第44話


 肌で感じた通りだ。海東勇は〈六人目〉に取り憑かれていた。

 私達五人以外を狙うなんて、どうしてだろう。彼が八手ヶ丘出身だからか。それなら他の住民だって該当するはずだ。よりにもよって凶悪犯罪者に憑依するなんて。意味が分からない。

 でも、考えたところで仕方ない。

 海東勇は〈六人目〉と一体化した。その事実を受け入れて、どう対処するかが肝要だろう。もっとも、名案は思い浮かばないのだけど。


「こがねちゃんって、まさか。お前もあの子どもに遭遇したのか?」

「まさかも糞もあるかこの野郎。十年前から相も変わらず顔面ぐちゃぐちゃ。そのくせ可愛らしいワンピースで誘ってきやがって。あんなの罠だろうがよ。こっちの性欲を煽るだけ煽って生殺しかってンだ畜生」

「会っているんだな。それなら話が早い。俺達もこがねちゃん――〈六人目〉に追われているんだよ」

「知るかンなこと。だったらなんでオレにへばりついてンだ」

「それは、正直分からない。とりあえず今は、そいつについて考えるなって方針なんだよ。だから、これ以上余計なことはしないでくれ」

「オレに指図するんじゃねぇよ。口を慎め、下賤げせんな庶民風情がぁ。いいか、これは命令なんだよ。御託並べてねぇで早くこいつをどうにかしろ!」

「あんた、どこまで自分勝手なんだよ。罪を重ねてきた分、今度は贖罪に努めようって気はないのか」

「贖罪だぁ? なぁんでそんなことする必要がある。渋々服役してやったってぇのにこれ以上どうしろと。むしろ罪を贖うべきはそっちだろうがよぉ。海東家の名誉に泥ぉ塗りやがって」


 飛び散る唾液。赤黒く血走った双眸そうぼう

 海東勇は増々壊れていく。

 そして、


「なぁそうだろ、女ケ沢愛音ぇ」


 矛先は真っ直ぐ私の元へ。

 逆恨みで淀んだ邪視じゃし射竦いすくめられてしまう。

 あの日、あの時とは別種の怖気だ。〈六人目〉が混在しているせいだろう。放たれる悪意に押し潰されそうだ。震えて歯の根が合わない。


「お前のせいなんだよ何もかも。当然自覚はあるよなぁ。もとを正せば全部そうだ。存在自体許されねぇ異分子なんだよ。おかげで計算が狂いに狂って人生設計ご破算だ。どうしてくれるんだ糞ったれ」


 かくんと首を九十度傾けて、海東勇は滔々とうとうと恨み節を紡ぐ。

 それは言葉のナイフだ。

 単語一つ一つが刃となり命を抉り抜く。


「お前が大人しく刺されなかったから、」


 ぐさり。


「お前がオレの狩りの邪魔をしたから、」


 ぐさり。


「お前が約束を破って糞餓鬼共にバラしたから、」


 ぐさり。


「お前がり終わる前に目を覚ましたから、」


 ぐさり。


「お前が勉強会に参加したから、」


 ぐさり。


「お前が八手ヶ丘の嫌われ者だったから、」


 ぐさり。


「お前なんかがこの世に生まれてきたからッ!」


 ぐさり。

 最後の一刺しを合図に、本物のナイフが閃く。折り畳まれていた刃がぱちんと展開。血に飢えた切っ先が月明かりを受けて鈍く光る。


「死んで償え、女ケ沢愛音ェッ!」


 銀色を右手に海東勇は肉薄。

 不安定な重心とは裏腹に機敏な身のこなし。さながらゾンビのパルクールだ。遊具の柵を飛び越えて眼前に迫る。

 一拍遅れて想護君が応戦する。姿勢を低くして突撃だ。ナイフの突きを紙一重で回避すると、無防備な右脇腹に組み付こうとタックルだ。しかし決まらない。側頭部にひじ鉄砲が撃ち込まれたからだ。死角からの不意打ちに敢えなくくずおれる。

 一瞬だった。

 タックルの直前、海東勇の体は空中で不自然に半回転。胴体を雑巾絞りよろしく捻った反動で肘鉄砲を放ったのだ。人体では再現不可能な動きだろう。〈六人目〉が取り憑いているせいだ。肉体の限界を超えた身体能力を引き出している。その代償は命だ。骨や筋肉が軋み悲鳴を上げている。

 しかし今のところ海東勇は健在だ。ゆらりと大仰な動きでナイフを掲げる。街灯の明かりを反射してキラリ。獲物を目前に刃が舌舐めずりしている。

 今度こそ、殺される。

 こんな奴に何もかも奪われて幕を閉じる。食い物にされるだけの無意味な人生だ。悲劇を通り越し、もはや喜劇としか言いようがない。

 恐る恐る後ずさりするも、足が縺れて無様に転倒。四肢に力が入らない、立ち上がれない。圧倒的な死の恐怖。抵抗する気力が瞬く間にしぼんでいく。

 瞼をぎゅっと閉じる。


「諦めないで」


 けど、すぐに見開いた。

 凛とした声音を連れて一陣の風がいななく。漆黒の竜巻だ。ハイヒールによる跳び蹴りが悪魔を穿うがつ。驚異的な身体能力をもってしても避けきれない。左肩に衝撃を受けて蹈鞴たたらを踏む。


「またお前か年増女その二がっ」


 血走った目で海東勇が睨む先。

 夜の帳を引き裂き悠然と現れるのは白髪の麗人。自称私の親友、カフェラテさんだ。ロングスカートを翻す健脚が精彩を放っている。

 やっぱりだ。

 彼女は必ず駆けつけてくれる。

 恐怖で早鐘を打っていた鼓動が、全く別の意味を持ち始める。胸が苦しいのに、何故か不思議と心地良い。

 薄暗いはずの公園が、ときめきでぱっと華やいだ。


「少しは役に立つかと思ったのだけど、まだまだみたいね」


 カフェラテさんは倒れ伏した想護君を一瞥。しかし反応はない。どうやら気絶しているらしい。戦力外は捨て置いて、彼女は臨戦態勢に入る。

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