第5話 ヘンゼルとグレーテル

 街道から逸れ、森の中を進むことしばらく。

 先程のような膨大な魔力量がもう一度感じられることは無く、記憶を頼りに発生源と思しき場所へと向かう。


 道無き道を進み、生物の気配が徐々に無くなってゆくことから、その場所へと近づいていることが分かる。

 お互いの顔は窺えないが全員の緊張感が高まっていくのを感じ、あたりに低木も増え始めた頃、視線の先に森の終わりが見えてくる。


 一歩手前で足を止め、森から出ることなく周囲の様子を探るが、特段怪しいモノなど見受けられない。

 一応鼓動探知ソナーを広げて見ても生物の反応は無く、少なくとも見える範囲にも動くものはない。


 顔を見合わせミサの合図と共に一斉に飛び出すと、やはり何も起こること無くただ静寂がその場を流れる。


「ふぅ〜、なんも無くてよかったっすねぇ…」


「おどかしたやつを見つけたら、ただじゃおかないのにゃん!!」


「まぁまぁまぁ」


 憤りを露わにするリアスを隣にいるロークが嗜める。


「まさかこんな所まで来てしまうとはな」


 ミサの視線の先には切り立つ崖があり、その正体はこの大陸に走る大きな渓谷で、向こう側までの幅は数十メートルはありそうだった。


「ギンヌンガの淵か」


「ぎんぬんが?」


 生まれが違うためか、始めて聞いた単語に疑問符を浮かべるリアス。


「千年前、神々との苛烈な戦闘で生じたとされる亀裂だ」


 専門家たちの見解では、そのような強力な魔術は観測されていないため地殻変動によって大規模な地割れが起こったとされている。

 大陸の中央付近に位置するこの渓谷は、その亀裂が端の方まで広がっており、この大陸が分断されずに残っていることが奇跡とされている。


 谷底から吹く風と得体の知れなさに、このギンヌンガの淵に人が近づくことは滅多にない。

 もし千年前の神々との戦争では、この規模の魔術が当たり前だったと考えるとそれだけで寒気がする。


「それにしても、先程の魔力は一体何だったのだろうな」


 魔力の発生源と見られるモノは何一つ見当たらず、難色を示すミサ。


 一応渓谷の底も確認してみるかと近づき、中を覗く様に見下ろすがそこには途方も無い闇が広がっているだけだった。

 太陽が明るく照らしているとにも関わらず、底が伺えないということはそれだけ谷間が深いということの証明でもあった。


 一陣の風が谷の底から吹き荒び、なぜか不思議とその風の行方を目で追ってしまう。

 しかし風はそのまま空へと溶け込むかの様に消えて行き、後にはただ静けさだけが残ったいた。


「何を黄昏て、カッコつけてるにゃ。似合ってないのにゃ」


「…黄昏に憧れてる全男子に謝れ」


 男の子なら誰しもが風を見ると感傷的になるもんなんだよ。

 まったく、失礼なことしか言わないやつだ。


「徒労に終わってしまったな」


「何かあるよりマシっすよ!」


「だな、ぼちぼち戻ろうぜ」


「にゃぁ、安心したらお腹がすいたにゃあ。甘いものが恋しいにゃあ…」


 極度の緊張とここまでの旅のせいか身体は疲労を感じており、確かに疲れた時は甘いものが欲しくなるものだ。


 俺はそこに酒があれば尚のこと良いのだが、こんな森の中でその様なご馳走にありつける訳もなく。

 ただただ早く港町に着くことを願うばかりだった。


 街道に戻るべく来た森の中を歩いていると、突然リアスが何かに驚いた様に立ち止まった。

 常人よりも発達した嗅覚に何か引っかかったのか、鼻が反応しピクピクと動いている。


「クンクン…何か良い匂いがするにゃん!」


 連動するように獣の耳がピクピクと嬉しそうに動いており、その匂いに釣られて街道とは別の方角へ歩き出してしまう。


「おい、勝手に行くな」


「むっ、シノアは感じないにゃ?」


 言われてみれば確かに、微かだが甘い匂いがどこからか漂ってきている。

 だからと言って、勝手にそこに向かうのは違うと思うのだが。


 しかし連日の携帯食料レーションの味に加え先程の疲労が重なり、限界だったのか静止を振り切り匂いの元へと向かってしまう。


 ミサとロークを見ると、こちらに仕方ないといった様子で首を振るので、溜め息を吐きリアスの後を追いかける。


「こっちの方で合ってるのか?」


「ミャーの鼻を信じるにゃん! きっと美味しいケーキか、何かがあるはずにゃ!」


 はたまたお菓子の家かも、と久方振りに甘いものを食べれると思い高揚しているのか、意気揚々と森を歩いてゆく。

 先程までの疲れなどどこ吹く風といった歩みに、元気になったなら良いかと思ってしまう。


 少しして、人間ヒューマンの鼻でも明確に感じ取れるほど甘い匂いが濃くなった頃、森の中にひっそりと建つ小屋を見つける。


 残念ながらそれはリアスの思い描いた様なお菓子の家では無かったが、その小屋の前には木材で出来た小綺麗な椅子と机があり、その卓上にはいくつかの茶菓子と一つの大きなシフォンケーキが並べられていた。




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