4章-2

 火の国の使節団が去って数日後の午後。


 エリシアはアスリーアの居宮に足を運んだ。


「改めまして。右大公家二の姫、エリシアにございます。数日後に入宮いたしますので、どうぞよろしくお願いいたします」


 簡単に言えば、後宮のあるじへの、新入りの挨拶。

 見知った間柄ではあるが、儀礼上、しっかり礼を取る。


「来てくれてありがとう、エリシア。どうぞ座って」


 にっこり微笑むと、エリシアは勧められた椅子に腰かけた。


「早速ですがアスリーア様。私が後宮に上がること、ご不快かとは思いますが……でも決して、寵を争うつもりはございませぬ」


「この間、ユーリも同じようなことを言っていたわ。でもね。わたくし第一王妃になるべく育てられた身です。それだけに、後宮に上がって寵を欲しがらない女がいるなど、想像が及ばないのよ。寵が欲しくないなら、なぜ後宮に上がるの?」


「国を守るためです」


 まっすぐにアスリーアを見つめ、ためらわずに言い放つエリシアに、アスリーアは気圧けおされた。


 ――国を守るため――


「国を守る、とは、私たち女にとっては、夫に仕え世継ぎをお産み申し上げることだと、つまりは王の寵を得てこそだと、そう教わって育ち、それを信じて生きてまいりました。

 でも今は――」


 アスリーアは少し目を伏せ、息をつぐ。失った王子の穴は、こういうときに突然ぽっかり姿を見せる。穴に落ち込まないよう、アスリーアは胸を押さえて少し息を整えた。


「今はそれがすべてだとは、もうさすがに思ってはおりませぬ。でも、だからと言ってほかに女が国を守る方法があるとも思えません」


 今度は、アスリーアがエリシアを見据えた。


「あなたはどのように国を守るというのですか」


「男や女、の性別で、国を守る方法に違いがあるわけではないのだと思います。

 ただ、国王陛下には国王陛下の、姉上には姉上の、アスリーア様にはアスリーア様の国の守り方がある、だけなのだと思います」


 エリシアは少し目を伏せ、そしてまたアスリーアを見つめた。


「わたくしは、男にも、姉上にもできぬ方法で、国を守りたいと思っています。

 アスリーア様に国の明暗を分ける決断をしていただき、その実行のサポートをするためにやってまいりました。宮廷の官の立場で行うことも可能だったかもしれません。その立場でのサポートは、すでにわがいえの三の姫、ユーリが入っております。しかしそれだけでは間に合わないことは、アスリーア様もおわかりのことかと」


 アスリーアの第二王女の毒の件では、どんなにか、ずっとユーリに側にいてもらいたかったか。しかし彼女は文官でそれに伴う務めがあり、後宮の女官ではない。たしかに、分を超えられないのだ。


「後宮のことなれば、後宮の女として上がるのが適当にございます。ですから、後宮の女として参りましたが、寵が欲しいわけではありません」


「……わたくし、やはり頭が固いわね。今一つ理解が及ばないのだけれど、でも、エリシア、あなたそれって女の幸せはどうするの?」


「わたくしが恋した相手は、決してかなわぬ相手なのです。であれば、ちょうど目の前にある使命を全うし、あっぱれな女よと思ってもらえれば、それで本望なのですわ」


「それで、よいの?」


「……私たち姉妹の業なのでございましょうね」


 エリシアは横を向いて、誰にともなくつぶやいた。

 それをみたアスリーアは、これは、エリシアなりの自分への配慮なのだ、と気が付いた。


 そう、彼女の姉、スーインも決してかなわぬ相手に恋心を抱いていた。そして同じく、叶わぬ相手だから自らの使命に没頭したあの女性。


 アーサーとスーインの間に、単なる友情、戦友を超えた何かが存在することに気が付いた、あの日。


 この国の不文律で、結ばれることはない。本人たちもわかっているはず。自分が嫁ぐことに何の問題もない……

 なのに、どうしても二人の間に「割って入る」ことになる気しかせず、「身を引く」方がよいのか?とまで悩んだあの入宮前の日々のことを、アスリーアは思い出した。


 だが、逡巡しながらも、子供のころからの婚約を破棄する勇気はなく、アスリーアは約束通り後宮入りを果たした。


「そうね……妻、という形で殿方を独占する形式はとれますが、心の中まで独占はできませんものね」


 後宮入りした当初は、アーサーは本当はスーインを求めているのでは、という猜疑心に苛まれる日々だった。


 だが、後宮に訪れるアーサーは、そんなそぶりは全くなかった。まっすぐアスリーアを見て、アスリーアを慈しんでくれた。


 慈しまれて生活するうちに、猜疑心は薄まったが、やはりスーインへの

疑念――いや、確信――は、消えることなくアスリーアの胸に沈んでいるのだ。


「互いが互いを思いあう、って簡単だけど難しいわね」


「本当に……アスリーア様」


 顔をアスリーアに向けなおすと、エリシアははかなげに笑んだ。


「妹のユーリみたいに、幼いころからの想い人一筋に飛び込んでいけるのは、おそらく稀有なのですわ。でもこれは内緒ですよ、あの子も途中は別の男性と婚約させられた挙句、その婚約者に殺されかけたという波乱も経験しているんですのよ。

 今のあの子だけ見ていると、初恋の相思相愛を成就させていいわね、って嫉妬しそうですけど、さすがに殺されかけるのはごめんですわね」


「まぁそんなこと……知らなかったわ。カイル殿にずっと守られてきたとばっかり」


「人の背景なんて、聞いてみないとわからないものですね。ま、結局、殺されかけた時はカイル殿が助けたわけなので、やっぱり『このやろー』ですわ」


 ふふっ、と二人で笑いあう。


「エリシア様。あなたの言うことをすべて理解できたわけではないけど、選択肢として排除してはいけない、ということだけは思うようになったわ……先ほど、自分だからできること、という話をしてくれたけど、その『できること』はおそらく、具体的に何か、持っているわね?それを教えてくれないかしら」


 エリシアは、後宮を長年取り仕切ってきた女の察しの良さに舌を巻く。


「その通りにございます。右大公家としては、男子に限定する継承を排したいと考えております。性別にこだわらない長子相続を、アーサー王の時代に確立したい」


「なるほど?」


 それが自分たちの身にどうかかわってくるのか、アスリーアは瞬時にはつかみ損ねた。


「その長子継承の第一歩として、アスリーア様所生の第一王女、アリアーナ様に立太子していただきたい」


 一呼吸、しばらく何を言われているか、アスリーアは気が付かなかった。


 わたくし所生の子?王子は身罷みまかったわ……


「いま、アリアーナと言いました?」


 言葉遣いが乱れた。だが、そんなことを気にしていられない。


「アリアーナは、女子ですわ?エリシア様、あなたが男子をお産みするまでのつなぎにする、ということですか?雪の国がされたように」

「アスリーア様。いいえ、その場しのぎの策ではございません。男女の区別なしで、単純に長子に相続させる、最初に生まれたのが女子なら、その女子に継承させる、とそういうことなのです」


「まさか、そんな……」


 さすがに、想像もしなかった提案に理解が追い付かない様子だったが、焦点が合うにしたがって、事の重大さに取り乱す様子を見せ始める。


「アスリーア様、突然のことで驚かれるとは思います。が、すぐ決めてほしいということではありません。少しずつでよいのです、お考えいただけませんか」


「アーサーは……どう言っているのですか」


「国王陛下は、同意されています」


「そう……でも、わたしは……」


「はい。お考えください。必要であれば、わたくしでもユーリでもお呼び出し下さいませ」


 エリシアは一礼すると侍女を呼び寄せ、アスリーアの様子を見るように頼むと、静かに部屋を退出していった。

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