4章-3(4章終)

 冬の清冽な空気が心地よい。

 豊富な水がより清冽さを引き立てているが、この水がけぶるように物を霞ませる頃には春が来るのだな、と一月先の未来にスーインは思いを馳せた。


 ひと月前は、慌ただしくエリシアの入宮の準備を進めていたし、侵攻の姿勢を強めてくる火の国への対応にも頭を悩ませていた。


 ひとまずエリシアは昨夜入宮し、その数日前には火の国使節団は帰っていった。


 どちらもまだ端緒にしか過ぎないが、いったんは区切りがついた、ということで昨夜は久しぶりにイフラームの隣で熟睡ができた。ひと月分の疲労が溶けてなくなった気がする。


 今日くらいはまだ、この時間でも休息をしていても構わないとは思ったが、元来の働き者のさがが邪魔をして、スーインに執務室を足を運ばせた。


 とはいえさすがに政務に取り掛かるでもなく、朝の清冽な空気感を楽しむことにする。


 執務椅子に深く座り、もの思いにふけっていると、遠くからパタパタと軽い足音が走ってくることに気がついた。


 これは暗衛の足音ではない。エリシアか?いや、あの子はもう後宮だ。であればユーリか。


「スーイン様、いらっしゃいますか?」


 案の定、執務室のドアを開けたのはユーリだった。マントをはおった姿だ。恐らく、寝起きに急いで出てくるため、夜着の上にひとまずマントで全身を覆って、取り繕ったのだろう。


「何事だ?」


 表情を変えず、用向きを問う。


「ゼスリーア様、死産されたとのこと」


「……死産?」



 ユーリは目を見開いて大きくうなずく。


「情報量が多すぎるな……まぁ座れ」


 執務机近くの椅子にちょこん、と座るユーリの姿がかわいらしく、思わずスーインは笑みがこぼれた。


「そこまで急いで来なくともよかったのではないか?」


「あの……ちゃんと身支度しますとカイルを起こしてしまいますし」


「そうか。南方から帰ってきておったのだな」


「はい。だいぶ疲労がたまっているようです」


「そうだな。辺境騎士団には負担をかけることだ…」


 小競り合いが収まらない、というカイルとキリアンの早馬の報告をスーインは思い出した。そろそろ被害も出すような小競り合いが増えつつある地域での治安維持活動は、確かに疲労もたまってしかるべきだろう。


「さて、死産とのことであれば、赤子の性別は伝わっているのか?」


「はい、男子とのことでした」


「男子か……」


「あれだけセザリアン様が男子だと自信を持っていた、ということはやはり、何らかの確信があった、ということでしょうか……」


「何とも言えぬな。二分の一の賭けに勝っただけ、とも言えるが」


 本当に賭けだっただろうか。

 もし男子でなければ、自らの地位は危うくなる。そんなことに、勝率半分ではふつう挑めないだろう。であれば、自然の確率以上のことを起こす何かが介入した、と考えるほうが自然だ。それが何かは全く想像できないが。


「何とも言えぬが、だが、確信に足る何かがあったのだろうて。だが、逆にそこまで自信があったのなら、死産の可能性も低かったと考えてしかるべきだが……」


 沈黙の帳が下りる。


「今回の交渉が成功しなかったから、でしょうか?」


「つまり?」


「エリシア様のところに突然現れたり、第一王子殿下が薨去されたことを知っていたりしていたのは、正当な王位継承者を授けることと引き換えだったのではないでしょうか。そして、今回の交渉が不調に終わるから、王位継承者になる王子はこの世への誕生を阻止する、と……」


「筋は通ってそうだな」


「命をおもちゃにしているようで、吐き気はしますが」


 ちいさなつぶやきを漏らしたユーリに、同意する、といった気持ちを込めてスーインは視線を送る。


 そして、手を組み、組んだ手に額を押し付ける。


「なぜ男子と確定できるか、などでは無理筋はあるが、男子を授かる方法と引き換えに、こちらを揺さぶりにかかる情報を引き出したところは、非常にわかる筋だ。だが、なぜわざわざ第一王子まで手にかける必要があるのだ」


「そこはゼスリーア様だから、ではないでしょうか。第一王子は左大公家の大きな力にはなりますが、ゼスリーア様に限定しますと、全くうまみはないですよね。単なる叔母ですから……生母になって力も振るいたければ、やはり第一王子は、ゼスリーア様から見たら邪魔だったのではないでしょうか。影光草持っていたのも、ゼスリーア様の侍女だったということですし」


「ふーむ。では、やはり男子確定の術だな。サラに命じて、火の国にそのような民間療法がないのか調べてみる価値はあるかもな」


「でもこんなことになって、やはりゼスリーア様にとっては、ショック、でしょうね…」


「だと思うがな……セザリアンもショックであろうて」


 そう。これからスーインが進めようとしている「長子相続」の方針においては、ゼスリーア所生の王子がいなくなったことは、スーインにとって非常に好都合だ。


 男子がいる状況で、長子である王女を優先するという話を通すのは、かなり難しい。だが、男子がいないのであれば、「長子相続を認め、王女にも立太子の道を開く」という理屈は、比較的受け入れられやすい。

 

 そういう意味では、今回の知らせはスーインにとってありがたいものだった。


 だからこそ、火の国は、スーインを苦しめるために、必ずゼスリーア所生の王子の存在を突きつけてくるだろう——スーインはそう考えていた。


 ……そうか。スーインが長子相続を進めているという話は、朝議にかける直前まで、左大公家に漏れないよう厳重に秘匿している。左大公家が知らない情報は、火の国に伝わるはずもない。

 だから、正当なる継承者になれる男子を消す、という手段にも出られるのだろう。

 ――つまり、左大公家と火の国が繋がっていることの、一つの証拠と言えるかもしれない。


「赤子の命が奪われているのに喜びたくはないことだが……此度こたびのことは、我ら右大公家が反撃する良い契機になるやもしれぬな」


 ユーリは目を丸くするが、承知した、というように首を縦に振る。


 そんなユーリを見つめて、スーインは静かに思考をめぐらせた。

 左大公家と火の国は、確かにつながっているだろう。

 だが、左大公家は、時が満ちるまでは、右大公家側の思惑に気が付かないはずだ。

 だから火の国も、自分たちがスーインを手助けしてしまったことに気づいてはおるまい。


 火の国は、交易路の案は受け入れないだろう。

 であれば、残された時間は、そう長くはない。急がなければ。スーインはひそかに決意を固めた。

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