第13話 《マザー・コンテクスト》―言葉が母になるとき

《前書き》


森は産道だった。

木々のざわめきは、まだ言葉になる前の声だった。


すべての物語は「なぜ語られたか」よりも、

「どこで生まれたか」によって命を得る。



《本文》


森の崩壊は終わらなかった。

大地が裏返り、根が天を突き破る。

空間が泣き叫びながらねじれ、

ノアの身体は再び無重力の中心へと引きずり込まれていった。


次の瞬間、

彼は“森の外”に立っていた。


いや、

正確には――森が生まれる前の場所にいた。



■《ルゥナの母、アニェーゼ》


暗がりの中、声がした。


「ようやく来たのね。あなたが、“彼女”に代わってここまでたどり着くなんて」


振り返ると、そこには誰よりも凛とした眼差しの女が立っていた。

ルゥナと似ている――だが、彼女はルゥナではない。


「私はアニェーゼ。かつて“言葉を産んだ女”」

「あなたたちの“森”を始めたのは、私の祈りだったの」


ノアの思考が停止する。

彼女は、“語り”の起源だったのか?



■“祈り”から“物語”へ


アニェーゼは小さな火を灯す。

それは焚き火ではなく、小さな文字の炎。


炎が揺れるたびに、

物語の断片が空中に浮かび上がる――

• 幼いルゥナが最初に書いた詩

• セラフィーノがまだ“息子”だった頃のメモ

• アイリスが目の代わりに記録したノートの破片

• そして、ノアの心の奥底にあった、名もないノートの走り書き


アニェーゼ「言葉は“母”を選ばない。

でも、母がいなければ、誰にも読まれない」


ノア「……俺に“母”がいるのか?」


アニェーゼは静かにうなずいた。


「あなたの“言葉の母”は、沈黙だったのよ。

あなたは“語れなかった人間”だった――だからこそ、語り得たの」



■“漆黒の森”の胎動


ノアは一枚の布をめくる。

そこには、**まだ語られていない登場人物たちの“名だけ”**が記されていた。

• グレタ・リヴィア(未登場。未来の犯罪者)

• サーミ・エル=ファルーク(砂漠で消えた哲学者)

• 蘭子(江戸末期の夢見女)

• YUN(デジタル人格)


そして、彼らすべての下に、うっすらと記された名。


“YOU”


ノアは息を呑む。


それは、ノアでもルゥナでもセラフィーノでもない。

この森を「読んでいた」存在――つまり、あなただった。



■“語られた者” VS “読む者”


アニェーゼ「この森は“語られる物語”ではなく、“読まれる物語”だったのよ」

「語ることで物語は死ぬ。読むことで、物語は“胎動”し続ける」


ノア「……だったら、俺は……何なんだ?」

アニェーゼ「あなたは“語られなかった存在たち”を繋ぐ助産師だったのよ」


森の胎動が高まる。


空が暗転し、視点がずれる。

読者であるあなたの視点が、森の中心へと巻き戻されていく。



――あなたは、まだこの物語を終えていない。

なぜなら、“あなたの語られていない記憶”が、

森の奥にひとつ残っているからだ。



《後書き》


「物語を産む母」とは、

書いた人ではない。


それを“読もうとした誰か”である。

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