そ、そうですね……」


 しゅぽんと耳を垂らして、身を縮めるノルさんです。わたしはめんどくさいなと思いながらチラリと外を見ました。

 夕焼け色の空。もう日没です。

 今日のところはクマ退治は諦めて、野宿でもしますかね。

 この巣穴、狭いですし。

 などと、わたしが吐息を落としていると、ウサギさんが別荘(ここより広い)へ案内してくださるとのことでした。


 外に出ると、空は灰色。

 走ってすぐに雨が降ってきました。

 遠くのほうでピシャリと嫌な音が鳴っています。

 わたしはフードを目深にかぶって先を行くウサギさんに声を投げました。


「あの! いったんどこかで雨宿りしては⁉」

「だめだ、だめだ! このあたりはあいつの──」


 ウサギさんが振り返った時でした。

 わたしの視界に黒いものがかすめ、それがこちらに向かって突進してくるクマだと分かったのは数秒後。 

 わたしは慌てて足を止めてウサギさんに危険を叫びます。


「──ウサギさん、避けて!」

「おわっ⁉」


 ぴょんっと飛び退るウサギさんを視界に収めて、わたしは杖を構えました。

 大きなクマです。

 ずんぐりむっくりした茶色の体毛。

 片目に三本線を刻んだ強面のお顔立ち。


 なるほど、たしかに森のヌシって感じですね。

 ウサギさんはクマの姿を確認すると、姿勢を低くしてうなり声をあげました。


「オオグマ!」


 そこからは動物語。

 うーん、なにを話しているのでしょう。

 よくわかりません。

 たぶん『今日こそお前を食ってやろうぞ』とか、そんな会話でしょう。

 物騒ですね。

 あ、やっと終わったようです。

 ウサギさんはわたしの足元へと来ると、


「おい、嬢ちゃん! こいつだ! こいつをお得意の魔法でやっちまえ!」


 期待に満ちた眼差しです。

 ですが、わたしは頭を振ります。


「無理です」

「なんで⁉」

「わたしの得意の魔法は火。こうも雨が降っていては使えませんので」

「ええ⁉ ……ほ、ほかの魔法は?」

「あるにはありますが、かなり威力が落ちます。あといちおう一般的な魔導師はひとつの属性しか使えないものなので、わたしも炎しか使わないようにしています」

「なんで⁉」

「複数の属性が使えると知られれば、面倒ごとに巻き込まれるからですかね。……まさにいまのように」

「うぐ、そんな目で見るなよぉ……」


 ウサギさん涙目。

 ですが、知ったこっちゃあ、ありません。

 わたしには関係ないことですし、どうしてもというから話を聞いたまで。

 しかしながら彼も諦めが悪い。

 わたしの背中をぐいっと押して、クマの前に連れ出します。

 なので、ここは適当に。土の魔法でも使ってみましょうか。

 ──……ボコッ。

 はい、失敗です。

 長ったらしい呪文を述べたわりに出てきたのは小さな土人形でした。


「すみません、駄目でした」

「え!」


 まあ、これで彼も諦めるでしょう。

 ぽこんと地面から顔を出したモグラの土人形を見て、わたしはきびすを返しました。


『ぐるるるるるる』

「ああ、ウサギさん。オオグマさんがだいぶお怒りのご様子ですが」

「誰のせい⁉」


 わたしのせいではありませんよ?

 

「あーっ! もういい! 役立たずの嬢ちゃんは下がってろ!」


 ウサギさんがわたしの前におどり出ます。

 鋭い咆哮をあげるクマ。

 どしんどしんと土を蹴ってわたしめがけて突進してきます。

 え? なぜ、わたし?

 

「嬢ちゃんっ、にげろーーー!」


 ウサギさんが叫んでわたしの前に立ちはだかり──そして、


「ウサギさん⁉」


 わたしが手を伸ばしたその瞬間。

 どんっと鈍い音を奏でてウサギさんが吹っ飛びました。

 宙を舞う、ニンジン色のモフモフ。

 わたしは唖然としました。


 彼はかろうじて受け身を取っていたようで、コロコロと地面を転がり木の側面に激突すると、傷だらけの体を起こしてクマを睨みつけました。

 迫る敵。

 振り下ろされる爪の斬撃。

 彼がまぶた閉じ──そこでわたしは覚悟を決めました。


『⁉』


 クマがぴたりと動きを止めます。

 当然です。

 背後を取られたうえに、杖を向けられたとあっては、いかなる動物も本能的に理解するでしょう。


 そう、魔女を敵に回してはいけない──と。


「じょ、嬢ちゃん?」

「仕方ありませんね。お下がりください、ウサギさん」

「なっ! ば、馬鹿! はやく逃げろ! 相手はクマだぞ⁉ わかってんのか!」

「ええまぁ」


 ウサギさんが慌てています。

 さきほどはクマを倒せだとかなんだと言ってきた癖に、いまとなっては血相変えてこちらの心配をしているとは、なかなかどうして変なウサギなのでしょう。

 だけど、彼は自分を必死に逃がすために動いてくれた。

 正直驚きました。

 だからこれはほんの気まぐれです。


「心配など要りません。だいたい雨のひとつやふたつ、わたしにとってなんの障害にもなりえませんから」


 わたしは淡々と告げます。


 水が落ちるもとでは火が使えない? 

 まさか。

 魔導師相手にそんな常識ルールなんて存在しない。

 溶けない氷。

 止まない炎。

 雨が邪魔なら雲ごと蹴散らしてしまえばいい。

 なぜならわたしは──


「わたしは篝火かがりの魔女。天から降る雨など、美しい虹に変えてみせましょう!」


 祈る。

 これは、太陽を詩歌うただ──。

 わたしは力強く唄いました。


「あなたの身体はぽっかぽか。冷たい雨で凍える心にハーブティーの温もりを」


 ばっとうしろに飛んでクマから距離を取り、そして中空でニヤリ。続きを紡ぎます。


「……なんて、優しい言葉をかけると思いましたか? ──さぁ、口を閉じなさい。さもなければ舌を火傷しますよ? 〈炎の海流メル・ノル・イグニス〉!」


 刹那、あたり一帯から火の手があがり、ぐるりとクマを囲んで閉じこめます。

 ごうっと燃え盛る炎の牢獄。

 次第に形を変え、そして竜巻に。

 天まで伸びて灰曇を蹴散らすと、雨は掻き消え、空には七色にはためくカーテンが。


 ──ああなんて、幻想的な光景なのでしょう。


「すげぇ……」


 思わず漏れ出る感嘆の吐息に、わたしは自信たっぷりの笑顔で返します。


「さて、助けたお礼にわたしの下僕になってもらいますよ?」


 これが、ウサギさん──星霊ノルさんとの出会いでした。

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