かごめかごめ

和紗レイン

かごめかごめ

 感覚が短く荒い呼吸音。口をふさぐ両手の指のすき間から吐息が漏れる。必死に音を出さんとするが、恐怖が勝ってしまう。

 身体を必死に丸め、両手で口を塞ぎ、涙を流しながら、少年は教卓の下へと隠れていた。


「かーごーめーかーごーめー」


 遠くから低い歌い声が聞こえてくる。

 少年はその歌が聞こえてきた途端に呼吸を止め、ただ戦慄し震えるだけしか出来ない。

 見つかったら殺される。それだけの恐怖は、彼の小さな心にはあまりにも大きすぎた。


「かーごのなーかのとーりーがー」


 廊下に響く足音が、壁を通して彼のいる教室へと伝わってくる。鋭く研がれた金属と金属が擦れ合い、甲高い音を発していた。


「いーつーいーつーでーやーるー」


 呼吸が加速する。必死に息を殺すが、身体が小刻みに震える。

 教室は真っ暗だ。カーテンの開いた窓から、淡い月明かりが彼を嘲笑するかのように微かに教室内を照らす。

 風で窓が揺れる音でさえも少年にとっては恐怖の種。自らの心臓の鼓動が、早く大きく鮮明に感じ取れる。


「よーあーけーのーばーんにー」


 足音がどんどん大きくなる。が、どんどん近づいてくる。

 奴の歌声は何処か楽しそうで、それが少年の神経を逆撫でし恐怖を加速させていた。


「つーるとかーめがすーべったー」


 すぐ近くで、引き戸が開くガラガラという大きな音。呼吸を忘れて、少年は自らの気配を消すことに精神を集中させていた。


「うしろのしょうめんだーぁれ」


 途端、辺りは静まり返る。先程までの雰囲気は何だったのかと思うほどに、空気が張り詰める。聞こえるのは、自分の心臓の鼓動とすすり泣くような吐息のみ。


「いたいた」


 彼の視界の右から覗く、男性の顔。天然パーマのかかった黒髪に、縁無しのメガネ。ワイシャツに青のネクタイ、黒いズボンを着用したその男性は、ごくごく普通の教師のように見えた。

 ただし、身体の左側に付着した赤い飛沫血痕が無ければ、の話だが。


 少年は息が詰まった。突然目の前に現れた驚き、そして目の前に迫った死に対する恐怖、何よりこの教師に対する怒り。

 教師の左手は教卓の上に添えられ、身体の陰から覗く右手には銀色に光を反射するハサミが握られていた。

 悲鳴をあげたかったが、気道が塞がれたかのように声どころか息さえ出来ない。今すぐに教卓の下から出て逃げ出したかったが、神経が切断されたかのように身体が動かない。


「さあ、友だちみんな待ってるぞ」


 柔らかいその言い方は昼いつも聞いているにも関わらず、今回限りは狂気に満ちているように感じられた。

 蛇に睨まれた蛙のように微動だにしない少年の視界に、真っすぐこちらに向けられたハサミのギラつく刃先が向けられていた。



 ✻ ✻ ✻



 張り詰めた空気の中、ゴソゴソと布が擦れる音。

 その薄暗い部屋の中にあるのは、分厚いマットや跳び箱、ポールやネット。そう、ここは体育倉庫の中だ。出入り口はアルミ製の扉で完全に塞がれ、掛け金で鍵がかけてある。

 乱雑に置かれた大きな器具の陰から、少年が二人と少女が一人、顔を出す。


「行ったか?」

「なんとか撒いたみたいだけどね」

「ふぅ……これで一安心だな。ったく松田のやろー、あれで教師とかイカれてんだろ」


 少年の内の一人がボヤきながら、自分の右腕を見る。

 肌寒くなってくるこの季節、彼が着ている長袖の黒いシャツの袖は肘上まで捲られている。露わになった二の腕には、一文字の傷跡が。簡易的に包帯が巻いてあるが、血が滲み出て痛々しい跡となっていた。


「傷、大丈夫そう?」

「まだズキズキするけどな、ひとまず大丈夫だわ。けど、なんであいつハサミなんか持って深夜の学校徘徊してんだよ。気色悪い」

「……一体、何人やられちゃったんだろうね」

「紺野も朝霧も……ああ、思い出すだけで気持ち悪い。あんな笑顔で心臓を一突きなんて、脳みそ人外だろうが」


 彼は眉間にしわを寄せ、頭をバリバリと掻き毟る。

 片手に救急箱を携えた少女は、青ざめた顔で俯いた。

 彼らの脳裏には、目と鼻の先で起こった悲劇の映像がフラッシュバックしていた。

 彼らが紺野、朝霧と呼んだ少女二人。女子トイレから出てきたところを松田と呼ばれた教師と鉢合わせになり、そのまま硬直してしまった。心臓をハサミで貫き、飛び散る真っ赤な鮮血を見て笑顔を浮かべていた。


「僕たちの、目の前で……」

「俺まで躊躇なく切り裂きやがってよ」

「良かったよね、すぐ近くに消火器があって」


 凄惨なる現場を目の当たりにしていた三人は、あの松田に見つかり暫く追いかけられていた。その際に少年は腕を切りつけられ、危うく殺されかけた。彼が今松田を撒いて生き延びているのは、少女が近くにあった消火器を投げつけて目眩ましにしたおかげだった。


「ここなら、鍵がついてるから安全だよね。鍵開けてきたりしないよね」

「大丈夫だろ、あんなに頭は狂ってても、消火器で足止め出来るくらいの間抜けだからな」

「誰が間抜けだって?」

「「「……え?」」」


 扉の向こうから、そんな声が聞こえてきた。彼らにとって聞き慣れた、それでいて恐怖の象徴のような呪いの雑音。

 彼らの汗腺から一気に冷や汗が噴き出し、呼吸も浅くなる。お互いの心臓の鼓動がはっきりと聞こえるくらいに脈は高なり、脚が震えだす。

 ガチャッと、静まり返った体育倉庫に解錠音が響き渡る。


「まったく、小学生に見せちゃいけないもの見せちゃったからなぁ」


 押戸が開く。ひょっこりと顔を出したのは、忌むべき殺人教師――松田だった。

 その両手には血に汚れたハサミが握られていて、細い目は真っ直ぐに彼らを見つめていた。


「……やばい」

「逃げろ逃げろ!今すぐ逃げろ!」

「窓開けて!」


 少年が窓の鍵に手を掛ける。だが、窓が開いて脱出が可能になる頃には、少年の断末魔と生暖かい鮮血が少女に届いていた。


「ぃ、ぃやっ……いやあああああっ!?!?」

「逃げて!早く出て!」


 窓枠に足をかけ、体育倉庫の窓から外の砂利の上へと飛び降りる。ジャリッと音が鳴り、少女は恐怖のあまり一目散に駆け出した。

 後方で短い断末魔とうめき声が聞こえてくる。それでも彼女は涙を流しながら、後ろを振り返らずに外へと駆け抜けていった。

 開いた窓からは、血に濡れた少年の腕が見えていた。



 ✻ ✻ ✻



五人死亡


教室――田中

女子トイレ前――紺野、朝霧

体育館倉庫――前田、木村

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