第10話 春を待つ花の香り



「翼、朝飯できたぞー!」

 マルコスの声が下から聞こえてきた。

 はいはーいって普通に返事が出るあたり、だいぶこの生活にも慣れてきたよな。

 リビングに入った瞬間、俺の目が止まった。

 ……え、セレナが起きてるよ。なんか普通にテーブルに座ってるし、目もパッチリ開いてる。ていうか、ちゃんと起きてるセレナ見るの、いつぶりだ?


「セレナ、今日は起きてるんだな」

「うん、でもね。もっと冬になったら春まで起きないかも」


 春まで……? 

 おい、それ本当に熊じゃん。冬眠レベルだぞ。


「よくそんな寝れるよな」

「精霊はね、それぞれ得意の季節があるからね。私は木の精霊だから秋と冬は苦手なの」

「俺は水の精霊だから、冬だと弱体化しちまうんだぜぇ」

 マルコスがなぜかドヤ顔で言い放ったけど、それをセレナが即座に切り捨てた。

「あんたは、年中弱いじゃん」


 うわ、毒舌だ……見た目は可愛いのに結構言うな。

 ていうか、ちょっと待て

「いや、セレナも精霊だったの?」 

「うん、そうだよ。マルコスから聞いてないの?」

 マルコスに視線を向けてみると、全力で首を横に振って、めっちゃ焦ってる。

 バレるの確定演出すぎるだろ。しょうがない、今回は助けてやるか。

「……確か聞いたような気がするな。思い出したよ、セレナ」

 セレナは一瞬だけ目を細めて、それからフッと笑った。

「マルコス、今回は命拾いしたわね」


 うわ、やっぱバレてたな。無理があったか今の流れ。マルコスさん、どんまいです。

 空気がちょっと和んだタイミングで、キッチンの方から声がした。

「皆さん、デザート食べます?」


 ……ん? シラス?

 振り向いた瞬間、視界に飛び込んできたのは、なんかもう姿勢が完全に崩壊してる男だった。

 おいシラス、どうしたその腰。背中曲がってるし、なんか足ガクガクしてないか? なんか物凄く情けない姿だけど。

 まさか、いやまさかとは思うけど……昨日の反り勃つパワーか? 確か持続時間が24時間だった気がするな……うわ、ご愁傷様です。

 動きが小鹿みたくプルプルしてる。そんな情けない姿を見た瞬間、マルコスが盛大に吹いた。

「ブハッ……ゲラゲラゲラ! お、お前それ……! はっははは!」

 声出してめちゃくちゃ笑ってやがる。いや、お前のせいだろ!

「ちなみにデザート、マルコスの分はありませんから」

 ……完全なる報復宣言だ。甘味を断たれたマルコスが、さっきまでのテンションから一瞬で黙った。


 ナイスだ、シラス!!

「どうせ、マルコスがくだらない事でもしたんでしょ」

 セレナが冷たく言い放つと、マルコスは……沈黙。


「まったく、これじゃ仕事に支障がでるじゃないですか……」

 ぐったりしながらシラスがそうこぼした。昨日からずっと、みなぎってると落ち着かないよな。

「シラスさんのお仕事ってなんですか?」

「私は、ランセル家の親であるヴォルフガング様の嫡男。テオドール様の派閥に属しております。主にザリアナ城内で管理的な業務が多いですね」

「へぇー。派閥によって管轄してる仕事が違う感じなんだな」

 マジで会社の組織みたいなんだな。確かに俺たち三人をいきなりザリアナ城で仕事させるには無理がある。特にマルコス、こいつは無理だ。まず礼儀という概念を教えるところから始めなきゃいけない。それで、ある程度自由が効くモニカ派を紹介したってわけか。


「では私は、そろそろ仕事に行ってきますね」

「いってらっしゃーい」

 シラスは杖をついて玄関を出ていく。 

 うん、なるほどね。ああやって杖を使えば腰が引けててもそこまで違和感ないし、あの山脈みたいな主張も上手く隠せるわけか。あれが精力剤に敗北した男の生きる工夫だな。


 さてと、俺達もそろそろ冥歌めいかの練習するか!

 まだ、本当に練習してる? ってくらい全然上達してないけど。せっかくの異世界だし特別な力みたいだから、少しずつでも使えるようにしないとな。


「マルコス、そろそろ行くぞ」

「へーい」

「あたしも、行くー」

 ……え、セレナも来るのかよ。まあ別にいいけど。途中で「眠くなったから抱っこ」って言い出さないか心配なんだが。片腕で抱っこって大変だし、このサイズで抱っこは地味に修行なんだよな。


***


 森へ向かう道、のどかで静かな空気の中で予想通りの声が飛んできた。

「若様……」

 ああ、やっぱりか。まさかここまでフラグの回収が早いとは思わなかったよ

「どうした、もうダウンか?」

「ううん……けど……」

 声が力ない。ぐらつく足取りに、ため息が出る。

「……しょうがないな」

 俺はセレナの小さな身体を抱き上げる。もう眠気に勝てる気配ゼロ。抱っこした瞬間、肩に頭を預けてすぐにすぅっと寝息をたてている。


「まったく……」

「まるで翼の子供みてぇだな」

「いや、まだ嫁どころか彼女の影すら見えないんだけど!」

「いやいや、可愛いじゃねぇか。ほら髪の毛ふわふわしてて、なんか花の匂いするし」

「……確かに木の精霊だからか? ほんのり甘い香りがするな」

 セレナの髪から、やさしい花のような香りがふわっと漂ってきた。


***


 森の中は思っていた以上に静かだった。葉と土の匂いに、ほのかに甘いセレナの香りが混じる。


 なんか、こういう自然って落ち着くよな。そんなことを思いながらマルコスと並んで歩いていた、そのときだった。

 

 ──空気が変わった?

 急に森全体が息を潜めたような静寂が訪れる。風の音も鳥のさえずりもぱたりと消えた。

「な、なんだ、この空気」

 何かいるのか。魔力のことなんて全然分からない俺でも、全身の肌が危険だと警告してくる。

「……翼、セレナを起こせ」

 マルコスの顔を見た瞬間、冗談じゃないと分かった。

「この気配、俺たちの手に負える相手じゃねぇ」

 その一言が胸に刺さる。俺はすぐにセレナを起こそうとした、その瞬間だった。

 黒い影が森の奥から這い出すように姿を現した。息が詰まるほどの重圧が空気を包み込み、周辺全てを支配しているような圧倒的な存在感だった。魔物をちゃんと見るの初めてだけど、明らかにヤバい気がする。


「あ、あれは……鹿……?」

 一瞬そう思った。けど絶対に違う。あれは鹿の形をした何かだ。細く痩せた体。皮膚が裂け、赤黒い筋が浮いている。頭には黒くねじれた長い角。体から滲み出る黒いオーラを纏っている。ぎらついた赤い目が、こちらを見据えて動かない。見られているだけなのに呼吸がしづらく、生きた心地がしない。


「ちっ、あいつは『黒曜の幻鹿ダークチェルヴォ』だ。S級の魔物だぞ」

 マルコスの声に混じる焦りが俺の中の警鐘をさらに強く鳴らしてくる。

「今の季節の俺だと勝てない。俺が時間を稼ぐから早くセレナを起こせ!」

 マルコスは短く息を吐くと魔物に向かって飛び出した。


「流れる水よ、時を刻む一瞬の閃光となれ、聖律第2章─凪の声─」

『──流水一閃りゅうすいいっせん

 その詠唱と同時にマルコスの掌から鋭い水の刃が放たれる。

 迷いのない一撃。けど、魔物はそれを真正面から受け止めて弾いた。水の刃は砕け、霧のように四散する。魔物の身体には傷ひとつ付いていない。


「くそ……魔法が通らねぇ……!」

 マルコスの顔が、さらに険しくなる。いつもの、ふざけたセリフも出てこない。俺の背中にも汗がじわじわと伝ってくる。


「セレナ、起きてくれ! セレナー!」

 こういうときに限って、今日は朝から起きてたんだよな……

「セレナ、頼むから起きろー!」

「……んぅ……んぅ……なに、うるさいな……。」

 おおおお、やっと目が開いた……! 助かった!

「頼む、あの魔物をなんとかしてくれ!」

「……うわ、なにあれ。気持ち悪っ」


 ──テンション低っ!?

 セレナは、俺の腕に抱かれたまま片手を前に突き出す。

「マルコス、邪魔どいて」

「おう、やっと起きたか」


「大地よ、眠りから目覚め。牙となれ……んぅ……めんど……あぁ、ねむい……闇を喰らって、えぇーと、沈めちゃえ。聖律第3章─土に還る─」

『──千蛇根せんじゃこん


 おいおい……なんか詠唱、めっちゃはしょってないか?

 詠唱が終わった瞬間、無数の根がうねりながら地面から這い出てきた。一本、また一本。絡み合いながら、まるで知性を持つ生き物のように魔物へと迫っていく。音もなく、けれど確実に逃げ場を封じる包囲網を形成していく。


 これ、セレナの魔法だよな? マジかよ、威力バグってないか?


「グルル……!」

 魔物が低く唸ったかと思うと地を蹴って逃げようとする。けど、セレナはそれを許さない。

「もう、逃げないでよ、めんどくさいなぁ」

 根が飛びかかるように魔物を絡め取り、全身を締め上げていく。その様子は、まるで森そのものが怒りに震えているかのようだった。魔物が絶叫するが、その叫びも徐々に細く弱くなっていく。

「はい、ばいばいー」

 セレナが軽く手を振った瞬間、魔物の体がバラバラと崩れ始める。黒い角と黒い石のようなものを残し全身が塵となって空気に溶けていった。


「……えっ」

 嘘だろ、マルコスの魔法は全然効いてなかったのに。

「……凄すぎないか」

「ふぁ……まだ眠い……」

 そう言いながら、ふにゃっとした顔で俺の肩に頭を寄せてきた。

「おい、ちょっと待て、また寝るのかよ!?」

「むにゃ……」

 反応ゼロ。そのまま完全に冬眠モードへ突入。


 え、ちょっと待て? 今のヤバい魔物なんだよな? S級とか言ってたよな? 

 それを寝ぼけながら、一撃で……? 

 しかも今の季節は、セレナも弱体化してるって言ってなかったか?


「マルコス、セレナってもしかして凄い強い?」

「あぁ、間違いなく化け物だよ。特に春と夏はな」

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