第2話

ハードルを必死に乗り越えながら走る、この瞬間は何も考えずに無心になれる。ゼミでうまくいかないこともこの瞬間だけは忘れることができる。しかし、テーマ決めの締切に間に合うのだろうか。ほんの一瞬集中が途切れた。

「あっ」

そう言った次の瞬間に、ハードルに脚をからめ取られた。派手に地面に顔を打つ前に咄嗟に地面に手をついた。手首に今まで感じたことのない激痛が走り、地面にうつ伏せになった。

先輩が必死な顔をして走ってくるのが見える。

「舞、大丈夫、すごく派手に転んだのが見えたから、起き上がれる?」

先輩が起き上がるのを手伝うために手を差し伸べてくる。

「す、すみません、大丈夫です!、痛!」

「大丈夫!?あっ、手首かなり赤くなってる。すぐ保健室行こう!」

「いえ!1人でも大丈夫です!」

「ヤバかったら私もついていくよ?本当に大丈夫?」

「はい!捻ったのは手首だけだと思うので、1人でも大丈夫です」

捻っていないほうの手で慎重に体を起こす。派手に転んで地面に激突したが、怪我をしているのは手首だけのようだ。

 捻った手首を動かさないように保健室へ歩く。保健室はグラウンドに一番近い校舎の入り口からトレーニング室、体育館の前を通り、大きくカーブした廊下を進み、左に曲がった突き当たりにある。

 グラウンドから離れ、部室棟の扉をゆっくりと開く。中へ入ると目の前の角から人が現れた。

「やっほー、舞、あれ、手どうしたの?」

 顔や頭から吹き出している汗を首からかけたタオルで拭いている。晴れやかで爽やかな印象だ。

「グラウンドで練習していたら転んじゃって、手首を少し捻っただけ。だからこれから保健室に行くの」

「え、大丈夫?今、ちょうど休憩時間だから私もついていくよ!」

「いやいや、ほんとに手首捻っただけだから」

「そんなこと言わないでさ、一緒に行こ、ちょうど暇だったし」

「でも練習の途中でしょ」

「いいの、いいの、大丈夫だって」

 千沙はいつも同じだ。どんなときでも自身より友達を優先する。部活の短い休憩時間であっても、私のことを気にかけてくれるありがたさが心に沁みてくる。

「でもさ、舞が怪我するなんて珍しいね。いつもキリッとした表情をしてすごく集中している感じなのに。何か考えごとでもしてた?」

 心の中を読まれているようで少しドキッとした。千沙はいつも笑顔を崩さない。

「うーん、そんなに悩んでいることはないんだけど」

「ほんとに?いや、絶対何か気にしてる。そういう顔してる」

 廊下はまだ昼間だというのに静まり返っている。部室や体育館のある建物と教室とを繋ぐこの廊下は果てしなく長く、ゆっくり歩いていると5分以上かかる。

「はあ、実はゼミの話し合いがうまくいっていなくて少し困ってる」

誰かと話すときは迎え合わせになるよりも、同じ方向を向いた方が会話が弾むとテレビに出ていた心理療法士が言っていた。そのうえ、歩きながら話すと気持ちが開放的になり、相談がしやすい空気が作られるとも言っていた気がする。

「うんうん、それでそれで?」

「みんな、それぞれ意見を出し合ってるんだけど、どれもパッとしなくて、それでも時間がないからどれかに絞ろうとしてるんだけど、どれか1つに決めようとすると必ず誰かが反対するんだよね」

「ふーん、それじゃあ、舞がリーダーってこと?」

「うーんと、そうとは決まってないけど、なんとなくそういう感じ」

 昔からそうなのだ。なにかのグループの所属にすると、いつの間にかリーダー的立ち位置に自然に着くことが多い気がする。自分から立候補するというわけではなく、雰囲気を重視しながら意見を調整していると不思議とリーダーのポジションについている。

「やっぱり!舞なんだがいつもそうだったよね。グループにいるとみんなの仲裁を取り持つような感じでいつの間にかみんな舞にどうするか任せちゃうんだよね」

 そう!そうなのだ。グループの仲が悪くならないようにみんなの意見をかみ砕いているうちに決定をゆだねられることが多いのだ。

「本当は誰かに相談したいんだけど、何かと一人でやった方が早いし、誰かが決断しなきゃいけないなら、自分で強引にでも決めた方が早いと思って」

 私はいつも周りに相談しない。自分では理解していてもなかなか本心を周りに打ち明けることを我慢してしまう。心の中の本音を他人に知られてしまうのが怖いのだ。だから、周囲と関わるときはなるべく弱いところを見せないよう心掛けてきた。

「その癖、やめたほうがいいよ。今すぐ!」

千沙は足を止めると、真剣なまなざしでこちらを見つめてくる。

「わかった。なるべく人に相談するようにする」

「早く保健室で怪我を治してもらおう!ね!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る