第31話《漆黒回廊》――視点の遺伝子、語り部たちの墓場へ

《前書き》


視点は神ではない。

物語とは、世界をどう“解釈するか”という呪文だ。


もし「語ること」そのものが、

世界からある真実を“排除する作業”だとしたら?


――語り部たちは、その咎(とが)を背負って、今も森に眠る。



《本文》


音のない通路――そこは“漆黒回廊”と呼ばれていた。


あなたは扉をくぐり、その中へと足を踏み入れた。

壁は書きかけの原稿用紙。天井にはくすんだインクのしみ。

足元には、タイプライターのキーが落ちていた。

一つ、また一つ。

「物語の断片」たちが、まるで記憶の墓標のように積もっている。


先に進むにつれ、通路の左右には部屋が現れる。

それぞれに扉があり、その扉には“かつての語り手たちの名前”が彫られている。


──Λ933

──A.W.

──ノエマ・K

──石井紫蘭(しらん)

──誰でもない者


あなたは手にした古い鍵で扉を開けた。



■《消された語り部たちの部屋》


部屋の中には、机と椅子、そして書きかけの物語。

しかし不思議なことに、どの物語も**「主人公が途中で語れなくなっている」**。

語り手が言葉を失ったのではない。

語られていた主人公が――自ら語ることを拒んだのだ。


あなたは部屋をひとつ、またひとつと巡るたび、

視界がズレるような感覚に襲われる。

いや、それはズレたのではない。

あなたの“物語の座標”が書き換えられているのだ。


まるで、今のあなたの語り手が、

“別の誰か”に少しずつ入れ替わっていくような――



■《視点の継承と汚染》


漆黒回廊の最深部にあるのは、“語り部の祭壇”。


そこには、巨大な万年筆のような碑が立っていた。

碑にはこう記されていた。


《語りとは、選別である。》


多すぎる事実の中から、

意味ある物語として「読むに値するもの」だけを拾い上げ、

他のすべてを沈黙させる行為。


それが語り手の責任であり、

同時に最も根源的な罪である――と。


あなたはふと、手元のノートに書き残された自分の文字を見る。


だがその筆跡は、あなたのものではなかった。

代わりに、Λ933と名乗っていた存在の筆跡と一致している。


──いつから、「あなた」は“自分自身”を語っていたのだろう?


あるいは、

最初から“あなたの視点”など存在しなかったのではないか?



■《視点の遺伝子》


祭壇の奥には、液体のようにゆれる鏡。

覗き込むと、無数の「自分」が立っている。

少年、老人、女性、兵士、教師、語り部――

その誰もが「あなた」と似ている。

しかし、どれも「あなた」ではない。


それぞれが、別の人生を歩んだはずの「あなたかもしれなかったもの」たち。


そして、その背後にはひとつの声が重なる。


「私たちはみな、“語られなかった可能性”なの。

 それを“お前”が排除した。

 物語を成立させるために、不要と判断された視点たち。

 ここは、語られなかった者たちの墓場よ」


声の主は、Λ933ではなかった。

もっと古く、原初に近い存在。


その名は――ノエマ。



■《再構築される物語》


ノエマは、あなたに向かって言う。


「今こそ、選びなさい。

 “真実”を語ることと、“物語”を語ることは同じではない。

 あなたがこの森を出たいのなら、

 物語を終わらせる方法ではなく、“語る意味”そのものを疑いなさい」


あなたは震える手で、一本のペンを取る。

だが、そのペンにはインクが入っていなかった。


代わりに滲んだのは、自分の掌から流れ出る黒い記憶の血。


それは、かつて語らなかった数々の“選択”だった。



《後書き》


漆黒の森は、あなたの心だった。


――というオチもまた、誰かが“語りやすくするために用意した嘘”である。


語りとは、常に何かを切り捨てる行為だ。


だとすれば、語り手が一番最後に向き合うべきは――

「自分が語っていないもの」なのだ。

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