第2章 葛藤と揺らぎの果て

2章-1

 スーインが出立した翌朝。

 エルディオはスーインが残した長子相続を、ユーリに奏上させた。


 スーインの跡を継いだのが男のエルディオだったことから、主義のいかんを問わず、廷臣たちは右大公家が保守寄りになるだろうと期待した。

 しかし、初日から長子相続、つまり男子にこだわらぬという宣言をするも同然な法典制定を持ち出したことに衝撃を受ける。


 保守派が頼みとする左大公家は、年老いた当主はもちろん、代行のセザリアンも不在で、頼ろうにも頼れる状況ではない。


 ようやく「左大公不在の今、審議できぬことでは」と絞り出すのが精一杯だった。


「よかろう。水の国存続がかかっておる。此度こたびの火の国侵攻は世継ぎ不在ゆえ起こったことだ。その後始末をつけるべく、先の右大公は交渉のために危険な南方辺境へ旅立った」


 アーサーはそこで息を継ぐと、覇気を強めた。


「そのあたりを良く考え、明日から公平に審議に入るから皆の者、そのつもりで」


 当日すぐの審議は見送る一方、アーサーは、誰がスーインを死地に追いやったのかを廷臣たちに明確に自覚させる物言いをした。つまり、これ以上の譲歩はないという国王の決意を示したのだ。


 エルディオは抜け目なく、王のその発言を拾う。


「ありがたきお言葉。それでは明日より審議入りということで、準備を進めてまいります」


 スーインに負けない気迫を見せるエルディオに、超保守派の廷臣は自分たちの目算の甘さに唇を噛み締めた。

 右大公家が伝統の嫡男相続に変わったことで、右大公家も保守派に旗色を変更するものだ、と勝手に思い込んでいた。


 なんという計算違いだったか。


 超保守派の一人はギリギリと歯噛みをする。


 スーインいなくば右大公家は張りぼて、我ら超保守派もようやく楽に息ができる時代になるだろう。そう喜びあっていた。


 だが。

 スーインが出立するや否や長子相続を持ち込むわ、スーイン顔負けの覇気は見せるわ、これはいったいどうしたことか。


 右大公家の庶子の長男は気弱な坊ちゃん、というエルディオの評判――今となってはそれは間違った評判とわかったが――をうのみにした自分たちが悪いのだろうか。


 男子継承維持派は反撃の糸口を見つけられないまま、朝議が終了した。


 エルディオは、スーインを上回る改革急進派で武闘派である、という理解だけが、今朝の廷臣たちの唯一の収穫だった。



**

 昼前にユーリの侍女アリスが、第一王妃アスリーアのもとにユーリの訪問を予告しに来た。


 エリシアとの密議以来では、初のユーリの来訪となる。エリシアとの密議を経て、アスリーアにはどうしてもユーリに依頼したいことがあった。


 「右大公家三の姫、ユーリ様ご到着」

 女官の先触れがあり、ユーリがアスリーアの居間に入ってきた。


 礼を取るユーリの様子は、疲労の色が濃い。

 とはいえ、今の水の国の人間で、疲労の色を滲ませていない者はいないだろう。アーサー以下、皆が疲弊している。アスリーアは胸が痛む思いで、宮廷の皆の様子を見守っていた。


「政務が重なり、こちらに来ることが久しぶりになり、申し訳ありませんでした」


「気になさらないで。ユーリ様も大変だったと思いますわ。お座りになって」


 いつもの人懐っこい笑顔を見せると、ユーリは優雅に椅子に腰掛ける。


「お気遣いありがとうございます。エリシア姉様はうまくやっているでしょうか?」


「えぇ。よくやっていただいていますよ。アリアーナの立太子の件も、詳しく話を聞かせてくれました」


 運ばれてきたお茶をユーリに勧めながら、自身も優雅にひとくち飲む。


「スーインが一人で頭角をあらわしてきたときは、女だてらにって少し馬鹿にする気持ちもありましたが、今になってみると、自分の力で道を切り開くのって大事ですわね。

 ゼスリーアを見ていると……男性の地位にすがって自分の地位を上げていくことしか考えないのは、とても愚かなことだと思うようになりました」


「王妃殿下は、陛下に頼り切りではなかったと思います。そこは、お間違えになってはならないと、僭越ながら思います……」


「いいえ、かつてのわたくしは王子を産めばそれで立派に役割を果たした、と思っていました。やはり考えが足りませんでしたわ。そのあと、王子が立派な王たる器を備えるかどうかは、わたくしの薫陶が必要でした。その視点がまるっと抜け落ちていたのです」


 そういってほほ笑むアスリーアの笑顔からは、傷を受けた直後の痛みの影がなくなっていた。子をなくした痛みがなくなることはないだろう。だが、常に苦しみ続ける、というつらい時期は脱したかのように見えた。


「ユーリ様。改めてお願いがございます。ユーリ様の王太女の経験と、経験から得たことを、アリアーナとイリーナに教授いただけませんか?」


「殿下……わたくし、そんなたいそうな経験しておりません!」


 想像もしていなかった話に、ユーリはどぎまぎする。

 決して前向きに務めた王太女ではなかった。スーインに強要され、3年我慢すればと耐えただけの王太女だったのだ。


「今のご活躍ぶりを見れば、そんなことはないことぐらいわかります。

 が、もしもユーリ様がそう思われるなら、そう思うことも含めてありのままをお話しいただけませんか?それこそが、あの二人の王女たちが、自分たちの足で立ち上がり歩いていく道しるべになると思うのです」


 そうユーリに語り掛けながら、アスリーアは自分の変貌ぶりにも驚いている。


 かつての自分は、王子を生みさえすれば、そして後宮という小さな世界をおさめさえすれば、それで自分の役目は立派に果たせるものだと思ってた。


 でも違うのだ。


 後宮は、決して後宮で閉じているものではない。どうしたって、政治の影響を受けるものなのだ。だから、政治のことは知らなくていいなんて言ってはいけない。

 今更、スーインのように朝議に出ていくような変身はできないけれど、後宮を自律的に守り、王を補佐する王后として変わることはできるはずなのだ。


「殿下。承知いたしました。十日に一回ほどのペースになるかとは存じますが、わたくしの知る限りのことを、お伝えさせていただきます」


 国を守る意志を引き継げ、とスーインは言った。

 それがどんなものなのかは、まだ年若く経験の浅いユーリには今一つ実感がわかないものであるが、第一歩としてアスリーアの依頼は受けるべきだ、と直感した。


 そんなユーリを見て、アスリーアは安堵したように微笑んだ。


 しかし、その笑みとは裏腹に、胸の内はいくばくかの不安が渦巻いていた。


 今宵は頼みますよ、エリシア殿。


**

 力がなければ、生きていけない。

 そして力があるなら、下剋上されぬよう、さらに強く、圧倒的な力を手に入れなければならない。


 それがザハルの人生の哲学だった。



**

「行儀よくしろ、勉強しろ。うっせーな」


 10年以上前。ザハルは、頻繁に教育の場から逃げ出し、王宮中庭の植栽の陰に隠れているような子供だった。


 本気になれば見つかるはずの場所だが、侍女たちは上官に申し訳が立つ程度の探し方しかしないから、見つかることは滅多になかった。


「あの第九王子って、どうしてこうも面倒なの」


「だってご生母の身分が低いもの。私たちと同じ侍女よ?召使同然で育ってたのに、異能があるってわかって……」


「そうそう、手のひら返して正式な妃の子と同じに扱え、でしょ?」


「突然、王子の品格身につくわけないじゃないの、ねぇ?」


 探せ、と言われているはずの侍女たちは、呑気に歩きながら、探している当の本人を貶す噂話をする。


 俺はそんなに侮られる存在か?思わず幼き日のザハルは、こぶしを握り締める。


 そんなに俺を侮るのなら、王宮ごと燃やしてやろうか?指の先に火を灯す。


「やめなさい」


 気が付くと、二十歳ぐらいの青年が目の前に立っていた。

 全身からあふれる覇気に、思わず指先の火をザハルは消し去った。


「悔しいか?」


 ザハルはこくり、とうなずく。


「ではゲームをしよう。侮られたくなくば、行儀を覚えるのだ」


 なんだと。それが嫌だから、この現状なのではないか。

 優し気に声をかけてきたからうっかり油断したが、結局教育係という名前の爺と言うことは一緒かよ。ザハルは思い切り顔をしかめる。


「一月後、余の誕生日を祝う宴がある。行儀をマスターすれば、この宴に出してもらえるはずだ。この宴に出られたらお前の勝ちだ。勝てば今後、おまえが侮られぬようにしてやろう」


「本当か?約束だからな!」


 相手が誰かもわからないまま、約束を取り付けたザハルは、死に物狂いで行儀を覚えた。


 果たして宴に出してもらえたザハルはあの時の男を探す。遠目にようやく見つけたザハルは勇んで男の元に駆け寄る。


「行儀を覚えたぜ!ここに出てこれた、約束を果たしてくれ」


 得意満面の笑顔で駆け込むが、男の面前に出る前に、周りの大人たちが一斉にザハルを取り囲む。


「な、なんだよ」


 侍女たちとは違う圧を放つ大人の集団に、ザハルは思わずひるむ。そのとき。


「よい。その子は余の最愛の弟だ。多少の無礼は目をつぶれ」


 奥から、あの時の男の声がする。


 男は、この国の第一王子で知力、器量に優れたと評判の王太子の最有力候補、だった。


 第一王子の「最愛の弟」宣言は大きく、ザハルの生活は一変した。疎まれる存在から、大切にされる存在へと。ただ、大切にしてはくれても、誰も慈しんではくれなかった。


「お前の武芸と異能に勝てるものは、今の王家には他にはおらぬ。自信を持つが良い」


 そう言って目をかけて慈しんでくれたくれたのは、この第一王子だけだった。

 そうして束の間、幸せな王宮生活を送ったが、それも長くは続かなかった。ある日突然、第二王子に弑されたのだ。


「お前、王家に入れると思うなよ?兄貴がお前を庇護したのは、武力に通じるその乱暴さと異能故だ。そうでなければ、いまごろ打ち捨てられているだろうよ!」


 新たに王太子の最有力候補に一気に踊りだした第二王子は、わざわざそう言いにきた。


「うるさい!兄上に及ばないくせに!」


 平凡に毛が生えた程度の才しか持たぬ第二王子のくせに!と、憎悪の炎が燃え上がる。そのまま焼き尽くしてやろうか、と思った。が、火が出ない?


「バカめ。お前のような異能持ちのところに、丸腰で来るわけないだろう。神官に、異能封じの護符を作ってもらってきておるよ。お前の異能は発動せん」


 ザハルは屈辱で歯を食いしばる。


「結局、どれだけ異能があろうが能力あろうが、関係ないんだよ。勝って手に入れたものが、正義だ。オレにはお前など必要ではない」


 そして、第二王子はにやにや笑いながらザハルに近づくと、顎をつかみ目をのぞき込む。


「とはいえ、その異能が惜しいから生かしておいてやる。だが忘れるな、お前はもう俺の飼い犬だ。逆らえば、餌も与えん」


 顎を突き放すと、鼻で笑って去っていった。


 そうして王宮は、第二王子が中心のものにあっという間に変化した。

 力で将来の王太子の座を横取りした第二王子をとがめるものは、誰もいなかった。


 ――そういうことか。ならば、俺も同じことをやってやろうではないか。


 ザハルの闘争心に火が付いた。

 自らを鍛え仲間を得て布石を打ち、ザハルはあっという間に圧倒的な力を手にして、第二王子を倒して火の国の王に即位した。


 ザハルは、圧倒的な力とその権力の保持を目指し、王に即位した後も反対勢力を潰し、泡沫氏族を吸収し、国力と権力基盤を強め続けた。


 このように、望んで努力すれば手に入れられなかったことはない人生を歩んだザハルだったが、望んでも努力しても手に入らないのが、スーインと水の国だった。


 逃げるからほしくなるのか、魅力があるのか。

 ――どっちもだ。


 ほしいと思ったものは、どんな手を使ってでも手に入れる。

 

 ゼスリーアはあの振り切ったいかれっぷりは面白いが、ただ面白いだけだ。スーインの比ではない。

 だが一時の楽しみなら、面白いだけでも理由になる。それがスーイン、ひいては水の国を揺さぶれるのなら、なおさら。


 この俺様がやろうとして、時間と手間をかけたのだ。手に入れられないはずはない。

 王宮に光を投げかける夜空の月を見上げて、ザハルは不敵なほほえみを浮かべた。



**

 自身が持つ異能の力と、セザリアンの手回しのおかげで、ザハルは簡単にゼスリーアの寝室に忍び込んだ。


 寝台に人が寝ていることを見て取ると、そっと近づき、夜具に手をかけた。


 と。


「ゼスリーアだと思った?」


 人影が起き上がる。――エリシアだ。


「なぜだ」


「あなた、水の国を――いいえ、水の国右大公家をなめすぎよ。

 それに、いくら異能があっても、後宮にこんなに簡単に入れるなんて、疑うべきだったのよ」


 ザハルはふっと、自嘲気味な笑みを浮かべた。


「スーインだけが優秀だったわけでは無いのだな」


 たしかに、俺は水の国をあなどっていたのかもしれない。このエリシアがいい例ではないか。


「今の左大公家が間抜けなのよ」


 ユーリを窮地に追いやった怒りで、エリシアは暴言を吐く。


「そうかもしれないな」


 それは間接的な敗北宣言。

 ザハルが、手を組む相手を間違えたということだ。


「ロン!」


 エリシアの配下を呼ぶ声が響く。拘束される、とザハルは身構えたが、現れた護衛たちはエリシアを守るように陣形を形作っただけで、ザハルには手を触れない。


「あんたなんか、捕まえないわよ。どうせ異能で消えるでしょう?逃げていいわ」


 ザハルの来訪を阻止しなかったのは、ゼスリーアが火の国の王と姦通しているという証拠が欲しかったからだ。

 もちろん、本人も拘束した方がよいが、異能を使っていずれ消えてしまうことが予測できたし、仮に消えずに拘束したままになったとしたら、ただでさえ難しい状況に陥っている二国間の関係を、よりこじらせることにつながりかねない。


 スーインが交渉に向かっていることを考えると、多少手札が弱くなろうとも安全を取る方が良い、と関係者全員で合意したのだ。


「ますます、小賢しいことだ」


 ザハルもその意図を察知し、忌々しげにつぶやく。しかし、逃がしてもらっているのに居座るのもおかしな話だ。腹いせに第三王妃に収まったエリシアを一緒に連れ去ってやろうかと思ったその時、目の前の護衛たちが目に入る。

 なるほど。エリシアが護衛を呼んだのは、自分が連れ去られる危険を排除するためか。今更になってザハルは気が付く。


 なんと――なんと小賢しい。

 目的がほとんど遂げられなかった敗北感にまみれて、ザハルはゼスリーアの部屋を後にした。そして、あの初夏の宵に会った少女はただものではなかった、とも思った。

 この俺の目的を阻止したなんて、あっぱれな女よ。


 まあ良い。

 本来、スーインを揺さぶるための策はもう発動している。明日の朝、また水の国は燃え上がるだろう。せいぜい、一夜の勝利に酔いしれるが良い。


 いい加減、水の国を去ってもいい頃合だな。明日の朝の大騒ぎを見たくはあったのだが。


 水の王宮を振り仰ぐと歪んだ笑みを浮かべ、ザハルは水の国をあとにした。




**


 ザハルの姿が闇に消えたあとも、部屋にはしばらく静寂が漂っていた。


 エリシアは、ただまっすぐに扉の向こうを見つめていた。さっきまでいた男の気配は、ほとんど消えている。


 エリシアの胸の奥は、奇妙なほど静かだった。


「スーインだけが優秀だったわけでは無いのだな」


 その胸の中で、ザハルの台詞がこだまする。

 あの初夏の宵、初めて会ったときに理由わけもなく惹かれた想いが、台詞に呼応するように、胸の奥で疼いた。


 時間とは、なんと残酷なものかしら。

 私はもう、あの日の少女ではない。


 玉座に座る男が、自らの手を血に染めてでも、愛する女を危険にさらしてでも国を守ろうとする姿を、そして、その自分の行動を悔やみながら、できる範囲で救う手はずを整える姿。

 そんな男の誠実な姿を知ってしまった今、燃え上がるような行動力だけが、殿方の魅力ではない、とエリシアは悟ってしまった。


 暖を取るもののない部屋の中に、真冬の冷たい空気が忍び込む。

 寝台に腰を下ろしたエリシアは、静かに冷たい空気を深呼吸をした。


 指先が微かに震えているのは、寒さのせいか、それとも。


 不器用で、真摯に国を思い、それでも必死に愛する女を守ろうとするアーサーの横顔が、エリシアの脳裏を横切る。


 わたくしは今夜、右大公家の二の姫ではなく、王妃として火の王に対峙したのだ。そしてそれがアーサーの役に立つことなのだとしたら、望外な幸せなのだと感じる自分に、エリシアは気づいていた。

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