第12話 筋肉、注目の的になる

 ──未亜を助けた、翌日。


 礼堂は家でモソモソとジャムトーストを食べていると、父親が目の前の席にどっかりと座った。


「まるでやさぐれたおっさんみたいだな。疲れる要素一ミリもないだろ」

「あー? 何言ってんだ」

「ふふ、お父さん、昨日も指導頑張ってたのよ」

「あれくらいの指導で疲れないだろ」

「五十代の劣化舐めんなよ」


 礼堂の言動に対して、目の前で行儀悪く肘を背もたれにかけ、テレビを見ながらパンを食べる礼堂父は、拗ねたようにそう言った。


 目の前の態度の悪い大男が、剣術の師範だなんてとても思えない。けれど──礼堂は目の前のこの人から一本も取れたことはない。

 剣を持った時の澄み方や気迫、凄みのようなものからして、負けてしまうのだ。


 戦わずして勝つ、とはこういうことを言うのだろう──。

 いや本当に、なんでこの人に勝てないのか理解できないくらいには、普段の生活は酷いのだが。


 礼堂は今の門下生の誰一人にも負けるつもりはない。けれど師範である父にだけは、逆立ちしても勝てないと思わされるのだ。それどころか、文字通りに父親が逆立ちしていても勝てないかもしれない。


「……というか、なんで今日は起きてきたんだ?」

わりぃかよ」

「悪かないけどよ」


 珍しいこともあったものだ、とは思っていた。

 道場の師範である礼堂の父は、普段夜遅くに寝て昼前に起きる、武道家とは思えないような生活を送っている。そりゃ武道家で毎日体を動かしているのに、体が悪くなるのも早いというものである。


 礼堂はどちらかと言えば早寝早起き、規律正しく生活する人間だ。とは言え高校生、生活習慣が合わないということもない。

 会えばそれなりに会話も交わすし、ぶっきらぼうで無愛想、おまけに無精髭まで生えている裏側で、それなりに家族に対して愛情を向けていることも知っている。仲が悪いなんてことはなく、むしろ他の家よりも一緒にいる時間は長いくらいだろうと思っていた。


「お父さん、私が渡そうか?」

「いや、いい。……なんだ、その、アレだ」


 母が助け舟を出そうとするも、意地っ張りな礼堂父は跳ね除けてしまった。

 これは何かあるやつだと思っていると、不意に父親は口を開いた。


「お前──あのスキルは?」

「あのスキル──?」


 なんのことだろうと一瞬考えるも、スキルと言えば、今巷で自分が振られる話題は決まっていた。どうやら父親も自分の動画を見たらしい、と合点して、ちょっと恥ずかしい気持ちになった。


「『スラッシュ』?」

「そう、それだ。……よくできてる。お前、その調子で刀に振り回されるなよ」


 どうやら動画を見て、礼堂父には気になった部分があったらしかった。

 礼堂はごくりと口に入れていたパンを飲み込み、牛乳で流し込んだ。


「刀に振り回されるな──」

「おう。あと、やりてえもんがあるんだ」


 そう言うと、礼堂父はどこかへ行った。かと思うとすぐに戻ってきて、その手には黒革の手袋が握られている。


「昔使ってたグローブだ」

「え、いいの。──つか親父、ダンジョン探索やってたんだ」

「もうやめたけどな」


 ふあ、と欠伸をしながら答える父親の姿は、やはりみっともない。けれど──。


「ああ、大切にする」


 貰ったものは大きいような、そんな気がした。



◇◆◇◆◇


「おはよう」

「お、英雄さんじゃん」

「うへ……」


 学校に着くと、いつもより多くの注目を浴びることとなった。

 訓練の結果、気配に対して人よりも敏感な礼堂はそれだけでちょっと気まずさがあるのに、クラスはさらに騒々しかった。


 その中でクラスに入った俺を、嫌な挨拶で両川は出迎えた。


「やめてくれよ両川」

「いやいや、褒めてるんだよ俺は!」


 「どこがだ」とツッコみたい気持ちはある。が、それをすればどんどん話が進まなくなる。


「いやー、お前も隅におけないなあ。花柳さんだけじゃなくて、他校の女子までとか、どんだけだよ」


 礼堂は、両川の言葉に擬態している翠花の視線がジロリとこちらを向いた気がして、寒気を感じた。花柳翠花という女は、擬態中の方が怖いのだ。


「やめてくれ、本当にそんなんじゃないんだ。マジで偶然なんだよ」

「えー? でも相手はあの未亜だぜ?」

「有名なんだ?」

「知らないのかよ!? 今、埼玉で一番注目されている女子高生だぜ?」

「へー……」


 なんじゃそりゃ。というのが礼堂の本音だった。埼玉で一番注目されている高校生というのは、なんともすごいのかすごくないのか絶妙にわからない。


 むしろそんな渾名に晒される未亜が可哀想だとさえ、聞きながら礼堂は思っていた。

 学校も晒していることを考えると、個人情報とかプライバシーとか、ちょっと心配になってしまうくらいだ。


「ダンジョン探索配信者なんて女子比率少ないからなー、それにあのルックスだろ? 注目度高いって。実物可愛かった?」

「んー……それは、まあ」


 礼堂の言葉に、礼堂はまた花柳の目線がこっちに向いたような悪寒が走った。怖いって。


 確かに未亜は可愛い。だが──礼堂としては細すぎるという感想が先に来る。顔はかなりのものだし、あの天然なキャラと細さは、確かに一部の熱狂的なファンを獲得するだろう。

 声も聞き取りやすい。とても良い声をしている、と礼堂は思っている。もしも未亜に告白されたら、断る男子はそうそういないだろう。


 けれど、細すぎる。

 健康体そのもの、それどころかちょっと筋肉つきすぎで健康診断で心配されるくらいの礼堂にとっては、不安なほどに未亜は細い。


 件の動画の切り抜きのコメントの中に「ご飯食べさせたい」というものがあったが、本当にその通りだと思ったものだ。


「そもそも……」

「そもそも、なんだよ?」

「いや……なんでもない」


 ……そもそも、未亜には一緒に攻略している男子が二人もいる。下の名前で未亜のことを呼んでいたし、多分そのどっちかとは付き合っているんじゃないかと礼堂は考えていた。……それを言ったら両川はキレ狂いそうだから言わなかったが。


 それに──礼堂は普段一緒にいるのが花柳翠花だ。そのせいで礼堂は、女子の美醜についてはどうしても、感覚が狂うようなところがあった。


「なんだよ。花柳さんのが良いってか?」

「うっせーなー」


 礼堂の内心を的確に見てくる両川は、それだけ礼堂にとって厄介な相手でもある。

 攻めていいかどうかという、ライン引きの駆け引きが絶妙に上手いのだ。おかげで変な踏み込み方を学んでしまっているとさえ、礼堂は感じていた。


「はーい、ホームルーム始めるぞー。礼堂は古宮の女子のこと考えないように」

「考えてないんだけど!?」


 クラス担任のなんとも言えないイジりと、生徒たちのクスクスと笑う声から、朝のホームルームは始まった。



◇◆◇◆◇


 ──放課後、電車の中。

 今日も今日とて池袋駅に向かう二人は、いつもの空気の中に絶妙な気まずさが流れていた。


「──で、どうだったのよ」

「どうって?」

「古宮のダンジョン部の……未亜だっけ?」

「ああ」


 どこか皮肉げな言い方が気に掛かった。けれどそれ以上に、お前までその話か、もう話し飽きたわ──と翠花に言ってやりたかった。

 今日一日、クラスの奴らや他のクラスの知ってる奴らから、散々っぱら聞かれたのだ。礼堂にとっては話しすぎで食傷気味である。


「可愛いわよね」

「──ん? それは、まあ」


 翠花の絶妙な納得感と言い回しが、礼堂には気に掛かった。けれどそれを追求しようという気にもなれない。触れれば絶対火傷する、と礼堂は分かっていた。脳筋の処世術である。


 そんなことを考えている間にも、ピロンという音と共に、チャットアプリに連絡が来た。


「噂をすれば?」

「だな」

「どうすんの?」

「今日は……いいかな」


 ──食事の誘いだった。

 それを礼堂は受ける気にもならず適当にかわすと、隣にいた翠花はふう、と息を吐いた。

 なんなんだ今日は、と思う間にも、電車は停車し駅名のアナウンス。二人が降りる池袋駅は、もう次だった。

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