第35話




 情報交換の会はつつがなく終了した。

 〈六人目〉の調査を再開するにあたりひとまず解散だ。

 私は倫太郎君と衣舞ちゃんの弔問に行くつもりだった。のだが、想護君と深剣ちゃんから控えるよう強く勧められた。どうやら両家共に大荒れの模様らしい。働き盛りの若者が立て続けに自殺したのだから当然だ。憤懣ふんまんやるかたない矛先がこちらに向きかねない。そのため「全てを終わらせてから墓前に報告しよう」と二人から提案された。力説するあたり相当なのだろう。弔問は諦めるしかなかった。

 なので、代わりに八手ヶ丘を散策する運びとなった。歩き回って脳に刺激を与え、記憶を呼び覚まそうという作戦である。海東勇に纏わるアレコレしかり、重大な事件すら忘れてしまうポンコツ頭なのだ。〈六人目〉に関する情報が、海馬の奥深くに埋まっていてもおかしくない。

 警護役として想護君も同行してくれる。我が身を盾に守り抜く意気込みだそうだ。あの頃と寸分違わぬ姿勢に胸が温まる一方、申し訳なさで猫背になってしまう。


「あの頃と全然変わってないんだね」


 最初に訪れたのは小学校だ。

 くすんだ校舎の外壁と、がらんとした校庭のだだっ広さが懐かしい。

 当時から一学年一クラスしかなく空き教室がいっぱい。少子化の影響が如実に表れていた。が、未だ崖っぷちでも存続できているらしい。授業を受ける子ども達の姿が窓越しに伺える。

 入学してから転校するまでの四年間。楽しかった思い出は、どれもが想護君達と過ごした時間である。彼らがいなければ負の記憶だけが積み上げられていただろう。

 灰色の校舎に別れを告げると、足早に次の目的地へ向かった。はずなのだが、


「あれ、尾賀商店がなくなってる?」


 そこは更地だった。

 あったはずの建物が綺麗さっぱり消えていた。

 通学路の途中に建っていたはずが、代わりにあるのは駐車場。無骨なアスファルトがギラギラと日光を反射させている。

 たった十年、されど十年。

 変わらぬ物がある一方で、時と共に消えてしまう物もあるのだ。当然の摂理をまざまざと見せつけられている。


「店主の富おばさんが亡くなったんだよ。三年くらい前だったかな」

「お年寄りだったもんね」

「それも理由の一つではあるんだけど、一番の原因は交通事故なんだよ」


 想護君曰く、富おばさんは認知症を患っていたらしい。私がこの地を離れるのと前後して、親族が兆候に気付いたそうだ。それ以前にも、直近の記憶が曖昧になったり物を盗まれたと勘違いしたり、疑う余地は大いにあったとのこと。かつて濡れ衣を着せられたのにも合点がいく。

 やがて、富おばさんは徘徊はいかいするようになった。昼夜を問わずに街中を右往左往。息子夫婦や独り身の娘が度々帰省し様子を伺うも、有効な手立てを打たずに先送り。そうこうしているうちに最悪の事態が起きてしまったのだ。


「車を運転していたのは海東家応援隊のトップ、郷端徳明。声がデカいだけの下劣な男だよ。事故当日は海東家に寄った帰りだったらしい。上機嫌にも法定速度を大幅に超過して爆走だ。そこで運悪く徘徊中の富おばさんと正面衝突。混乱の末にき逃げするも敢えなく逮捕だ。身内じゃないので当然、雇用主が庇ってくれるはずもなく。今頃どこかの刑務所で服役中だと思うよ」


 尾賀商店の跡を継ぐ者はいなかった。

 息子夫婦はもちろんのこと、娘も田舎の駄菓子屋に興味はなく。店主を失った店舗は取り壊され、空いた土地は駐車場になった。果たして需要があるのか甚だ疑問ではあるけれど。

 もはやここは単なる平地だ。面影は何一つない。それでも、後ろ髪を引かれないと言えば嘘になる。跡地に留まっても無意味だと己に言い聞かせ、散策を続行する。


「ここは、まだ、残ってるんだね」


 訪れたのは八手ヶ丘の中心部。

 高級志向のマンションが雄々しくも禍々しい影を伸ばしている。

 かつてこの地で海東塾が催されていた。悪夢の根源だ。私は嬉々として通い、そして悪しき毒牙の犠牲になった。海東勇の下卑げびた笑みと粘つく体液の感触が、吐き気となって息を吹き返す。動悸がする。指先の震えが止まらない。

 逃げたい。

 早くここから離れたい。

 十年ぶりの事件現場を前に弱気が顔を出してしまう。

 駄目だ。あんな男に負けてたまるか。込み上げる酸味をぐっと飲み込み魔窟を見据える。いや、元魔窟だ。あそこは単なるマンションでしかない。


「あの部屋って今も使われてるの?」

「熱心な海東家推しが借りているよ、腹立たしいことにね」


 想護君が吐き捨てるように言う。


「高値で取り引きされているんだよ。あの野郎が住んでいたからって、ただそれだけの理由で。事故物件って訳じゃないが普通は逆だろ。犯罪者の部屋なんだから忌み嫌われるのが道理だってのに。この街はどこかズレてるんだ。あれだけ世間に叩かれたってのに、未だ海東家万歳と持て囃していやがる」


 次第に語気が強くなっていく。

 握る拳は真っ白に、噛み締める下唇からは血が滲んでいた。


「変わる機会はいくらでもあったはずだ。なのに現実から目を逸らして、自ら海東家の下僕に成り下がる。街の隅々まで腐っているんだ。俺の家だって例外じゃない。どこかおかしいと頭では理解しても声を挙げず、消極的に連中の片棒を担いでいる。俺自身だってそうだ。守るだの助けるだの偉そうに言ったくせに、結局何もできず、それどころか」

「想護君、もういいよ」


 義憤に震えて軋む拳を、そっと諸手もろてで包み込む。

 子どもの頃とは全然違う。筋張った成人男性らしい手だ。でも、不思議と怖くない。

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